Nostalgic Journey

第三話 故郷を訪ねて〜その一〜

 ――ジャンヌ……

 

 誰だろう。私を呼ぶ声が聞こえる。どこかで聞いたことのある、低く穏やかで優しい声だ。一体誰の声だろう。

 

 ――ジャンヌ……

 

 今度は女性の声だ。優しく包み込んでくれるような、そんな声だ。

 

 (あれは誰だろう? )

 

 レイアはあたりを見渡すが、少し離れた所に黒い影が見える。二つの影だ。顔はどちらも良く分からない。 

  

 (ひょっとして……お父様とお母様? )

 

 すると、その黒い影がゆっくりとだが姿を消していこうとするではないか。レイアは慌ててその影を追いかけた。

  

「え……二人共、向こうに行ってしまうの?」

 

 その影を捕まえようと彼女は必死に手を伸ばすが、もうほとんど消えかかっていて、掴めない。 

 

「嫌……! 嫌……!! 二人共どうして行ってしまうの……?」 

 

 レイアは我知らず涙をこぼしながら叫び続けた。

  

「お父様! お母様!! 私を置いていかないで!! 嫌!! 一人ぼっちは嫌!! 置いていかないで……!!」

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 レイアがふと目を覚ますと、真っ白い天蓋が視界に写った。

 ここは、アリオンと一緒に休んでいる、いつもの寝室だ。

 真っ白なシーツ。大きな枕。ふわふわの布団。

 自分が身にまとうのは真っ白い絹で出来たいつもの夜着。しなやかな肌触りとエレガントな光沢感のある、ワンピース型のものだ。

 今見ている景色は何一つ、普段と変わらない。

 違うのは、自分だけだ。心臓がばくばく鳴り響いているためか、胸がとても痛いのだ。彼女は大きく息を一つついた。

 

「……夢か……」  

「……どうした?」

 

 優しい声がする方に顔を向けると、王子が心配そうな顔をして覗き込んできた。頬に温もりを感じると思ったら、長い指で涙を拭ってくれているようだ。そこで初めて、レイアは自分が泣いていることに気がついた。

 

「ごめん……起こしちゃったみたいだね」

「怖い夢でも見たのか? 随分うなされていたようだが」

「……うん……怖いというか……なんというか……」

 

 アリオンは口ごもるレイアの額にそっと口付けを落とすと、その身体を優しく抱き寄せた。

 

「……無理しなくて良い。思い出したらで良いから、その時ゆっくり聞こうか。レイア。まだ早いから、今はゆっくりお休み」

「うん。ありがとう。そうするよ」

 

 レイアはアリオンの身体に腕を絡め、己の方へと抱き寄せた。彼はその背と頭をゆっくりとなでてやる。彼女の背中はじっとりと汗ばんでいた。

  

 (一体どうしたのだろうか? ) 

 

 いつもではないが、彼女が夢でうなされる時がたまにある。以前は知らないが、共寝するようになってから気が付いた。

 

 うわ言を聴いていると、彼女はおそらく亡き両親の夢でも見たのだろうと思われる。まだ物事の道理も分からない幼子が、突然両親ともに失ったのだ。父王の配慮により惨劇の場を直接目にすることは幸いなかったが、心のどこかできっと会いたいと強く願っているのだろう。

  

 もしグラドロン王がアエスを後継者として迎え入れていなかったら、

 もしカンペルロ王国がダムノニア王国を侵略していなかったら、

 時間の流れに“もしも”はないが、自分とレイアが今の関係を築けていたかは、正直分からない。

 だが、明らかであることは、レイアがジャンヌ・ロアンとして無事に育ち、実父母の愛に包まれて育っていただろうということだ。

 

 現実には暴君であった前王・アエスによって理不尽にも人生を奪われ、本来であれば極々当たり前にあった筈の“日常の幸せ”を、彼女は知らずに生きてきた。

 

