第十五話 秋の日の約束
コルアイヌ王国の領土内にあるアーサーの家にて、四人で生活していたある日のこと。部屋で片付けものをしていたレイアの耳に、鼻歌交じりの明るい声が飛び込んできた。背中まである赤褐色の髪を緩やかな三つ編みに結った空色の瞳を持つ少女、セレナだった。
「レイア〜! お留守番ありがとう!! 良いものがあるわよ!」
「良いものって何?」
「ふふふ……はい。これ!! 久し振りでしょ!?」
セレナはにっこり微笑みながら、両腕に抱えていた茶色の紙袋の中身をテーブルの上に広げた。中からごろごろと転がり出たものは、紅色の皮を持つ、楕円のように真ん中が膨らんだ芋だった。それを見たレイアはヘーゼル色の瞳を大きく見開き、思わず口元から笑みがこぼれた。
「これひょっとして……トポメアか?」
「大当たり〜! お店にちょうど出ていたから、一緒に買ってきちゃったの。アーサーからあなたの好物だって聞いたからね」
「ありがとう……何だか懐かしいな。しょっちゅうじゃないけど以前食べていたっけ……」
レイアはずんぐりとした太っちょの芋を眺めつつ、記憶を過去に飛ばした。そう、あれは彼女の養親であるレイチェルがまだ生きていた頃のことだった――
⚔ ⚔ ⚔
今から五年位前。レイアが十か十一歳の頃。
コルアイヌ王国の中心都市であるダヴァンで、彼女はレイチェルと二人で住んでいた。彼女より五つ年上の幼馴染みであるアーサーは当時彼女の家の近所に住んでいて、たびたび家に遊びに来ることがあった。
「よぉ。精が出るなレイア。今日は土産を持ってきたぞ。レイチェルさんに預けている。旨いから楽しみにしてろよ」
黒の短髪に褐色肌のアーサーは、白い歯を見せた。すると家の前で鍛錬用の丸太を握り一心不乱に素振りをしていた少女は、顏をぱっと輝かせながら彼の元へと駆け寄って来た。
「アーサーありがとう!! 楽しみだなぁ。ねぇ一体どんなお土産?」
「レイア、お前〝トポメア〟って知っているか?」
「トポメア? いや、知らない。それって何だ?」
レイアはヘーゼル色の瞳を大きく広げ、小首をかしげた。濃い茶色の髪を一つに後ろへ高く結っている短い後ろ髪が、ゆらゆらとゆれている。
「芋の一種だ。コルアイヌでも南部地方の名産だから、中心都市では珍しいんだろうな。甘くて中々旨いんだぞ。断言しても良いが、お前は絶対気に入ると思う」
「そうなんだ! タロダとは違いそうだね」
「タロダは粘りがあって、あっさりしているからな。あれは副菜向けだし、少し味付けした方が良いタイプの芋だ。トポメアは火を通しただけで極上の菓子に大変わりだぞ」
「へぇ~!! それは気になる!!」
レイアは幼馴染みのはなしを聞きつつ、思わず口中に溜まってきたつばをごくんと飲み込んだ。普段は家の手伝い以外は鍛錬というストイックな日々を送っている彼女だが、同世代の女子の例外に漏れず、甘いものは大好きである。鍛錬して身体を動かした後というのもあいまって、腹が余計に空腹感を訴えているようだ。
やがて、家の窓から香しく甘い匂いが漂って来て、レイア達の鼻を心地よくくすぐってきた。思わずぐぐぅと腹の音が聞こえ、アーサーとレイアは目を見開き、互いの顔を見た。
すると、家の中から一見細身で大人しそうな優しげな美人が顔を出した。グレー色の髪を一つに結って後ろに垂らし、金青色の瞳を持つ彼女は、まだ二十代半ば位に見えた。
レイアの養親である、レイチェルだった。
彼女は訳あって幼くして両親共に亡くし、それ以来、この養親の元で守られるようにしてすくすくと育った。レイチェルは元々凄腕の剣使いということもあり、レイアの自衛のため、彼女を育てながらも毎日剣の手ほどきをしているのだ。
「レイア、鍛錬はそろそろ止めにして休憩なさい。今日のおやつはアーサーが持ってきてくれたトポメアです。ほら、とっても美味しそうに焼けましたよ。アーサーもいらっしゃいな」
