第十四話 雨に降られて
森の中、一軒の小屋が建っている。丸太を組んで作られており、普段誰も住んでいなさそうな小屋だ。物音一つしない。
そんな中、突然戸を開ける音が静寂さをかき消した。
小屋の中に入ってきたのは大柄の青年だった。黒髪で紫色の瞳を持つ彼は眉をひそめており、腕には誰かを横抱きにしている。赤褐色の髪と空色の瞳を持つ少女だった。雨にでも降られたのだろうか。二人とも肩を少し露に濡らしている。
彼は寝台と思われる家具の上に急いで白い布をひくと、その上に濡れた外套を脱がせた少女を寝かせるようにそっとおろした。それから開けっ放しになっていた戸を閉めて錠をさすと、再び静寂さが戻ってきた。
少しすると、轟くような音が鳴り響き、弾けるような音が周囲を覆い始めた。先程まで小雨だったのだが、豪雨だと随分と賑やかなものである。石つぶてのように窓を叩きつけている粒の嵐を窓から覗いていたアーサーは、露に濡れた外套を脱ぎつつ、大きなため息を一つついた。
「こいつはひどい降りだな……間に合って良かった」
「しばらくここで雨宿りすることになりそうね」
「ああ。そうだな。この小屋があって助かったな」
「ごめんなさい。私ったら……」
セレナはしょんぼりして己の左足へと目を落とした。
二人は山を跨いだところにある隣街へと買い物に出掛けていたのだが、その帰り道にセレナが倒木の根でも踏んでしまったのか、捻ってしまったようだ。アーサーは歩けなくなったセレナを腕に抱えて帰宅中、雨に降られて慌てて見掛けたこの小屋に駆け込んだという状態だったのだ。
「いや。おかげで二人ともかろうじて濡れねずみにならずにすんだ。何事もなければ、小屋を探すこともなかっただろうしな」
小屋内で薪木を探してきたアーサーは暖炉に灰が残っていないか確認したあと薪を焚べていた。
薪木に火が灯り、しばらくするとぱちぱちと爆ぜる音が響いてくる。それを確認した彼はセレナの傍に腰掛けると、彼女の左足の脛あたり手をあて、履き物をゆっくりと脱がせてやる。左足首のあたりが腫れ始めており、ふっくらとしていて痛そうだ。見ると、少女の表情が強張っている。
「外側と内側どちらに痛めた? ちょっと動かしてみるから教えてくれ」
「多分外側にひねった気がするわ……痛っ!!」
「……分かった。ちょうど添え木代わりに使えそうな板があったから持ってきた。これと包帯で固定しよう。俺がやるから君はじっとしていてくれ」
「分かった。これだけでも持ち合わせがあって良かったわ。応急処置しか出来ないけど、仕方がないわね」
アーサーは彼女がいつも持ち歩いている携帯用の応急処置セットの袋の中から軟膏と包帯を取り出した。
セレナお手製の治癒促進効果のある軟膏だ。基本的に擦り傷や切り傷に対して使うものだが、彼女が言うことによると、捻挫にも多少効果はある代物らしい。彼は手当てを開始し、器用な手付きで添え木と包帯で自分より小柄な足首を固定した。冷やすための水を汲みに行きたいところだが、生憎かさを持ち合わせていない上、この雨では無理である。小雨になるのを待つしかない。
「さて、こんな感じで良いだろう。しばらく安静だな」
「ありがとう。ねぇ、思い出さない?」
「?」
「ちょっと前、四人で旅をしていた頃、森の中を移動していた時があったじゃない。宿舎が見つからなくて、野宿しそうになった時のことよ」
セレナにそう言われ、アーサーはふと記憶を蘇らせた。数ヶ月ほど前、カンペルロ王国に滅ぼされかけていたアルモリカ王国を奪還するために、アルモリカの第一王子であるアリオンを助け、幼馴染みであるレイアも含めた四人で旅をしていた。宿場町までの道のりが遠く、危うく野宿しかないなと半ば諦めかけていた時、たまたま小屋が見付かった。焚き火を囲んでわいわいと、色んな雑談をしながら一晩を過ごしたのは、今となっては懐かしい思い出だ。レイアとアリオンはアルモリカに帰り、今や正式な王族として国をもり立てるのに必死だ。あの時のような近い距離で、ひと肌を感じられるような時間はもう二度とないだろう。別に袂を分かったわけではないが、寂寥感は否めない。
焚き火に炎に照らされたセレナの白い頬に、光が差したり影が差したりしている。どこか寂し気なのは、きっと自分と同じことを想い、感じているからだろう。
「セレナ。寒くないか?」
「ちょっと……寒いかも」
「何か温まるものでも拵えてこよう。買って来た材料でちょっとしたものは作れるだろうから……」
炊事場に向かおうとするアーサーの上着の裾が後ろに向かって引っ張られた。青年は何事かと思わず振り返る。
「? どうした?」
「もう少し、傍にいて欲しいわ」
「セレナ……?」
慣れない場所だということと、怪我をしたことで少し心細いのだろう。そう思ったアーサーがセレナの隣に再び腰掛けると、何と彼女は自分の首に腕を回して抱き寄せてくるではないか。
「セ……セレナ……!?」
「こうしていた方が寒くないもの。駄目?」
己の耳に唇と吐息の感触を感じ、思いもよらぬことに屈強な心臓が飛び跳ねる音が聞こえてくる。目を白黒させた彼は言葉がしどろもどろ状態だ。
「い……いや……君が良いなら俺は別に良い。そ……それより君、足を動かさない方が……」
「ふふ。あなたが固定してくれたから動かないし、多少は大丈夫よ。軟膏のおかげで痛みをあまり感じないし。それに、こうしてくっついてる方が、温かいもの……」
「セレナ……」
己の胸元に頬を擦り寄せてくる少女に対し、コルアイヌ王国一の槍使いは頬を赤く染めている。それは焚き火にあてられているせいだけではないだろう。
「ねぇ、もう少し温めて欲しいんだけど、良い?」
「え……? 怪我人なのだから、あまり無理しない方が良いと思うのだが」
「だって、寒いんだもの」
「君……熱出してない?」
「私は至って平熱だから大丈夫よ。ねぇ……お願い……」
「……」
察したアーサーは腕の中にいる少女を無言で抱き締めた。何だかんだ言って、拒めない己に半ば諦めている。公の場では有能な彼だが、彼女にだけは滅法弱かった。
――完――
※「寒いですね」は「抱きしめてください」という意味だそうです。作中の「寒い」はこの意味も兼ねております。奥ゆかしい日本語って素敵。
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