第七話 故郷を訪ねて〜その五〜
二人がしばらく歩いていくと、石碑が一基建っているのが視野に入ってきた。よく見ると、それには精緻な彫り物がなされており、ダムノニア王国の紋章が刻まれていた。左右に翼を広げ、その中央に透明で小さな丸い石がはめられた紋章だ。そして石碑の端の方にはダムノニア王国の建国日から滅亡の日まできっちりと掘られている。
レイアはそれを右手の指でそっとなでた。
陽に当たっているためか、ほんのりと温もりがある。
それが伝わって来たためなのか良く分からないが、彼女の指が微かに震えた。
「ここが……私が生まれた土地……生まれた場所……」
レイアが何かを思い出そうとしていると、ゴォオオオン……と、どこか厳かな鐘の音がどこからとなく聞こえてきた。地元民の情報によると、どうやら鎮魂の鐘の音らしい。ダムノニアの土地の整理が終わり際に差し掛かった時、建てられた建物に飾り用としてつけられた鐘が、決まった時刻になると自然と鳴り出すらしい。――誰かが音を鳴らしているわけではなく……。
それはもの寂しげでもあるが、どこか荘厳な響きを持っており心が洗われるような音だった。
「お父様……お母様……ただいま戻りました……」
今やカンペルロ王国の所有地であるため、ダムノニアは一つの街となっている。かつて大きな城が建っていたはずだが、どんな建物だったのかさえ、良く分からない状態だ。
(分かっているよ。幾ら呼びかけたところで、返事は来ないってこと位……それでも“ただいま”って、言いたかったんだ……それだけだよ……)
無言になるレイアの肩に大きな手がそっとおかれた。優しい温もりが静かに広がってきて、胸がきゅっと痛むのを感じる。
「アリオン……」
そこにいるのは凛々しい戦士ではなく、亡き両親を恋しく想う、たった一人の少女だった。どこか心細く思っているのかもしれない。彼女はふと胸元にいつも欠かさず身につけている首飾りを思い出し、服の中からそれをゆっくりと引っ張り出した。
すると、レイアの胸元にぶら下がる首飾りの石が光った。
ほの白く、まばゆい光だ。
その途端、光に呼応するかのように石碑にはめられた紋章の水晶からも優しい光が溢れてきて、それはやがて二つの光となり、彼女の目の前で次第に人の形と変わっていった。
「……!!」
それを見たレイアは大きく目を見開き、驚きのあまり言葉が出なかった。
本能で強く感じたのだろう。
彼女は自然とドレスの裾をつまみ、膝を曲げてカーテシーをしていた。
その二つの光は、レイアの実父母の霊体だった。
光の片方がレイアに静かに語りかけて来たのだ。
それは、彼女と同じ色の瞳だった。
「おお……そこにいるのはジャンヌか……?」
「お……お父様……私が……分かるの?」
「自分の娘が分からぬ親はおらぬ。なあ。コンスタンス」
「ええ。ジャンヌ。久し振りね」
「お母様……」
「お前もすっかり大きくなったなぁ。コンスタンスそっくりの美人になった」
「元気そうで良かったわ。これもレイチェルのお陰ね、陛下」
二人は穏やかに微笑みあっている。胸から熱いものが込み上げて来て、ヘーゼル色の瞳からあふれてきた。堪えたくても、堪えきれない想いは、留まることを知らない。
「会いたかった……!! 会いたかった……!!」
レイアは話しながらも、目からぽろぽろ涙をこぼし続けている。そんな彼女の頭や顔を、二つの霊体は優しく撫でていた。実体ではないため感触はないが、温もりだけは伝わって来ているようだ。
「これまでずっと寂しい思いをさせてごめんなさいね。ジャンヌ」
「さぞ苦しかっただろう?」
「いいえ……いいえ……!」
「空の向こうから、あなたのことをずっと見ていたわ。これまで良く頑張って来たわね」
「みんなが……今ここにいない人を含めたみんなが私を支えてくれたから、ここまで来れたんだ。レイチェルも守ってくれたから……」
涙とともに溢れてくる想いが泉のように湧き出てきて、上手く言葉にならない。胸の底が痛くて痛くて、たまらなかった。泣きじゃくる娘を優しく見守っていた王妃は、彼女の後ろに立つ青年の方にそっと目を向けた。
「……ジャンヌ。素敵な方が一緒のようね」
「うん。私が一緒になりたいと思った方だよ」
