Episode 4 - Sleep Talk Metropolis
jb_13
「これまでコンスタントに作品を発表されてきましたが、今作までには半年ほどの期間がございました。何かこれまでとは異なる執筆体制などを行われたのでしょうか?」
映像通話越しに文芸誌のインタビューを受けながら、私は腕時計の必要性について考えていた。
若々しく、指輪や眼鏡にお金をかけていそうなこのインタビュアーは、最新のスマートウォッチを腕につけていた。女性人気の高いパステルカラーのバンドを巻いている。
スマートレンズによる複合現実が当たり前の世の中になっても、ウォッチやフォンと名の付くデバイスは無くならない。
それはひとえに、コンタクトレンズ型のデバイスだけで全てを賄えるほどのスペックが実現できていないからだ。AIとの連動により基本的な機能はペラペラのレンズですら実行できるようになったが、複雑な処理、例えば撮影した写真をマニュアル操作で加工したり、複合現実上にアバターを投影して試着を試したりといったものは外部デバイスに任せるしかない。
スマートフォンならばまだ分かる。アイトラッキングやバーチャルパッドでの操作はたまに面倒になる。古き良きタッチパネルという物理的な安心感からは、そう簡単に卒業できない。人間そのものが物理的な生き物である限りは、多分ずっと。
しかしスマートウォッチはどうだろうか。スマートとは言うけれど、あくまで時計だ。3Dゲームで遊べるような代物ではないし、「カークよりエンタープライズへ」というかつての憧れは、現実になると思いの外誰も使わない。時計に話しかけるなら携帯を耳に当てたほうが手っ取り早い。
ゆえに、この女性は何を思ってスマートウォッチを買ったのだろうかと考えていた。手を洗う時に邪魔だし、電池持ちは良くないし、カロリー消費量か睡眠効率を測るくらいしか独自性の無いものを何故使うのだろう。カロリーも睡眠も、計測したとて何かを改善するきっかけには早々ならない。計測して満足してしまう人が大半だ。それなのに、何故。
「特に理由はありません。これまで通りに執筆していましたが、結果として刊行ペースが半年空いてしまった。それだけの事です」
思考を脳の端っこに追いやり、私は答えた。半分は本当のことを答えているが、もう半分は言葉にしていない。
「なるほど。最新作である『螺旋の海辺は灰色に眠る』ですが、いわゆる色彩シリーズの続編であり、今作で最後になるとお聞きしましたが、完結を決意した理由は何でしょう?」
「このテーマについてはもう書き尽くしたと判断したからです。書こうと思えば書けるのでしょうけれど、私はもう書きたくありません」
オンラインでのインタビューは、対面で話すよりもメリットが多い。いつも使っている座り心地の良いチェアで受けられるし、姿勢を多少崩しても先方には見えない。そして何より、コーヒーを飲みながら話したって構わない。対面となると、カップを手に取ることすら憚られる。
するっと一口コーヒーを飲み、これ以上答える事はない、と意思表示をした。それを察してくれたのか、インタビュアーは次の質問へと移った。
「また、新作の発表に合わせて本名を明かされましたね。これまでプロフィールは殆ど非公開でしたが、どういった経緯で公開を決意されたのでしょうか?」
「Signature-13が可決されて七年ほど経ち、今や個人情報は
――デジタルこそが真実であるという信仰は、着実に伝播しています。
私の言葉に、インタビュアーは思わず目を見開いた。
「では先生の本名とは、デジタルで生まれた
「明言は致しません」
勘の良い人だ。リテラシーの高い人間というのは、可能性を想像する力に長けている。もしかしたらこの女性も、管理局に登録する際に同じことを考えたかもしれない。私という情報は私だけのものだと。
あるいは一見無用の産物に見えるスマートウォッチも、彼女なりに可能性を検討した結果なのかもしれない。確かに、デバイスは複数に分散させた方が安心できる。
「ではもう一点だけ。先生の物語は現代とは隔絶した世界観である事が多いですね。しかしその根底には、現代社会から生まれる孤独や不安、諦観といったものが含まれているように感じられます。先生にとって今の社会は、あるいは未来の社会はどんな姿に見えていらっしゃるのでしょうか」
