「クニゲイ」少年ジャンプに掲載された投資の真実

この漫画作品は投資関係の作品ではないことを最初に言っておきたい。

大学の映画学科に進学した若者の物語である。


投資漫画は「インベスターZ」が有名だがそれは別に書く。

ちなみにインベスターの作者はドラゴン桜で有名な三田紀房だが、

投資手法に関する彼の知見は、その道のプロや経営者に話を聞いただけの「実際にやったことのない初心者」のレベルなので投資の参考にならない。

ただし、経営手腕や哲学だけは参考になるものが多い。


俺はジャンプアプリはゴールデンカムイ(日露戦争帰還兵の主人公がアイヌ少女と共に北海道、樺太をめぐり、埋蔵されたとされる黄金を探す物語)を読むために使用している。アプリでは新規連載する作品が無料で読むことができる。


無料作品を読むとポイント(ポイント数に応じて漫画を読み進められる仕組み)が

得られるため、「クニゲイ」もまた典型的な駄作であろうと適当に読み進めたところ、作中に明らかに一線を画すキャラクターが登場した。俺は、彼が映画製作者のみならず投資家や経営者としても有望であると第一話を読んだ時点で確信してしまう。順を追って説明しよう。


物語から参考になる部分をそのまま載せる。

まず入学式の時点で教授の説明。


「映画学科の説明は以上だ。じゃあ、最後に一言。日本の映画界に夢はありませ 

ん。低賃金、過酷な労働環境。パワハラ、セクハラ、乗り越えたとしても、監督になれるとは限らない。もしなれたとしても、映画監督だけしていられる人はごく少数。CMやその他、様々な仕事で製作費を貯めながら活動している人も多い」


「君達が目指すのは厳しい業界だ。もし生きたいのなら覚悟を決めろ」


(*´Д`)【覚悟を決めろ】この一言を覚えておくこと。


学生の反応

「全然一言じゃねーし。入って早々あんな言い方して脅かさなくてもいいのにな。

 みんな引いてたじゃん」


主人公の男子

(俺は高校時代に高校生映画祭で優秀賞を取った。

 だから俺は他の奴らより余裕がある。大学はAO入試で合格した。

 俺って才能あるよなー)


早速、学生同士で集まり、新入生の飲み会を開く。

これがまさしく「有象無象」「烏合の衆」の集まりの典型例。

主人公は彼女が欲しいとの理由で会合に出席し、互いの作品について

意見交換をすると言うより適当に褒めあって親交を深める。


なるほど。確かに親睦の輪を広げると言う意味では有意義なのだろうが、

学生としていられる時間には限りがある。真に厳しい業界で働くと決めたのなら、

今は一分一秒が惜しいはずだ。


大学の授業で次の課題が出される。

「1分半の映像で自己表現をすること」

教授が言う。「この映像で君たちが何を表現できるのか見させてもらう。

あくまで同業者になるものとして意見させてもらう」


講評会が始まる。先生方による酷評。

「高校で打ち込んだバスケを通じて私を表現した作品?

 正直これじゃただの記録というか、自分の試合映像つなげただけ。

 それ以上でもそれ以下でもないという印象」


「特撮をモチーフにしたのは理解できるが、技術が完全に追いついていない」

「悪くはないが、発想がテンプレート過ぎるので独自性を」

「これが君の追い求めるものなら、映像的センスを疑う」


主人公の作品が上映される。

(……俺は他の奴らとは違うはずだ)


「君は何を表現したかった?」 彼の予想に反して酷評が始まる。

「質問を変えようか。どうしてこの音楽を使った? 

 このロキソ…なんとかっていうバンドの」


主人公「い、いや。高校の時。その。

このバンドの歌詞に救われたことが何度もありまして…」 その後、沈黙。


「課題は自己を表現する映像なんだけど、他人の曲を使う意義とか考えた?