 夜彼女を抱いている時も、彼女は僕の身体に必死にしがみついてくるのだ。絶対この手を離すまいと言わんばかりの力だ。そのいじらしさについ抑えが効かなくなりそうで、自分が怖くなる。

 

 心のどこかで彼女は実の両親に会いたがっている。時々夢でも見るのだろう。「置いていかないで」とうなされているのを見かけると、針で突き刺されたように胸が痛くなる。彼女の心の傷は深く、簡単に癒えることはないだろう。

 

 こういう時、彼女に記憶を取り戻させて果たして良かったのだろうかと、つい考えてしまう。

 

 十年前にカンペルロ王国の侵略により、歴史上から永遠に失われてしまった“ダムノニア王国”――レイアの本来の祖国。彼女の実の親であるダムノニア王国のエオン王は、幼い彼女を魔の手から逃れさせるために、それまで生きてきた彼女の記憶を封じる術をかけていた。それまで何も知らずに生きてきた彼女は、つい最近までそれを取り戻そうと躍起になっていたのだ。自分を守るために命を落としかけた彼女を助けようとしたら、偶然その術が解け、記憶の全てが蘇って――それがあっての今である。

 

 ――俺としては、無理して思い出そうとしない方がいい気はするのだが――

 ――過去を失わせたままの方が彼女にとって幸せなのかもしれんな――

 

 ふと、モナン街で聞いたアーサーの言葉を思い出した。

 

 確かに、記憶が全て蘇ってしまったことによって、レイアが余計に苦しむことになっているのではないか。思い出さなければ、大きな悲しみを知らずに済んでいたはずだ。

 

 そう思うと、何とも言えず、複雑だ。


 (両親に会わせてあげられるものなら、会わせてあげたい。だが、僕にそこまでの力はない。何とかしてあげたいが、一体どうしたら良いのだろう? )

 

 過去を変えることは出来ない。ならばせめて……故郷の土地に訪れ、可能ならば墓参り位はさせてあげるべきだ。 

 

 (ダムノニア王国跡地か……今はどうなっているのだろうか? )   

 

 自分の腕の中ですやすやと気持ち良さそうな寝息を立て始めた婚約者を抱き寄せながら、王子は一人思案にくれていた。

 

 ⚔ ⚔ ⚔ 

 

 次の日、自室に戻ったアリオンは、レイアが机の上に何か紙のようなものを広げているのを見かけ、声をかけた。彼女はどうやら地図を見ていたようだ。

 

「地図を広げて一体どうしたんだ?」 

「ダムノニア王国って、どこにあったのかなと思ってね」

「行きたいのかい?」

「正直言うと、ちょっと怖いけど行ってみたい。自分の故郷のはずなのに、こう思うのってやっぱり変かな?」

「いや……おかしくないさ。当然だと思うよ」

  

 場所で言うと、西に位置するカンペルロ王国と東に位置するアルモリカ王国の間の、丁度真ん中位に位置する土地が、かつてダムノニア王国の所有地だったそうだ。十年前にカンペルロ王国によって侵攻、占領されて以降、どうなっているかは誰も知らない。そこでアリオンはレイアに提案した。

 

「ところで明日明後日、君は何か用事はあるのかい?」

「いや、私は特にないけど」  

「元々明日明後日にカンペルロのゲノルに会う用事を入れていたんだ。それを兼ねれば、余分に一日位はダムノニアまで足を伸ばせると思う。良かったら一緒に行かないか?」

 

 それを聞いたレイアは目を丸くした。

 

「え? 連れて行ってくれるのか? でも三日って、あんたそんな時間……」 

「国のことは勿論大事だが、君のための時間を確保するのも大事なことだ。話し合いの日程も含め二・三日位なら何とかなるはずだ。行こう。君の本当の祖国に」

「嬉しい! アリオン、ありがとう!」

 

 レイアは嬉しさのあまりアリオンに抱きついた。彼女を一人にしたくなくて、王子は元々一緒に連れて行こうと思っていた。彼にとって、彼女の笑顔は何ものにも代えがたい喜びだった。

 

 

 

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