「以前にもどこかで話した気がしますが、私は政治や経済に興味がありません。ただ自分の生活圏を確保する事に必死になっている、ありふれた人間に過ぎません。その上でお答えするならば、これからの社会に必要なのは認識の革命です」
革命。かつて私は、陽薫にその言葉を示した。デジタルな情報の価値がアナログのそれを凌駕した時、ある革命を起こすことになると。
革命という大仰な言葉に、インタビュアーは暫し思考を費やした。しかしまだ答えを導く段階には無いと判断したのか、話の続きを促した。
「今や世界中の何処にいても、
けれど。私はコーヒーを飲み干し、カップをテーブルの奥へ追いやった。
「その力関係はいずれ逆転する。デジタルがアナログを上書きする時代が始まるでしょう」
「それはつまり、
「いいえ、仮想現実はアナログという帰る場所があるという前提の上に存在します。ヘッドマウントディスプレイ等が現実との境界線と言えるでしょう。そうではなく、デジタルこそが現実であり、帰る場所へと変わるのです。個人情報の価値が逆転した時と同じように」
「申し訳ございません、私では理解が及ばないようで――」
「では私の言葉をそのまま掲載して下さい。近しい考えを持っている方にはきっと伝わるはずです。あるいは、貴方にも」
不意に貴方と呼ばれ、インタビュアーは戸惑いを視線で表した。それはそうだろう、彼女の立ち位置など鏡のようなもので、回答者は一人の人間として認識しきれていない。一時間後にはどんな服装をしていたかだって思い出せないだろう。
故に、他人として呼ばれる事に慣れていないのだと思う。私の意図をどこまで汲み取ったのかは分からないが、彼女は小さく頷いて口を開いた。
「では、これが最後の質問です。気の早い話ではありますが、次回作はもう決まっておられるのでしょうか? お話できる範囲で構いません」
次回作。私は頭の中で船を漕いで、
私は灯台を探した。あるいは日の出を求めた。けれどそこに、私を誘う
「……まだ、決めていません。少し休んでから考えようかと思っていました」
何とか絞り出した返答に、インタビュアーは違った解釈をしたらしい。私の体調を労い、いくらでも待っていられます、と微笑みかけた。
私は疲れてなどいない。いや、本当は疲れや病を抱えているかもしれないけれど、自らを省みないようにしてきた。だから自分が今どんな身体になっているのか分からない。どうせ全て、複合現実のレイヤーを通して見られるのだから。
インタビューを終え、私はデバイスをスリープモードに切り替えた。ふう、と息を吐き、残ったコーヒーを飲み干した。冷めたコーヒーほどガッカリする飲み物は無いかもしれない。顔をしかめて、私はリビングまでカップを運んだ。
「空白……朱色……鈍色……夜明け色」
ぶつぶつと呟きながら、私はリビングをぐるぐると歩き回る。思考の海溝に陥った時、私はそうやって脳を刺激する。必死に暗闇の水底で藻掻いて、もう一度水面に顔を出せるように。
繰り返し、閃きの取っ掛かりになりそうな単語を思い浮かべる。けれど何度試しても、何十分と歩き回っても、新たなる物語は思いつかなかった。
まあ、そういう日はこれまでにもあった。とはいえそれはプロットのストックがまだある状態だった。しかし今回、プロットの在庫はゼロだ。つまり何も書くものが無い。
そんな空白を作ったことがないから、私は戸惑っていた。どうして、どうして急に想像力が眠りに落ちたのだろう。私はずっと船を漕ぎ続けていたのに。
テーブルに置いてある書籍を手に取る。もうすぐ発売となる、『螺旋の海辺は灰色に眠る』の見本だ。表紙も帯も完成していて、あとはこれと同じものが書店に整列する。
私はこの物語に全てを費やした。これまでの活動は全てこの結末を描くためだったかもしれない。だからこれは、私という作家にとって初めての到達点なのかもしれない。
満足してしまったのだろうか。いや、そんな事は赦されない。私は一生、想像力の渦潮に呑まれ続けなければならない。それが自らに与えた罰であり、幸福である。
「……酸素が足りない」
夜明けよ来たれ。私にもう一度、物語を紡ぐ地獄を与え給え。
祈るように目を瞑る。しとしとと、外界では雨が降り注いでいた。
小雨という単語が似合う程に、落ち行く雫は細い絹のようで、自らの心音ほどに微かな音を立てていた。けれど私の静寂を彩るには、丁度良い雨音だった。
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