第二話 豊穣祭の夜
ある日のこと。アモイ山の中にあるアーサーの家にて。
薬草棚の整理と片付けをしていたセレナの元に、アーサーの声が飛び込んできた。彼は夕ご飯の仕込み中だったようで、腰に深緑色のエプロンをつけている。
「なぁ、セレナ、そう言えば明日は豊穣祭だったな。明日の夜は外で食べないか?」
「たまには良いわねぇ。じゃあその日はダヴァンに泊まる?」
「ああ、そうだな。久し振りに下山しようか」
「分かったわ。急いで片付けをすませるわね。明日の準備しなきゃだし」
「この前君が言ってたアルモリカへの贈り物の件、アリオンには連絡しておいたぞ。もう届いているはずだ」
「ありがとう! あ〜あ。あの二人がどういう顔をするのか見られないのが残念ね」
「そうだな」
セレナはどこかうきうきと楽しそうで、それを見たアーサーは優しい表情をした。
コルアイヌでは豊穣祭の日に恋人や家族など大切な人に贈り物をすることが習わしとなっている。いつも山籠り生活状態だから、そう言った習わしの時ぐらいは都心部に出掛けたって良いだろう。セレナにとっても少しは気分転換になるだろう。アーサーはそう思っていたのだ。
アーサーとセレナは街に出掛ける際は、ダヴァンにあるかつてレイアが住んでいた家で泊まることが多い。元の家主がアルモリカに引っ越す際に、彼らが家の管理を任されたのだ。その家はレイアと彼女の養親だったレイチェルが“疑似親子”として十年もの間過ごしてきた、赤の他人に土地ごと売却するにはあまりにも思い出が多過ぎる家だった。それでアーサーが提案し、時々別荘代わりに使わせてもらいつつ管理することを引き受けた。表向きそうしているが、ほぼ譲り受けたも同然だった。万が一アルモリカにいるレイア達に何かあった場合の避難場所にもなる――彼はそう考えたのだ。
(そう言えばレイアがコルアイヌを出て、どれ位経っただろうか? まぁ、あいつなりにアリオンと上手くやっているだろうと思うが……)
妹のように想っていたレイアの姿を国内で見なくなり、少し物寂しい気持ちがする。
まあ、付き合いが長いから仕方がないだろう。
数ヶ月前にアルモリカの王子が現れたことによって、彼女は他国の騒動に巻き込まれた。だが、彼女はその一件で己の失われた過去を取り戻し、未来ごと変えたのだ。そして、本当の自分の生きる道を掴み取り、しがらみから開放され、自由に羽ばたいていった。――まさか幼なじみだった彼女が亡国の王女だったとは思わなかったが――アリオンと出会ったのはきっと運命だったのだろうと思う。
十年前、カンペルロ王国の前王によって間接的とは言え騒動に巻き込まれ、離れ離れになっていた二人が、時を越えてようやく手に手を取って歩み出せるようになったのだ。彼女の養親であるレイチェルから頼まれていた彼女をアリオンに託した今、自分に出来ることは、アルモリカから遠く離れたこの地で二人を見守ることだ。
(レイア、お前もめげずに頑張れよ。俺も頑張るから)
アーサーはそのまま台所へと姿を消した。
次の日。
二人は下山して一度ダヴァンの家に立ち寄り、荷物を置いて窓開けと片付けと掃除をした。時々空気の入れ替えと掃除に来ているため、部屋は思ったほどほこりっぽくない。それから彼らは着替えて街中を少し歩くことにした。ちょっとした小旅行気分だ。
セレナはエメラルドグリーンのワンピースを着ており、赤褐色の髪をハーフアップにして緑色のリボンを結んでいる。
アーサーはオフホワイトのシャツにネイビーのスラックスを身に着け、上からはネイビーの上着を着ていた。いつもフランクなファッションの多い彼にしては、やや改まった感じだ。
久し振りの街中だ。少し来ていないだけでも流行の服やら小物とかは変わっているのが良く分かる。まずは今日の目的の店の場所を確認することにした。アーサーが言うには、ダヴァンの家から少し歩いた所にあるらしい。彼が言う方向に歩いてみると、それらしい建物が見えてきた。入り口には予約していない客達が何人か並んでいた。
「へぇ。こんなお店があったのね! おしゃれそうだけど、あまり窮屈さを感じなさそうな所ね。前からあったかしら?」
「城の仲間から聞いたはなしだが、去年出来たらしい。雰囲気が良く料理も中々旨いそうだ。予約しておいたから、時間まで慌てなくて大丈夫だぞ」
「流石ねアーサー! ありがとう。じゃあそれまで見たいお店があるんだけど、良いかしら?」
「ああ。時間つぶししようか」
セレナの表情が、年若い娘らしい快活さに満ち溢れている。二人は二・三箇所お店を覗き、予約した時間まで待つことにした。
⚔ ⚔ ⚔
