第九話 アリオンのスープ〜その一〜

 コルアイヌ王国の領土内にあるアーサーの家にて、四人で生活していたある日のこと。普段明るいはずの家の中に、珍しく暗い空気が漂っていた。

 レイアがいつもの“発作”を起こし、寝込んでしまったのだ。


 彼女には生まれて五年間分の記憶がない。

 しかも、昔のことを無理に思い出そうとすると、頭痛に襲われるのだ。ひどい場合はめまいもおまけでついてくる。セレナが煎じた鎮痛薬でさえ効果がないため、一度症状を起こすと、自然と和らぐのを待つしか方法がないのが現状だ。どうやら、今回のは症状としては随分ひどいようだ。


 引き潮のように症状がいったん引いたかと思えば、しばらくすると満潮のようにぶり返してしまう。

 レイアは朝から食欲もなく、かわいそうに部屋からほぼ出て来られない状態のようだ。


「今回はちょっとひどいようだが、レイア、大丈夫だろうか? ミルカすら食べられないと言ってるしな……」

「こればかりは私にもどうにも出来ないわ。だって、病気のせいじゃないんだもの。戻してしまうから、吐き気をおさえる薬さえ飲めないのよ……」

「せめて、何とかして食べさせないと」

「症状がひいても、口に入れると吐きそうになるから無理って言ってるし、困ったわねぇ」


 レイアの“事情”を良く知るアーサーとセレナはどうすれば良いのか分からず、頭を抱えては大きなため息をついていた。

 そんな二人を見ていたアリオンは一つ提案をした。因みにこの頃の彼は二人が知るこの“事情”の詳細を知らないため、ことの重大性がいまいち良く分かっていなかった。


「それなら彼女のために作りたいものが一つあるのだが、やってみても良いだろうか?」

「良さそうなものがあるのか?」

「ああ。身体を芯からあたためる効果のある薬味を使った、ふんわりとしたスープだ。昔僕が具合の悪い時に良く食べていた。小さい頃はまだ“力”も弱いから、あの頃の僕は良く病で熱を出すことがあって、その時に母が良く作ってくれたものだ。どんなに具合が悪くても、あれだけは不思議と口にすることが出来たものだ。試してみる価値はあると思うのだが」


 ――王妃お手製料理!?


 まず、王族の者が料理なんてする立場じゃないだろうと言う先入観もあって、アーサーとセレナは雷に打たれたかのような強い衝撃をうけた。


 王族は大抵身の回りのことは従者の手を借りることが当たり前だが、どうやら人魚族の場合は人間とは事情が違うらしい。アリオンは身の回りのことは割りと自分でしていると、レイアが言っていたことを彼らは改めて思い出した。


 言われてみれば、四人で手分けして食事の準備をしている際、食器の配膳だの、添える具材のカットなど、目立たない部分にアリオンはさり気なく手を出していたことを二人は思い出した。切り方といい飾り付けといい、見栄えも申し分なかった。彼はきっと手先が器用なのだろう。お手上げ状態だったアーサーは、王子に賭けてみることにした。


「それなら、ここはあんたにお願いするよ。あいつのことだ。あんたが作ってくれたと知ったら、食べるかもしれん」

「分かった。やってみるよ」

「ねぇ、材料は一体何を使うの? 教えてもらったら調べられるし、もし足りなければ買いにいけるけど……」

「タロダとチブリーとセノカはあるだろうか? あとアクナギを使った出汁とトスアムがあると助かるのだが……」

 

 アリオンから聞いた食材は、どれも割とありふれたものだったため、セレナは一安心した。出汁はレイアのために今朝仕込んだばかりのものが丁度ある。


「それならあるわ。他に必要なものはない?」

「調理道具はここにあるので充分だ。その家によってやり方があるだろうから、セレナ、色々教えてくれないか?」

「分かったわ。一緒に行きましょ」

「今日は俺は出番なさそうだな」

「アーサーは座ってて良いわ。何かあったら呼ぶから、自分のことをしててちょうだい」


 腕まくりをした王子はセレナと一緒に台所に消えていった。


 ⚔ ⚔ ⚔


 アリオンがレイアのために作る予定のものは、タロダという芋とチブリーやセノカと言った薬味を使ったスープである。


 まずチブリーの白い部分とセノカを丁寧に細かくすりおろす。タロダは厚く皮を剥いてスライスしておき、あらかじめ別の鍋で下茹でし、水をよくきった後で完全になめらかになるまで潰しておく。鍋にクイナ(バター)、チブリー、セノカを入れて火にかけて蓋をし、蒸らし炒めにする。チブリーにクイナが絡んでしんなりしてきたところで、潰しておいたタロダ、出汁(アクナギという魚の加工品とラミナルという海藻の加工品からあらかじめ引いておいたもの)を加え、具材が馴染むまで炒めてゆく。その後にトスア厶(トスアという豆を水に浸してすりつぶし、水を加えて煮つめた汁を漉したもの)を加えて弱火にかけ、塩・胡椒で味を調えれば完成だ。


 王子の手際はセレナが想像している以上に良く、傍で見ていた彼女が言うべきことはほとんどなかった。時々少し手伝った位だったのだ。


(食材の切り方も丁寧だし、無駄もないし、本当に普段何もしていないとは思えないわねぇ……これは驚いた!! アーサーも負けてられないわ……)

 

 台所で優しい香りが漂う中、出来上がったものを小さい器にもって味見をした時の王子の顔は、どこか温かい表情を浮かべていた。過ぎ去った昔を思い出しているのだろうか。


(レイア、きっと喜ぶわ! ただ、食べられると良いけど……)


 ふつふつと煮立った鍋から白い湯気が、上へ上へと静かに登っていった。

 

 

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