第十二話 エルマリーヌの輝き〜その二〜

 大きな岩の上に腰掛ける二人の目の前の海は、静かにさざ波を立てている。

 この世にある不透明なもの全てを洗い流してくれるような、透き通る海。

 風はほとんどなく、穏やかに波打ってはいるが、岩肌にぶつかっては、激しく大きな飛沫を上げた。

 まるで、今の彼の想いをあらわしているかのようだ。


「この前初めて知ったのだが、“虹色水晶”を体内に入れてしまった人間は、普通の人間としての時間を過ごすことが二度と出来なくなるそうだ」


 彼の言によれば、嘗てシアーズ家の人魚と婚姻を結んだ人間はみな婚礼の儀式を行う前に、何らかの形で“虹色水晶”を体内に入れたという。異種族同士の婚姻の場合、それは義務付けられていたようだ。

 それを行うことにより、人間は人魚と同じ時を過ごせるようになるという。

 水晶の力によって肉体が一番活力のある状態のままいつまでも年をとらず、伴侶である人魚と一緒にずっと長い時を過ごすことになるわけだ。


 つまり、既に虹色水晶を体内に持つレイアは、ほぼ今の状態のままずっと生きていくことになるということだ。それは、普通の人間であるアーサー達が彼女より早く年をとり、老いて死に別れる日が遠い未来に必ずあることを意味する。

 彼らは彼女を置いて先に逝ってしまう。

 いつか、二度と会えなくなる日々が来るのだ。


「……あの時は必死だった。何としてでも君を助けたかった。封じられて“力”を満足に使えない僕にとっては、“虹色水晶”の力にすがるしかなかった。“虹色水晶”を体内に入れた人間がその後どうなるか、あの時の僕は良く分かっていなかったのに……」


 アリオンは眉間にしわを寄せ、ややうつむき加減である。生真面目な彼のことだ。余程こたえているのだろう。

 レイアを何とかして助けたい想いでしたことだった。しかし、そのことが彼女の人生を大きく変えてしまったのだ。

 永く生き続けねばならない、長命種族が抱える“孤独”を、彼女にまで背負わせてしまったという想いが、彼を密かに苦しめ続けていた。


「謝って済む問題ではないことは良く分かっている。それでも、君に伝えたかった。君の自由を奪ってしまった僕をどうか許して欲しい……」

「……馬鹿。どうしてあんたはそんなに馬鹿なんだ!?」

「?」

「許すも何もあの時、あんたがそうしなければ、私は今ここにいなかったんだろう?」

「……」


(あんたはどうしてそんなに真面目なんだよ……!! )


 堪えきれなくなったレイアは、膝立ちとなって自分の豊満な胸に押し付けるようにアリオンを抱き寄せた。彼女に突然強く抱き締められた彼はネオンブルーの瞳を大きく見開いている。その耳代わりの透き通るように美しいターコイズブルーのひれに、力強く打つ鼓動が響いてきた。

 かつて一度動きを止めてしまいそうになったその心臓は、今は規則正しく動き続けている。――まるで何事もなかったかのように……。


「あの時あんたが助けてくれたから、私は今を楽しむことが出来ている。あんたのおかげで、今この瞬間でさえ私は幸せだ。本当だよ? それなのに、あんたが何故そんなに苦しまねばならないんだ?」


 レイアは自分の腕の中にある小麦色の髪に口付けを落とし、己の頬を押し付けるかのようにその身体を掻き抱いた。

 水晶のように透き通った、純粋な想い。

 深海から水面へと誘われるような温かい想い。

 途切れることなく、常に自分へと注がれるひたむきな想いが痛いほど伝わってきて、彼がただ愛おしくてならなかった。


「それに……私が今までの状態だったら、間違いなくあんたをこの世に独り遺してしまうところだったよ。ただでさえ十年以上待たせているのに……これ以上あんたに孤独を強いるだなんて、私はしたくない……」

「レイア……」

「私は生きたいよ! あんたのために。だって、もし私があんたより先に死んだら……あんた……ずっと一人でいるつもりなんだろう!?」


 黙ったまま、静かにうなずく王子を彼女はそのまま抱き締め続けた。自分みたいな人間を、彼はどうしてこんなに一途に想ってくれるのだろうか。炎のように熱い塊が彼女の胸の中から破裂しそうになっている。息苦しくて、たまらない。


「あんたにそんなつらい想い、絶対させたくない……私が堪えられない……私は決めたんだ。この国であんたと一緒に生きるんだって……」

「レイア……」

「ねぇ、私をもっと奪ってよ。私の全てを奪って。あんたはただでさえ欲がなさ過ぎるんだから、もっともっと奪えばいい。なくなりはしないから」

「……」

「私は魂ごとあんただけのものだ。他の誰にも奪わせはしないよ」


 すると、レイアの腰のあたりに腕が回されたと思った途端、彼女の視界が大きく動いた。輝く小麦色の髪越しに澄み切った青空が見える。

 アリオンがレイアの身体を自分の膝の上に乗せ、上から両腕で強く抱き締めたのだ。


「……すまない……そしてありがとう……レイア……」


 二人はそのまま何も語らず、しばらく抱き締めあっていた。

 心にかかる雲を一瞬で払いのけるような波音だけが、周囲に響き渡っていた。


 ⚔ ⚔ ⚔ 


「……ところでレイア。はなしを戻すが、子供を作るとしたら君は何人欲しい?」

「そうだね。あんたも私も一人っ子だから、最低でも二人は欲しいかな。一人だと寂しいし、ちょっと可哀想だから」

「そうか。……分かった。じゃあ、欲しくなったら教えて」

「うん。今はまだ、あんたと二人の方が良いな。だって、私も年を取らないんだろう? ……子供はもう少し後で良いよ」

「僕も君と二人きりの時間が欲しいから、子供はまだ良いかな」

「でも、案外早く家族が増えるかもしれないね。これだけいつもくっついていたら」


 大きな岩の上へと腰掛け直したアリオンにレイアはしなだれ掛かり、くすくす笑いながら答えた。いつの間にか解けた黒髪が、肩から滝のように流れ落ちている。彼はそんな彼女の細い腰に手を回し、自分の方へと強く抱き寄せた。

 潮が満ちてきたのか、波の飛沫がかかってくる。澄んだ穏やかさを感じる海水の冷たさが、ほてりの残る素肌には大変心地良かった。


「……君の負担にならないようにするよ」

 

 南国特有の温暖な空気が、身体全体を優しくなでてゆく。

 全てのしがらみから開放された気分だ。

 波音だけが静かに響き渡っている浜辺は、永遠に輝きを失わないだろう。

 

 青空に美しい模様を描いては、きらきらと光っている雲。

 エルマリーヌは誰にも邪魔されない二人だけの楽園。

 どこからとなく花々の甘い香りが漂ってきて、若い二人を祝福するかのように優しく包み込んでいた。

 

 ――完――

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