テーブルの上に真っ白な大皿が一枚置かれていた。その皿の上に山と積まれたものは、紅色だった。ところどころ良い焼き具合の焦げが入っている。中央部がずんぐりと膨らんでいて、中々旨そうだ。
「さあ、冷めないうちにどうぞ召し上がれ。ちゃんと手を綺麗に洗ってきましたか?」
「はーい」
「おっとレイア、ちょっと待った」
手でかろうじて持てる熱さになったトポメアを両手で握り、半分に割ろうとしているレイアを見掛けたアーサーは、手で制した。
「こいつは手で割らない方が良いぞ。あっという間に崩れちまう」
トポメアは普通の芋と違って水分が多く含まれているため、焼いた後非常に柔らかくなる。手で折ろうとすると形が崩れてしまい、綺麗に割れない位なのだ。
アーサーは小さなナイフで数カ所切り込みを入れ、ゆっくりと半分に折り、片方を小皿に乗せ、もう片方をレイアに手渡した。
その断面から真っ白な湯気がほわんと立ち上がってゆく。甘い香りが優しくその場を包み込んだ。中身は卵黄のような鮮やかな黄色をしており、蜜が滴るように垂れてくる。
レイアがその芋に噛み付くと、口の中いっぱいに広がる強烈な甘さに目を更に大きく広げた。その果肉は舌で崩れるほど柔らかく、雪のようにすうっと溶けてゆく。ほくほく感はほとんどなく、どちらかというとしっとりしている感じだ。
「……!!」
彼女の驚いた顔を見たアーサーは、満足げに大きく頷いている。
「どうだレイア。ほっぺたが落ちそうな位旨いだろう? こいつは収穫後、貯蔵して充分に熟成されたものだと店の者が言っていたんだ。この前食ったのより今日の方が味は上だぞ。良かったな!」
少女はこぼれんばかりの笑顔を浮かべ、首を大きく縦にふり、無心になって芋にかぶりついた。これまで食べた焼き芋の中では最も甘く感じられ、いくらでも食べたくなる衝動に駆られる。両手がこぼれ落ちてくる芋の蜜でベタベタするが、お構いなしである。レイアの前に茶の入った木のカップを置きながら、彼女の養親は苦笑した。
「まぁまぁレイアったら、そんなに急いで食べなくても、トポメアはまだたくさんありますよ。ほら、ここにお茶を置いておきますから、のどにつっかえそうになったらお飲みなさい」
レイチェルがそう言い終わるやいなや、レイアは慌ててカップに手を伸ばし、その中身を一気に喉の奥に流し込んだ。のどにつっかえそうになった塊をしっかりと飲み下した後、ふうと一息ついている。その様子を見たレイチェルとアーサーは声を上げて笑った。
「もうレイアったら……」
「彼女が気に入ってくれたようで良かったです。また手に入ったら持ってきますよ」
「ありがとう。アーサー。あなたが来てくれると、レイアが元気になるから、私も安心なんですよ」
アーサーはくすぐられたような顔をしながら、後頭部に手をやり、ぼりぼりとかいている。
「俺もレイアもお互いに一人っ子のようなものですからね。彼女も俺を気のおける兄貴みたいに想ってくれてるようですし」
「そうですね。彼女にはなるべく寂しい想いをさせたくないのですが、たまに学校が休みの日に私の仕事が重なると、どうしても一人ぼっちにさせてしまいますから」
「俺非番の時なら動けますので、日にちが分かっていたら教えて下さい。何とか融通を利かせますから」
「ありがとう。本当に助かるわ」
アーサーは、レイチェルが女手一つでレイアの面倒を見ているのを、彼の両親から聞いて知っていた。彼女達が何故隣町からこのダヴァンに引っ越してきたのか、理由までは知らなかった。彼の親から、彼女達のことを気にかけてあげるように言われたのがきっかけだったが、今やそれは彼の日々の生活リズムにすっかり溶け込んでしまっている。彼が実家を出て王宮で働き始めた今でも、それは可能な限り続いているのだ。
「アーサー、ちょっと良いですか?」
「何でしょうか?」
「こちらに来て下さい」
レイチェルの声に誘われるように、アーサーは台所に入った。