少なくとも僕にはその意義が感じ取れなかったな。君の作品は音楽が主役で

映像がただ編集されてた曲に乗っているだけ。何度も言うが自己表現なんだよ。

君自身ことが何も伝わらなかったこの作品は、他学生と比べても低レベルだと言っていい」


「なんにせよここは映画学科だ。

 つないだだけの映像を作りたいのなら専門学校にでも行った方がいい」


次に大澤 門(おおさわ かど)の作品が上映される。

大澤門は、いきなり本人が無修正の全裸で映像に登場し、身体中を

陰毛を含めた部位までバリカンを使って自ら脱毛するという、奇怪な映像を作った。


しかし登場した大澤門の頭部には、ぼさぼさの黒髪が生えている。


教授「あれ、君、毛生えてるね」


大澤門「あ、これずらです。上映前に内容ばれたらつまらないと思ったので

作りました。高かったです。ちゃんと作ったので」

かつらを外して見せる。中身は坊主頭になっていた。


「それだけのために、そんな本格づらまで作ったの? やるね~」


別の教授

「なんで眉毛だけの子新たんですか? 何か意味でも?」

大澤門

「生活に支障でそうなので。眉までやると」


教授。笑いながら

「そこまでやって生活の影響と考えんなよ!!」


玉川さんと呼ばれる教授が初めて声を発する。

「きみは、そのままいきなさい」


大澤門は大人たちに初めて認められた学生となる。


その後、新入生たちが飲み会を始める。

打ち上げという名目だ。彼らは何一つ成果など出せなかったはずだが、

何の打ち上げなのか理解に苦しむ。


主人公はこう思う。イライラしながら

(大澤門の作品、あれが芸術ってことかよ。珍妙なで難解なものが評価されるってか? 俺はもっとわかりやすいエンタメがやりたいんだよ……!!)


この飲み会、なぜか大澤門も参加している。


学生ら

「なんだって教授注目の門君だもん。俺笑っちゃったしさー」

「すごかったよね~」

「玉川教授がしゃべったの、あの一回きりだしね。

 私、感動すらしちゃったよ~」


大澤門

「うれしいな。感動しちゃったんだ。俺のあの作品の一体どこに?

 具体的に教えて?」


「え……。いやまだ第一課題なのにあそこまでやるのに度胸というか

 根性というか、私感動しちゃって」


「なるほど。あなたは俺の作品ではなく、同級生の僕を思って感動したのか。

 まあ……そうか」


学生ら

「お、俺なんて映像的センスがないってさー。さすがにヘコんだ~」

「生徒に向かってセンスないとかひどすぎるよね」

「あーそれは私もそう思う」


大澤門

「たぶんさ、ちゃんと研究しないで作ってるからそう言われたんじゃないかな?

山田君カメラを手で持ってぶんぶん振り回し過ぎなんだよ。酔うし、ただ見づらいだけ。しかも質疑でそれをドキュメンタリーって言ってたじゃん。の割に既存のドキュメンタリーを研究したようには見えない。だからそれをセンスがないって教授は表現したかったのかもね」


主人公(馬鹿が。空気読めよ。

この場で誰も本質的な意見なんて求めてないんだよ)


学生ら

「私、主人公君の作品良かったなって思う」

「編集うまいって言われてたし。映像も見やすい」

「うんうん。私もそう思った」


大澤門

「俺も編集【は】うまいって思ったよ」


主人公。腹を立てながら

「どういう意味だよ?」


「編集以外はつまらないってことだよ。表現したい中身が別になくて、編集と

エフェクトで外見だけそれなりに取り繕ってある。お前の作品はまるで綺麗に放送されただけの空箱みたいだった……。なんで作品がそうなるか、教えてやろうか?」


【大学デビューで見た目かっこつけて、学内で自分の位置で自尊心を満たしてて

一度の入賞経験でちやほやされて、浮かれて、つけあがって】


【作品を取ったお前自身が他人からの見られ方だけ気にした、

 空っぽ人間だからだよ】


学生

「私の友達にひどいこと言うのやめて!!

 みんな一生懸命作ったのにひどい!! 私もう帰る!!」


その子につられて他の有象無象も帰ってしまう。主人公は残っている。


大澤門

「大学の飲み会っていうのを体験してみたくて来たけど、傷の舐め合い大会だな。

キメェ。お前ら気を使いあってお互いの作品に思ったことも言い合えないだろ。

何それ、友達の意味あんの?

無駄に群れて、仲良くぬるま湯つかって満足か?

お前らってさぁ、いや……特にお前(主人公に対して)なんで映像撮ってんの?」


主人公。それから彼の言葉が頭にはなれなくなる。

大澤門の言葉は絶対の真理だからだ。自分が本気で映像づくりをしてなかったことを認める。後日、自分が映像づくりを始めた理由を大澤門に伝える。子供の時家族で見に行ったアメリカ映画に感動したからその感動を今度は自分で作るために

映画監督目を目指していると。大澤門はこう答えた。


「俺はその理由、死ぬほど嫌いだ。カガミダイスケ。

やっぱりお前は、からっぽだよ」


大澤門はなぜ全裸の動画を作ったのか。それには深い意味が込められていた。

大学側からの課題の1分半の動画で自分を表現する手段は限られているので

奇策に出たのだ。


見た目、恥、プライド、体裁、評価、成績。

彼にはそんなくだらないものは一切興味がない。上映された教室の隅で

彼が見ていたのはおそらく、観客の反応。観客は驚くか笑っていた。

心を動かされない者は誰もいなかった。


主人公は自らが無能な馬鹿であることを自覚し、空っぽから脱するために

頭を丸刈りにすることを決心した。彼は生まれ変わったのだ。


ここからは筆者の酷評となる。

この作品から馬鹿の本質を見抜く。


①群れる


群れる連中。彼らは例外なく有象無象の群衆である。

投資の掲示板においても高値の株を追い求め、安くなって誰もいなくなった銘柄を絶対に買おうとしない。たくさんの人と群れてうわべだけの関係を築いても本質的な議論はできないので発展や向上がない。彼らは4年間大学に在籍してもお酒の飲み方や彼氏彼女の作り方だけを学んで「映像学科」の技能は何も得ないで卒業することになる。その他大勢の出来上がりだ。


【ひどことを言ったら○○君が傷つくからさー】

それの発想が本人を堕落させる。結果的に彼の将来を傷付けてる。

多くの日本人は本音で語り合うことを嫌うので成長がない。


②少数意見、反対意見を否定する


頑張って作ったんだから酷評されるのはおかしいと女子が言った。

ひどいひどくないの感情的な話はどうでもいい。親が高い学費を払って(もしくは奨学金)子供を専門教育委金に送り出したのは映像制作技術のみならず、人間として成長してほしいからだ。


成長するために必要なこと。

・現状の認識(作品制作の稚拙さ、人生経験の欠如、頭の中身が空)

・そのための対策。大澤門との違いは何か?

・そもそも自分は芸術学科に在籍している意味があるのか?

・自分も群れてる連中と同じレベルだと認識ができるか?

 自分も馬鹿の一人だと正しく認識ができているか?


以上の判断ができた場合、「飲み会」と称される無能の集会所から脱して

その時間を他の有意義なことに使える。大学4年間。無駄な時間を使った人と

見聞を広めるための旅行や就労経験を積んだ人とでは致命的な差が発生する。


旅行に行っても、ただ飲み食いして遊んでるだけでは無意味だ。外国の料理など日本にいても食べることはできる。歴史、宗教、地理など深い面で海外を観なければ意味がない。時間のある大学生ならワーホリで就労経験を積むのが最適だとされている。【集団で行く場合は就労も旅行にしても、だいたいが何も学べず無駄に終わる】

少なくとも治安のよい国内旅行での最適解は一人旅か、よくて二人旅である。


そもそも友達と呼べる人間は自分と同程度かそれ以上の人間であるべきだ。

筆者は大学時代の友人は新しく知り合った2名だけに限定して高校時代の人は全て縁を切った。


筆者は無意味な人間と過ごす無駄な時間を殺して大学の図書館を積極的に活用し本を読むだけでなく無料の映画も観賞した。羽生市に戻ってからも市の図書館で本を借りる。大学からの帰り道に都内の書店によってさらに本を読む。実家では休みの日に祖母の農作業を手伝って体を鍛える。筆者と他の37歳とでは、読んできた本の総量が異なる。これだけで他者に対して知的なアドバンテージを得ている。


しかも筆者の場合は同じ本を8回以上は読むので内容をだいたい暗唱できる。

暗唱できるほどではないと読んだのレベルにはならず。ただの通りすがりとなる。


ただ本を読むだけではなく、畑仕事、体操、ウォーキングなどで今も体も適度に鍛えている。精米の時、30キロの米袋でも平気で持ち上げてしまう。

腰を痛めないための科学的、実践的なトレーニングをしているため腰を壊した経験はなく20代の時と変わらず体は強い。健康維持のため野菜中心の食事を好み、酒たばこは一切やらない。その他大勢がやるプロテインの摂取など愚の骨頂である。筋肉がただ大きければ健康だと思うのは医学的にも大変な誤解で知性が乏しい。


心身共に鍛えなければ優れた頭脳は発揮できない。

ただ知恵だけつけて手足が枝のように細い人間を俺は嫌う。

今時の若者は10キロの荷物を持ち上げただけで簡単に足腰を壊す。


明治以前の女性は毎朝井戸へ水を汲みに行き、風呂をたくにも井戸水を持って歩いた。女性の力では大変な重さだった。洗濯をするのも真冬では手が水で凍り付く。

現代人は明治時代の人に比べて日々の歩数が半分もないので軟弱化している。

今の平均的な男性は、明治時代の女性より基礎体力や腕力で劣ると俺は考えている。


投資家で老後を迎えた人は、毎日1時間、5キロ程度散歩するのが好ましい。

世界一の投資家のバフェット氏も散歩を好まれている。90歳を過ぎても元気だ。


健康寿命を延ばすことで結果的に配当を受け取る期間を延長できる。

長期投資、配当金投資をするうえで健康であることは最も重要となってくる。

不健康で配当を受け取っても人生の価値は半減するが、多くの投資本や

インフルエンサーは健康と投資の関連性について指摘しない。これも馬鹿である。


現在の平和な日本に生まれて、若い時から大酒を飲み、深夜遅くまで騒いでいるような人間は投資に向いてない。失礼な話だが、あの永守さんにも大酒のみだった時代があったそうだが、あのお方は40代の時に禁酒を断行している。


不健康にならないための実践法は簡単で、運動と健康的な食事を心がける強い意志を持つことは大前提となるが、そのうえで不健康な人のやってることを反面教師にすることが望ましい。投資と全く同じ手法が健康法にも通じる。俺は片頭痛持ちだが、頭の容量を超えた情報を仕入れると爆発することが判明。決算シーズンでは

相場を離れて体操、散歩、セブンに行って甘いものを食べたりと対策法を次々に実践している。毎年5月は頭痛が爆発するのだが、今年は例外的にこれを脱して軽い頭痛で済んでいる。



③他の人がやってることが正しいと思っている


投資ではこうだ。他のみんなが買ってるから。

通販ではこうだ。他のみんなが買ってるから。

経営ではこうだ。他の経営者もやってるから。


典型的な思考停止である。

それは自分の頭で考えてやったことではなく、人のマネである。

今、世にあふれている映画、ドラマ、漫画、小説のほとんどが

「どこかで観たような作品だな」と思わないか? それは作者の人生が

うすっぺらいので、他人の映像を見てそれを参考に自分の映像を作っているからだ。


自分の人生の深みが何も生かされていない。平和な日本で不自由なく育った人に深みなどない。道端に生えている雑草程度の価値しかその人にはないことを自ら証明してしまっている。作品を通じて語るだけの自分の経験が何もないのだ。


彼らが作ろうとした作品は、すでに誰かが作った作品だ。だからつまらない。

そういう人間はまず話の内容がつまらない。ためにならない。

なのに自意識過剰で「自分は他とは違うはず」とどこかで信じている。

そんなことはない。ただの空っぽ人間だ。


スーパーで安売りしているピーマンやナスの方がまだ価値がある。

駄作を読むより野菜を摂取した方が健康になれるからだ。


投資においては戦略を練るための自立思考が必須のため、

自営業タイプの人間が向いている。また確固たる信念と哲学が必要となる。


他の人がやってることが正しいと思う人は、哲学がない。

こう生きるべきだと目標も信念もなく、ただ流されて生きている。

投資を始める際も哲学なしに相場に踊らされて右往左往する。


君達も今まで大量の含み益を得て「利確したい」との誘惑にかられるだろう。

そこで理由もなく売ってしまうのであれば烏合の衆の仲間入りとなる。

その株を買った時点か、PFの運用方法を確立した時点で売るべき時の

ルールは事前に決めてあるはずだ。すなわち出資先企業の業績見通しに限界が来た場合や経営リスクが発生した場合である。その際の判断はリーダーの俺が実行する。

1000人の無能の意見より、たった一人の優秀な人の意見を聞く方が理に適う。



④時間の無駄に気づいてない。


Aパターン(日本の大半の大学生)

大勢の男女で飲み会に出席する。SNSで頻繁に連絡を取る。

お酒は飲むが運動はしない。日付を跨ぐ時間まで起きている。

常に友達とつながっていることで有意義な時間を過ごしていると思っている。 


Bパターン

早寝早起きを基本として運動を日課として健康に気を遣う。

友達とSNSをやる時間が無駄なのでスマホはあまり触らない。

勉強も運動も趣味も基本は一人で行う。馴れ合いを好まない。


世間の誤った認識。例えば企業面接において大人が言いそうなこと。

「Bパターンは友達がいなくて孤独な生活を送っている。

 そんなでは社会ではやっていけないよ?」

 

ところが、投資で成功する人も、経営で成功する人もBパターン、すなわち

世間で考えられている常識が謝っていると正しく認識できている人たちだ。


暴落ハンターぼうら君、バギーオジことケンケン、旧ひよっこさんなどは

例外なくBパターンに属している。彼らが友達を大勢集めて飲み食いして

騒ぐなど自民党的な行動をとってないことは諸君らも知っての通り。

賢い人は無駄に群れることをせず、世間と逆の行動をとっている。


Aパターンの人たちは岸田政権の悪口を言いながら今頃NTTを売っているはずだ。

なぜなら掲示板で多くの人がNTTを売るべきだと言っているからだ。


経営の世界においても、その他大勢と同じ考えを持ってる人は、あおぞら銀行や

農林中央公庫と同じような決算書類を提出することになる。保有債権の損切りをしたら上司に怒られる。私の信用が失われる。私の評価が下がる。短期的な損失を恐れて長期的視野に立ち判断ができないのは頭が悪いからだ。22年度の時点で早めに外国債を損切りしておけば今のようにならなかったのに、その判断ができないのは嫌なことを後に回してしまう愚図の証拠である。


優れた経営者はその他大勢が考えていることを絶対にしない。

マーケティング戦略を練るのも独自性が必須。その他大勢が考えている商品などすでに世に出ていて継続的な売り上げなど上がらないことを知っているからだ。かつて稲森和夫さんが世界の誰も注目していなかったファインセラミックに価値があると見出したことに理由。「まだ世界の誰も注目していないことを、自社なら開発できると確信したからだ」初期の赤字に耐えて耐えて耐え抜いて黒字化を果たし、現在の世界トップのシェアがある。経営は決して平たんな道のりではないのだ。


Aパターン。

こちらはなれ合いで本質的な話し合いが何もできないお友達たちと関わることで無駄な時間を使っている。結果的に4年間在籍しても大学生活で得たものが何もない。

しかし企業面接では友達が多いことは人事にプラスと評価され採傾されやすい傾向にあるが、その会社は当然底辺レベルの中小企業となる。


Bパターン。

こちらはなれ合いがないので他者に対して気を使う必要がなく、自分がやりたいことに専念でき、また時間を無駄にしないことで多くのことを学ぶことができる。もちろん同じレベルの友人と出会える幸運があるなら少人数のサークルは形成するべきだ(現在の投資の意見箱のように少人数制がベスト)孤独でいることを肯定しているのではなく、有象無象と群れる有害性を俺は指摘している。


筆者が好む旅系ユーチューバーや、ティックトックで成功している投稿者たちも

Bパターンに属している。優れた芸術家や漫画化などもBだ。

野球ではイチロー選手が圧倒的にBパターンに入る。

血液型においてもB型の人間がこのタイプには当てはまることが多い。


大学生を例にした具体的な差を考える。


飲み会に使う無駄なお金を投資に回したら?

まだ若くて投資ができないとしてもそのお金を貯金したら?

その時間を資格など専門知識を得るための勉強に使ったら?


俺は無駄な時間を英語の勉強に使った。その他大勢がやる資格のための勉強ではなく話すための訓練をひたすら行った。卒業後も続ける。英語が聴きとれるようになってニュースサイトから情報が得られるようになったのは28歳の時だった。

英語を話す奴らの考えや発想が手に取るようにわかってしまう。世界が広がる。


今の若者で致命的なのは、自分にとっての最高に貴重な時間をスマホのSNSでのやり取りやゲームに費やしていることだ。やってるゲームも他の人がやってるからとなんとなくやってるだけ。映画や音楽も小説も自分自身で本当に選んだものはおそらくない。驚くべきことに趣味においても自立思考ができてないパターンとなってしまう。


長期的視野。


1日5分の読書、1日5分のラジオ体操。合計10分。

毎日やったとして年間で3,600時間となる。これを30年続けたら

108,000時間分の運動量と読書量となる。仮に何もしない人との差がすごい。


ラジオ体操を続けた人は老後にも足腰が強いだろうし、

知識の面でも大人と子供くらいの差が発生するので同年代とは思えなくなる。

多くの老人は退職後に足腰が弱って歩けなくなるが、特に男性は家事をやらずに家にいて、かといって筋トレや散歩などの有酸素運動をせずにその他大勢の堕落パターンに陥っている。足を使わないとボケが進行すると九州大学の研究で判明している。


Aパターンの人は世間に流されるままに生きて老後破産する可能性がある。

しかし日本や多くの国の常識ではAパターンで投資が成功すると考えている。

みんなで相談したらよい意見が出て投資の判断に役に立つと思っている。


全くの見当違いである。大学卒業後に直ちに起業する若者は90%がAパターンである。自分は人望があると言う。全く違う。うわべだけの友達が多かっただけで本人にも友達にも人間性は皆無だ。だからグロース市場が最安値を更新し続けている。

金利高だけが影響ではなく企業そのもの、経営者そのものが「からっぽ」だ。


世間とは無知、無学、無能、阿呆、馬鹿の集まりである。

先進各国で存在するエリートの率は人口で6%とされている。

これは自分の頭で考えられる人間の総数として過言ではない。


世間に合わせる、世間と同じで痛いと願う、世間に依存した生き方そのものが堕落である。Aパターンで生きる日本人の99%は一生会社に使われるだけの人生を送って寿命を迎えることになる。俺の予想ではAパターンの人は株式投資も不動産投資も企業経営、芸術など創作活動もできないことから、その多くが老後に破産してホームレスになる。


今の日本の財政を考えるとAパータンで人生を乗り切れた高齢な昭和世代と異なる生き方を模索する必要がある。時は金なりの言葉が示す通り、エリート経営者は時間を無駄にすることを命を削ることだと認識する。


トヨタはBパターンの世界王者の一角であり、トヨタでは膨大な分量が必要になる会議資料でさえ、紙一枚に綺麗にまとめることを要求される。会議の時間が無駄だからだ。世間では会議は数時間やるものだとされているが、トヨタでは30分程度で済ませてしまう。これだけでも時間面では1年間でみて致命的な差となる。今この瞬間も無駄な会議を続けている企業はこれから倒産していく会社に入るだろう。


⑤覚悟がない。危機感がない。メンタルが弱い。失敗を受け入れない。


今なら友達と楽しんで遊んでて大丈夫。いつかはやる。

こんな発想をしている人間は一生努力ができない。我々でいうなら2030年で来るであろう市場の大暴落を明日のこととして対策を徹底する。30年に予想を超える暴落が来て資産額が大きく減った場合は、次の2040年に向けてまた新しい対策を練る。株を買うのにも覚悟が必要だ。明日暴落が来たら半値になってしまうし

配当が半分になるかもしれない。金と資本主義の社会では命である。

自らの死を覚悟したうえで買う。


軽い気持ちで企業経営に参加する者、後継者として経営を引き継いだが能力のない者、官僚主義がはびこってるであろう住友化学や農林中央公庫など、これらの企業には「覚悟」がない。この事業に失敗したら自分は最悪死ぬ。死んでもかまわないと、そこまで覚悟を決めたのならもう前に進むしかない。


成功する人間に共通することは前しか見ないことだ。

事前に失敗した時のことも想定するのは当然だが、失敗した場合に失われるものよりも得られるリターンの方がはるかに大きいと判断し、熟慮の末に事業を起こしている。


劇中の会話

「一生懸命に映画を作ったんだからひどいこと言わないで!!」

これも軟弱者の思考であり、仮にも高校生活を終えて18歳にもなった人間が

大学1年の春にほざく内容ではない。作中の学生は、そこから一歩前に踏みでることができなければ社会の歯車として99歳まで働く運命となってしまう。


彼女の発言そのものが、日本の狭い常識で育ってきた負け組人間のサンプルとなる。

英語、スペイン語、ドイツ語などを通じて見分の余地を世界を広げてみると、

世界に行かずとも日本の狭苦しさが痛いほど伝わる。聖書を読むだけでも世界が

ひっくり返ったかのように変わる。歴史と宗教の与える影響は大きい。

日本にいても外国人と会話するだけで外国のことをたくさん知ることができる。


軟弱者の彼女の場合は、まず恥を受け入れて大澤門のすごさを知ることだ。

なぜ大澤門の作品だけは教授に酷評されなかったのか。

どこにその違いがあるのか。教授の語る言葉の意味は?

筆者ならば必ずそう考える。


まず反省し、敗因を分析し、次に対案を考え、実行する。それでも間違えた場合は

また振出しに戻ると同時に、その業界で最も優れた人の意見を参考にする。

作中の学生は馬鹿である。すぐ隣に大澤門という名の優れた映像作家がいるのに、

彼をひどい奴、空気が読めない奴と否定してしまっている。その発想が底辺である。


女性で多いのが以下の思考パターン

①周りの人と同じでいたい(でも自分のレベルは友達を上回ることが好ましい)

②周りの人から外れたくない(無理をしてでもママ友と海外旅行に行く)

③周りの人と一緒にいないとダメ(別に一人で行動しても問題ない)


女性の思考パターンで多いのがマウント思考である。

共産主義者のように差別のない関係を望む一方で、腹の内では他者より優位に立ちたいと願っている。他人と優劣をつけることを好む一方で、自分が劣等の立場に置かれたくない、あるいは他人が劣等となった場合に可愛そうと思うのだ。


こと投資において、以上の発想をする女性の99%はAパターンの負け組となる。

中には主婦でも投資成功者や起業成功者がいるだろうが、その人たちが

残された1%のBパターンであることは言うまでもないだろう。

投資で必要なのは雑魚の情報ではなく、マーケットの変化や企業の業績である。


大澤門が劇中で語るように、自分ではなく人からの評価だけを気にして

自分が本当にやりたいことは何もできてないのだ。まさに社会の操り人形のごとくで、「大澤門は最低な奴ね!!」と語るのも、所詮は周りの意見や常識に合わせただけの、全く見当違いな評価であり、自分らがバカなことには絶対に気づかない。


馬鹿な女性の典型パターンは、自分の存在を、他人から評価してもらうことでしか考えることのできないことにある。鏡に映った自分の姿にだけ興味があって本質を見ようとしない。これは投資をするうえで何の役にも立たない。なぜなら家庭環境や資産額や職業のことは各人共に違うからだ。前提が違う存在同士で比較することの意義はないし、その発想をする時間が無駄となる。


失敗を受け入れたくないのも、弱い者の典型。

講評会で間違いを指摘された学生たちも、あれはひどい先生だなと

思うだけ。それからどうしようかと反省、対策する発想にならず、

傷の舐め合いをするための飲み会を実行してしまっている。


もし飲み会参加を断ろうものなら

「飲み会に参加しないなんて空気読めないな!!」

「普通は参加するでしょ」

「あいつ、空気読めなくてキモくね?」

と彼らは語るのだろうが、その空気とやらはAパターンの負け組そのものである。


教授たちは学生に反省してほしくて酷評をしたわけで、彼らに成長の機会を与えたのに何に対する打ち上げなのか。本当に理解に苦しむ。打ち上げをする価値があるのは

入学時点の成功者ともいえる大澤門だけだろう。


スタートアップ企業の経営において、まずは資金集めから始まる。実績もない会社なのであらゆる金融機関や知り合いに頭を下げて事業資金を集めないといけない。恥もプライドも外聞も体裁もすべて捨てる。そこから企業経営がスタートする。しかし多くの若者は失敗を受け入れたくないし恥もかきたくないので頑張らない。


株も同じで、含み損を受け入れたくないからすぐに損切りして結果的に

名に手に入れることができず、毎年損失を拡大させている。毎年のことなので

自分の過ちにそろそろ気づけばいいのだが、それでも自分を否定しようとしない。

こういう人間に正論を解いたとしても馬の耳に念仏になる。なぜなら


「どうして私のやってることを否定するの!?」

となるからだ。まず否定されたことに過剰反応を示す。

投資においても経営においても正しいか間違ってるかの2択しかない。

それをどうしても認めたくないのなら、老後に破産する道が残されている。


数学的、統計的に自分の投資、例えばFXやデイトレで資産を積み上げることができないことは証明できているはずなのだが。なぜ数字を使って将来予測をしないのか。

歴史から事実を学ぼうとしないのか。専門書の読まずにネットで情報商材に手を出すのか。


⑥過去の成功体験にとらわれる。


主人公がそれだ。彼は高校時代に作った映画作品が入賞したので自意識過剰となっていた。高校生のレベルとプロは違う。ならば、なぜ甲子園で最高の選手だった人がプロ野球で通用しないことがよくあるのか。それは、高校時代の彼のプレイスタイルはすでに全国で中継されており、ビデオで研究されまくっているからだ。


高校時代に通じた技がプロの世界で通用するわけがないのでやり方を変えるしかない。「俺は今までこのやり方でやって来たんだ」と固辞すると負け組に転落する。

自分の頭で考えて、自分の過ちに気づき、反省と対策を続ける人は1軍に残れる。


若い時のラッキーパンチと、生涯続く成功の道は異なる。


うちの会社はこの製品を出してヒットした。今後もどんどん生産するぞ!!

→ その後、他社にコピーされて同商品の流通量が増え、市場価格が暴落する。

大量に作った在庫が減価していき、棚卸資産として計上され赤字となる。


農林中央公庫

「今までは債券投資でうまくいってたんだ。これからも外国債券を持ってても大丈夫だ。FRBは23年から利下げするはずだから大丈夫だ!!」


→23年に利下げはなかった。24年に利下げする可能性は、ほぼ0となっている。

21年のインフレ転換時にもう世界はゲームチェンジしているのだが、農林の経営者の頭の中は19年以前の各国の低金利、債券高の時代が頭にこびりついて離れない。低金利の時代はすでに終わっている。将棋とオセロの違いが分からないのだ。

爺さんになると時代の変化についていけなくなるが、それは頭の悪い爺さんの話で、優れた経営者の方々は全く違う。


「俺は短期売買の天才だ!! スイングトレードしたら株で儲かるんだ!!」


→その利益に再現性はない。下落相場はどうする。空売りして儲けるのだろうか?

筆者なら10年先まで保有株の株価が1円も上がらない想定までして

配当再投資を継続する。毎日最悪の事態を想定して相場に臨む。


大企業に投資をしておけば大成功だ!! 

これからも問題がないんだから決算書なんて読む必要なくね?


→ セクオスHD,住友化学など堕落企業はたくさんある。

戦前のフォードは自動車のシェアで世界トップだったが現在は8位にまで転落して

市場暴落時は無配の時期もあった。フォードモーターズは全米で最も財務健全性の高い銘柄と言われていたが、フォードでさえ無配になる時期が確かにあったのだ。


経営に絶対はない。筆者は、保有する40銘柄の株が決算ごとに問題があったら即損切りする覚悟で決算書を読んでいる。だから俺は分析後に100点とか保持継続と書いている。今年が大丈夫でも来年は変わらない。今年投資で500万のリターンが稼げても2年先は-500万になるかもしれない。-1000万となるかもしれない。初めから全滅覚悟で戦う。全滅の覚悟があれば、多少の含み損など大した問題ではない。好決算ならなおさらだ。


「世界分散型」

「日本外需株」

「リスク低減型ETF」

「日本成長株式」


膨大な時間と経験をもとに作成した4つのファンドを運用しても尚安心することはない。常に生きるか死ぬかの緊張感を持つ。楽観などもってのほかだ。


俺の投資の哲学。投資の手法においても、今までがたまたま成功したのであって、

これが来年以降も成功するとは限らない。だから俺はマーケットの見方も3時間ごとに変化させ、常に自分が間違っているのではないかと自問自答をしている。

答えはない。哲学者のごとき自問自答の繰り返しが投資家を強くする。

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