すると、アリオンは首を曲げるようにして敬意を表した。
「ご無沙汰しております。エオン王、コンスタンス様。アルモリカ王国第一王子のアリオンです」
「あの時まだ小さかったあなたね。本当にご立派になられて!」
「昔娘を助けてくれた上、娘が色々世話になっているそうだな。礼を言う」
「礼には及びません。彼女には僕の命と国の命を共に助けて頂きましたから……感謝しかないです」
「ジャンヌ。良くやった。流石は我が娘だ」
「あなた達二人には、強いご縁があったのね。安心したわ」
王はゆっくりとうなずき、王妃は目に涙を浮かべていた。両陛下は共に嬉しそうである。幾らずっと見守ってきたとはいえ、大切な愛娘のその後の行く末が気がかりだっただろう。
「エオン王、コンスタンス様、僕は彼女を生涯かけて守ることを誓います」
「アリオン。これからも娘を宜しく頼む」
「あなたが娘の伴侶なら心配ないわ。ジャンヌ」
その時、ずっと鳴り響いていた鐘の音が少しずつ消えてゆくのを感じた。
その音はどんどん小さくなってゆく。
もう少しでなり終わるのだろう。
それとともに、レイアの目の前の光がどんどん薄くなっていく。
両陛下は静かに目を合わせると、静かにうなずきあった。少し名残惜しげな雰囲気を醸し出している。
「……もう時間だな。我々はここで二人を見守っているよ」
「ジャンヌ。アリオン殿下。会えて良かったわ。二人共。これからも元気で頑張るのよ……」
「はい。彼女のことは僕にお任せ下さい」
「お父様……お母様……!!」
二人の幻影はやがて静かに消えていった。
レイアはぽろぽろと涙を流し、どこか名残惜しそうな表情を隠せずにいる。追いかけようとしているのか、両手を前につき出そうとしていた。
アリオンはそんな彼女を優しく抱き寄せ、頭とその背をそっと撫でていた。その身体は小さく震えている。
「……ごめん。アリオン。心配ばかりかけて……」
「気にすることはない。大丈夫だ」
「私、もっとしっかりしないといけないのに……」
「良いじゃないか。そんなに強がらなくたって」
それに……とアリオンは言葉を続けた。その瞳は、愛おしむように穏やかな光をたたえている。
「君自身を僕にもっと委ねて欲しい。君はもう独りじゃない。僕の大切な家族なのだから」
「アリオン……」
「僕は誓うよ。君の心から涙が消えるまで、君に伝え続ける。君を二度と離さない。絶対に独りにしない」
「……っ……」
(アリオン……あんたって奴は……)
温もりが欲しい、と強く思う時に、アリオンは必ずそれを与えてくれる。
心で思えば彼にはそれが伝わる。
どうして伝わるのか。
良く分からないけど、それがレイアにはたまらなく嬉しかった。だが、それを彼に上手く伝えられず、もやもやとしたものが胸の中を渦巻いているのだ。言葉でも上手く表現出来なくて、おずおずと彼のたくましい背中に腕を回し、自分の方へと抱き寄せた。
「まさかこういう形で君のご両親にまたお会い出来るとは思わなくて、驚いたよ」
「……うん。凄く嬉しかった。私を連れて来てくれてありがとう。アリオン。本当の両親に会わせてくれて、本当にありがとう……」
「来れたらまた来よう。ご両親に会いに」
「……うん。そうするよ……」
そんな若い二人を、木陰から従者達が優しく見守っていた。雰囲気にあてられて顔を赤くする者もいれば、もらい泣きをして鼻をすする者まで出る始末だった。
かつて王国として栄えていたダムノニア。
レイアが王女として生を受けたその土地は、今は国から街へと姿を変え、静かに生き続けている。
王女だった彼女が平民として生き延び、数々の困難を乗り越えて、アルモリカ王国の次期王の伴侶となろうとしているのだ。そんな彼女を、この土地はこれから先も温かく見守ってくれるだろう。途切れることなく満ち干きを繰り返す波のように。
時は静かに流れ続ける。
あの空を渡る 雲のように。
生命在りし日の、
かけがえのない記憶に、
想いを馳せ、
心から揺るぎない感謝を込めて。
鳴り響くダムノニアの鐘の音色は、鎮魂と祝福を祈る声そのものだった。
――完――
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