アーサーが予約した店は、オープンキッチンとテラスがあって余計な装飾がなく、シンプルで洗練された雰囲気を楽しめる店だった。利用者はほぼほぼ平民だが、少しおしゃれな気分を味わえる、そんな感じだ。流石に豊穣祭当日というだけあって、中は予約客でほぼ満席状態だった。店員に案内された二人はテーブル席に案内された後、じっくりとお品書きを見ていた。二人共期間限定のとあるメニューに目が釘付けとなっている。
「へぇ。このお店はショクラタを使ったお料理があるのね! 食べてみたい!」
「ショクラタは菓子としてしか普通食べないから、味の想像が出来んが、面白そうだな。頼んでみるか」
ショクラタはココという植物の種子を発酵、焙煎、粉砕したものにお砂糖、コルアイヌ産の牛乳を乾燥させたものを混ぜて練り固めた菓子である。この店ではスイーツのみならず、料理にも使うそうで、二人は興味をそそられた。
注文した後、しばらくすると料理が運ばれてきた。頼んだのは豊穣祭限定のコース料理である。
薔薇型にあしらった鮮魚と新鮮野菜を使った前菜。
コルアイヌの海でとれた海老がベースの、滑らかで濃厚な味わいのスープ。
ハーブをたっぷり使ったソースが添えられた白身魚のグリル。
ショクラタ風味のコルアイヌ産牛ほほ肉の煮込み。
薄くスライスされたマナ(発酵パン)とクイナ(バター)添え。
食後にはショクラタを使ったデザート。
二人は食前酒で満たされたグラスで乾杯をし、早速食べ始めた。
前菜の盛り付けは本物の薔薇の花のように美しく、セレナが「形が綺麗で食べるのがもったいない」と素直に思う程素晴らしかった。出された料理はどれも上品で、味も申し分なかった。その中でも二人が特に興味を引いたのは、ショクラタを使った煮込み料理だった。
見た目茶色い濃厚なソースはコクがあってフルーティーな酸味を感じ、お肉と果物を一緒に食べているような感じだ。そのソースがしっかりした味わいの赤ワインとマッチしている。
「ん〜お肉が柔らかくて美味しい! お肉に葡萄酒とショクラタって、意外とあうわね。この味なら羊や鹿肉にもあいそう!」
「こいつは驚きだな。辛口の葡萄酒によく合っている。味的にはハーブを使っても良さそうだ。今度ショクラタ買ってきてうちでも試してみるか」
しめのデザートは見た目茶色い丸いケーキだったが、ナイフを通すと、中からとろりとした甘いショクラタソースが溢れてくる、まさに濃厚で大満足な一品だった。
⚔ ⚔ ⚔
店内の音楽がムード的な音楽へと変わってゆく。
少し落ち着いたところでアーサーは店員を呼び、何か指示を出していた。少しすると、セレナの元に何かが運ばれてきた。
彼女がそれを見ると、目を輝かせて喜んだ。彼女の腕の中には十二輪の大輪の薔薇の花束が収まっていたのだ。
コルアイヌでは、十二輪の薔薇を恋人に贈ると幸せになれるという言い伝えがある。それぞれの薔薇には一輪ずつ 「感謝、誠実、幸福、信頼、希望、愛情、 情熱、真実、尊敬、栄光、努力、永遠」という特別な意味が込められているのだ。
「すっごく綺麗ね! アーサー。どうもありがとう!!」
「それと……これを、良かったら受け取ってくれないか?」
アーサーの手元には、手のひらに収まる紫色の小さな箱があった。セレナの背中に電気のようなものが走った。
「え……? これは……」
セレナが恐る恐る受け取った箱の蓋をゆっくり開けてみると、中には小さな指輪が入っていた。小さなアクアマリンとアメジストが中央にあしらわれている上品なデザインだ。
十二輪の薔薇の花言葉は「日ごとに強まる愛」「私の妻になってください」。そして指輪ときたら……。空色の瞳が涙で揺れ動く。
「アーサー……!!」
「遅くなったが、俺と一緒になって欲しい。セレナ」
「勿論よ……! とっても嬉しい……!!」
アーサーがセレナの左手の薬指に指輪をはめてやると、丁度いいサイズだった。セレナは指輪をはめた手を明かりに照らしてみたりと、すっかりはしゃいでいる。その様子を見ながら彼は眩しそうに目を細めた。
「ああいけない! アーサーにも渡さなきゃだわ。先に渡そうと思ったのに……」
セレナはアーサーに小箱を手渡した。
開けてみると、一粒一粒が宝石のように美しいショクラタが並んでいる。彼はそれを見て白い歯を見せて微笑んだ。
「ありがとう。後で頂くことにするよ」
「何か、あなたからたくさんもらっちゃって、悪いわ」
「そんなことないさ。俺は君の笑顔を見られるだけで充分だ。君から貰ったのも、後で一緒に食べようじゃないか」
「ええそうね。そうするわ」
二人はゆっくりと手を取り合い、空色の瞳と紫色の瞳がゆっくりと見つめ合った。
「アーサー……」
「セレナ……」
店内の音楽が穏やかに奏でられる中、二つのシルエットが一つに重なった。
こうして、コルアイヌでの豊穣祭の夜も静かに更けていった。
――完――
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