日常色々

第八話 セレナのミルカ

 いつも元気なアーサーが何かおかしい。


 (顔色が変だし、雰囲気がいつもと違うし、朝食の量もいつもより少ないし、一体どうかしたのかしら?)

 

 アモイ山にあるアーサー宅の流し場で洗い物をしていたセレナは、あれこれ考えごとをしていた。


 突然奥の部屋から何かが倒れる音が聞こえてきたので、蛇口を急いでひねって水を止めた。

 嫌な予感が彼女の背中を突き抜ける。

 

「アーサー!? どうしたの?」

 

 濡れたままの手をエプロンで拭いつつ、大急ぎで物音のした方向へと向かう。途中で何かにつまづいてひっくり返る音が響いたが、後で直せばいいと割り切った。


 バタンと目的とする部屋の戸を開ける。

 物音の発生源は、予想通りアーサーの自室だった。

 椅子が倒れ、本棚により掛かるように倒れ込んでいる、黒の短髪で体格の良い青年の姿がセレナの視界に飛び込んできた。彼女の身体中から血の気が一気に引いてゆく。

 

「ねぇちょっと、どうしたの? アーサー! 私の声聞こえる?」 

 

 セレナは倒れている青年を急いで助け起こし、褐色の額に小さな手をあててみた。

 物凄く熱い。

 濃い眉を歪め、横一文字に閉じられた唇の間から、苦しそうな息が漏れている。

  

「あら大変!! ひどい熱じゃないの!!」

「……すまん。セレナ。めまいがしてちょっとふらついただけだ。これ位、慣れてるさ……」

「だーめ! 私を一体誰だと思っているの!? 今日は休むのよ!! 丁度外に出なくて良い日で良かったけど……」

 

 アーサーは小さな身体の少女によって強引に寝台の中へと押し込まれた。華奢な見かけによらず、物凄い力だ。

 ああそうか。弓術で鍛えた身体だから、彼女実は見かけほど華奢ではないことを分かっていながらも、火事場の馬鹿力ってこんなものだろうかと彼はつい思ってしまった。

 そんなことをぼんやり考えている間に、セレナはアーサーの舌を診たり、脈を診たり、身体中を触診したりしている。その手際の良さは医術師ならではのものだ。

 

「……恐らく風邪だと思うわ。昨日の雨が原因ね。ずぶ濡れで帰ってくるんだもの。驚いたわ。傘を忘れて行くなんて、あなたらしくもない。行く先を教えてくれたら傘を持っていってあげたのに……」

「すまん。小雨なら大丈夫だからと、油断していた」

 

 セレナは傍で水で濡らした手ぬぐいをぎゅっと絞り、彼の額にそっと乗せた。手ぬぐいの冷たさが丁度いいのか、アーサーは目を細めて気持ちよさそうな顔をしている。その表情を目にした彼女はほっと安堵の胸をなでおろした。

 

「ちょっと待ってて。ちょうどミルカを作ったところだったから、温め直して持ってくる。薬も確か煎じたばかりのものがあるから、一緒に持っていくわ」

「……ああ。すまないな」


 セレナは急いで彼の自室を出て、台所へと向かった。


 ⚔ ⚔ ⚔

 

 部屋に戻ってきた彼女が持つ盆の上には皿が乗っていて、さじが添えられてある。皿からは細く白い湯気がゆらりと天井に登っているのが見える。


 アーサーはセレナから器を受け取ると、その中身をひとさじひとさじ口にゆっくりと運んだ。透明なスープは曇り一つない出来だった。じっくりと良く煮込まれた鶏肉や根菜類は柔らかく、口の中でほどけるようにゆっくりととけてゆく。優しい味と共に温もりが身体をやんわりと包み込んでゆくのを感じた。 

 

 (俺の味とは少し違うが、随分上手になったものだ) 

 

「……旨い」

「そう……良かったわ!」

 

 その時、アーサーのどこかにやけている顔を見たセレナは怪訝な顔をした。

 

「? どうしたの?」 

「たまには、病気になるのもアリかなと思っちまったよ」

「もう!」

「そこまで心配せんでも、俺のことだからその跡が消えない内にすぐ良くなるさ」

 

 アーサーの視線の先に気付いたセレナは顔を真っ赤にした。右の上腕辺りにある赤い跡を、まくり上げた袖を下ろすことで必死に隠そうとしている。その様子を見た彼は軽快な声を立てて「ははは」と笑い出した。

 

「もう知らない!」

「悪い悪い。君があんまり可愛いものだから、つい……」

 

 セレナは照れ隠しにアーサーの額へと口付けをさっと落とした。

  

「冗談はともかく、アーサー、早く元気になってね。私看病するから」

「……俺は本当にツイてるよなぁ。この国一の医術師が、いつも傍にいてくれてるんだから。感謝しねぇと」

 

 アーサーは大きな右手でくしゃりと赤褐色の頭を撫でた。


 今まで彼は看病される側になったことがほとんどなかった。一人だとおちおち病気も出来ない。

 いざという時、支え合う相手がいることにほのかな幸せを感じていた。 

 

 空色の大きな瞳と、紫色の瞳が見つめ合う。

 それらには共に優しい光が灯っていた。

 

 ――完――

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