「アーサー、今日はレイアのためにトポメアをたくさんどうもありがとう。重たかったでしょう?」
「いえ、大丈夫ですよ。俺、働き始めてからあんまり彼女の相手を出来ていないので、たまには土産一つ位はと思いましてね」
アーサーの細やかな気遣いが、胸に気持ちよく染み入ってくる。レイチェルは柔らかな笑顔を浮かべつつ、籠を彼に手渡した。
「この籠に野菜を入れています。お土産と言ってはなんですが、良かったら、お家の方に持って帰ってあげて下さい」
「ええ!? こんなに良いのですか!? ありがとうございます。わざわざすみません」
「実は今朝隣の方から頂いたのですが、多過ぎてしまって……とてもじゃないけど二人では消費しきれないんです」
トポメアを入れてきた籠に、今度は色とりどりの葉野菜やら根菜類が色々入れてあった。調理台の上にも色々緑の小山が盛り上がっているのが、目の中に飛び込んでくる。
(確かに、大人一人に子供一人の二人暮らしでこれ全てを消費するのは大変だろう)
実家に預ければ良いと思った彼は、ありがたくいただくことにした。
すると、レイチェルは意を決したような表情を浮かべた。そこにはいつもの優しい笑顔はなく、どこか切羽詰まった色がチラついている。
「……ちょっと早いですけど、あなたに一つお願いしたいことがあります」
「?」
「私にもし何かあった場合はレイアを頼みます」
「……え……? 何かあったのですか?」
「今すぐにと言うわけでもないですし、深い意味もないです。ただ……」
驚くアーサーの顔をちらと見た彼女は、ゆっくりと顔を横に振った。
「日々の糧を得るためにしている仕事とは言え、私は常に危険と隣合わせです。レイアはまだ十を過ぎたばかり。私にもし何かあったら、あの子を一人にしてしまう……そのことが常に心配の種で。あなたなら彼女も不安がらなくて良いでしょうから、出来れば気にかけて貰いたいと思いまして……急にごめんなさいね」
アーサーはレイチェルの仕事に関しては詳細は知らないし、あえて聞こうともしなかった。あまり聞かれたくないような、そんな空気を彼女から感じたからだ。ただ「仕事」の時は必ず家のどこかに保管してある愛用の剣を携えて向かっていたため、常に生命をかけた仕事なのだろうと予想をしていた。
彼は王宮で働き始める前に、一度彼女と手合わせしたことがあったが、全く刃が立たなかったことを覚えている。恐らく、レイチェルはかつて、どこかの城の守り手として働いていたことがあるのだろう。そんな気がした。
いつ死んでもおかしくない生活をしながら人一人を育て上げる。並大抵のことではない。そんな彼女が自分を頼って来ているということは、厄介な仕事を抱え始めたせいではなかろうか――推測しか出来ないが。
「分かりました」
「急に押し付けがましいことを言って、本当に、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。俺はこんな感じで時々しかこちらに戻って来られないですが、実家に親はいますし、両親もこちらの事情を分かっていますから、何とかなると思います」
「ありがとう、本当に、感謝しています」
(レイチェルさんに何かあったら、レイアは本当に天涯孤独になってしまう。俺はもっと力をつけて強くならなければ……)
無邪気に焼き芋へと夢中になっている、幼馴染みの少女を視野に入れつつ、アーサーは、そう心に決めた。
※こちらの過去エピソードは時系列で言うと、本編「蒼碧の革命〜人魚の願い〜」の第十九話「アーサーの心配」
https://kakuyomu.jp/works/16817330647742777336/episodes/16817330650580783832
で出てくる「アーサーがレイチェルに頼まれたこと」にまつわる物語となります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます