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 私は思い出す。二十歳になり、ようやく自分だけの家を建てられた日のこと。

 まず最初に、実家から持ってきた全ての荷物を選別した。いくつもの段ボールが積み上げられたけれど、大半は本だった。紙媒体の本というものはとにかく嵩張るし、驚くほど重い。こんなに小さな媒体なのに、十冊も集まればどんなスマートデバイスよりもずんぐりとした鉛に変わる。

 不必要なもの、端的に言えば私のに相当するものをまとめ上げ、庭へ運んだ。

 レトロなフォトアルバム。忌まわしくも、写真を現像して保管する、という文化はしつこく残り続けている。いずれレンズ型のデバイスを付け、瞬きする間に撮影出来るような時代が来ると言うのに。人々は埋葬された過去を掘り起こさずにはいられないらしい。


 私はアルバムを全て燃やした。小学校の写真。中学校の写真。その他、賞状やら手紙やら。アナログなこの世界に存在する、間違いなく存在してしまっているアナログな記録たちを、私は燃やした。

 それは生前葬のようにも思えたけれど、若干異なる儀式であると考え直した。私。写真や書類に刻まれた、かつて私に与えられた名前は、この火葬をもって完全に消失する。誰かがネット上に私の名前を残していたとしても、それがどこの誰かを追跡する事はもう出来ない。かつての名前は、いつ変えるかも分からないアナログなだけに残された。しかしそれも時間の問題だろう。人間はどうでもいい事なんてすぐ忘れる生き物だ。


 その日は笑ってしまうほどの晴天だった。

 そのまま何処かへ駆け出したくなるような、心地良い気温だった。

 私は燃え尽きた灰を土の中に埋めた。ここまで埋葬の所作をなぞってしまっては、いよいよ墓標も必要になるかもしれない。取り急ぎ、埋めた土の上に手頃な石ころを置いた。次の日には風で飛んでいるかもしれないけれど、その程度の追憶ブックマークで十分に思えた。


 家の中に入り、まだ傷一つ無いフローリングを歩いた。どの部屋にも誰もいない。ここには私しかいない。それが何よりも喜ばしくて、スキップでもするように、鼻歌でも奏でるかのように、私は天井から縄を吊るしてみた。輪っかを作り、首に通してみた。椅子を蹴飛ばせば、自らの体重が頚椎にフィードバックされる。酸欠でも血管の圧迫でもなく、頚椎の損傷により人は死ぬ。どうやらそうらしい。

 あるいはリストカットの場合、血液の不足により死より先に意識を失う……らしい。地上十メートルから飛び降りた場合、地面に着くより先に本能的な機能により、やはり意識を失う……らしい。

 みんなして一度は経験したかのように語り出す。イルカは片目だけ閉じ、脳の半分だけ睡眠状態にしてもう半分は覚醒した状態で泳ぐ。それを左右交互に繰り返す事で、半分の意識を保ったまま睡眠効果を得られる。そういう知識と同列であるかのように、皆嬉々として教え合う。


 それは死に関する知識への羨望に見えるけれど、恐らく違う。

 皆で聞きかじった知識を集約させて、最適解を知ろうとしているのだと、私は考えた。

 どんな死に方が一番苦しまずに済むだろうか。その答えを、誰しもが欲しているのでは無いかと考えた。


 けれど私はその反対の答えを見つけ出してしまった。死に対する最適解は未だ不明にして無銘だけれど、生に対する最適解ならば証明出来るかもしれない。

 それは物語を通じて伝播する。隊列のように、祝祭のように、整然と並ぶ私の同志たちはパレードの後ろへ続くだろう。


「いつか私を見つけるだろう、シャンパンみたいに光る星のもとで……」


 シャンペン・スーパーノヴァを口ずさみながら、私は縄を外した。この行動に意味はない。ただどんな気持ちになるのかを知りたかった。そしてわかった事は、死というものは現実性リアリティと反比例するのだという事だった。それは夢見心地のように曖昧な境界線で、息を呑む間もなく不意に実行される衝動なのだろう。

 私にはきっと、未来永劫選択できない結末だ。

 私は空想の世界と同じくらい、このどうしよない現実を切り捨てられないのだから。



 ――それから五年。あの時ぶら下げた縄は、多分物置のどこかにまだ眠っているだろう。使い道はないけれど、いつか本当に必要となる可能性もゼロじゃない。あとは単純に、どうやって捨てたらいいのか分からなかった。だって縄なんていう存在感抜群な物体を、燃えるゴミで出す勇気なんてなかった。

 もしも陽薫に渡したらどうするだろうか。これぞ文字通りの縄跳びだよね、なんて笑いながら二重跳びでも始めそうだ。

 くすっ。勝手に想像して笑ってしまった。私の頭の中にはいつだって空想イマジナリーな彼女がいて、私を笑わせてくれる。日常に色彩を与えてくれる人に出会えた事が、この人生で唯一の幸福かもしれない。

 ありがとう、陽薫。

 貴方がいたから、私も歩き出せるようになったよ。


「皆様、いよいよ明日に新刊が発売されます。そして一つ、特別なプレゼントをご用意しました」


 SNSへメッセージを打ち込む。アプリケーションのURLを添付し、続きの言葉を書いていく。


「デコレーションアプリ、スティッキーズにて限定のテンプレートを配布します。書籍の最終ページにあるプロダクトコードを入力し、ご利用ください。使い方は――」


 使い方は、物語の結末が教えてくれる事でしょう。


 送信ボタンを押すと、次々にブックマークやいいねが追加されていく。演説のように、集会のように、それは波打つ言葉の群れとなって周囲へ広がってゆく。

 スティッキーズ。以前に陽薫が教えてくれたアプリだ。複合現実上でデコレーションを楽しめるのが特徴だが、デコレーション用のテンプレートを自作し、配布する事も可能だ。これがまさしく私の計画に都合が良かった。

 自作したテンプレートファイルを確認する。ファイル名は、「ずぶ濡れの幽霊(レイニー・ゴースト)」。

 雨に打たれながら、雨の慟哭に押し潰されながら、私達は生きていた。その悲しみを、明日ようやく終わらせられるかもしれない。


 明日の天気予報は晴れだった。

 ならばきっと、素敵な一日になるだろうな。

 次々とフォローされていくスティッキーズのアカウントを眺めながら、私は胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 願いが叶う、その瞬間を一秒ずつ数えたい気分だった。

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