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人間社会はろくろ回しみたいに面倒だ。調和だとか遠慮だとかを駆使してぐるぐる、ぐるぐる。
あるいは黒ひげ危機一発よろしく、誰にも釘を差されないよう怯えながら生きなさいと脅迫される。
でも私の人生は私のものであって、他の誰かが干渉してきたってそれは領空侵犯みたいなものだ。生涯を共にするくらいの覚悟が無ければ、人を指差して非難する権利なんて無いと私は思ってきた。
だから、こういうやり取りはうんざりする。
――音峰さんって、雪待さんと仲良いよね。進路希望の提出がまだだって伝えてくれない?
クラスメイトの誰かさんに頼まれた。私は何で、と答えた。いくら旧態依然とした教育現場と言えど、大事な書類はデジタルでやり取りされるようになった。進路希望もその一つ。お国が作ったやたら貧相なインターフェイスのテンプレートを、各学校が引用する。私達は余りにも簡素で面白みのないサイトで、未来への展望について開示しなければならない。
夜鶴ちゃんはそれを提出していなかった。それは確かに誰かが指摘するべきだけれど、分かっているなら自分で連絡すればいい。
現に学生専用の連絡ツールがちゃんと存在する。殆どの生徒は気にも止めないけれど、メッセージが届けば強制的に通知される仕様だ。つまり、私に仲介させる必要なんて無い。
けれど誰かさんは狼狽えつつもこう答えた。
――私、話した事とか無いからさ……。
それは答えになっていなかった。会話をしたことが無ければメッセージを送ってはならないなんてルールは無い。
けれど気持ちは分かる。この人は黒ひげ危機一発の呪縛にどっぷり浸かっている人だ。あの樽の中に押し込められた人々は、ほんの僅かな行動で身体を貫かれるかもしれない、という恐怖と戦っている。
夜鶴ちゃんのような樽から脱出して自由に歩く人を前にすると、途端に怖くなる。何故なら、樽の中にさえいれば安心感を得られるから。樽は身体と心を縛るけれど、みんな仲良く樽に入ればお互いを殴り合えない。少しの不自由さを代償に、一列に並んだお揃いの調和を獲得できる。
樽に入ったお友達でないと、どう接したら良いかわからない。それは外国人みたいに遠い存在に見えるのだろう。話してみれば大きくは変わらないと言うのに。
これ以上口答えをしても埒が明かないので、私は仕方なく承諾した。実際、学校を休みがちな夜鶴ちゃんに会える口実が出来たのは有り難かった。
放課後、私は本屋さんの前で彼女を待った。事前にメッセージを送り、今日はバイトの日で夕方に終わることを確認済みだった。
学校があるはずなのに平然とシフトを入れる店長さんの判断は分かりかねるけれど、とにかく今の夜鶴ちゃんには、より多くの労働とより多くのお金が必要らしい。
十八時。彼女がトートバッグを手に出てくるのを見つけると、
「よっ」
と軽く手を上げた。彼女はそれを返すでもなく、
「急にどうしたの」
と尋ねた。それもそうだ、バイト先に突撃しに行くなんて普通は嫌だろう。ただこれは個人的な我儘ではなく、正当な理由がある。だからこそ胸を張って会いに来られた。
近場のスターバックスに入り、飲み物を注文した。私はエスプレッソ・アフォガート・フラペチーノ、夜鶴ちゃんはブラックコーヒー。
「うおっこれ美味しい」
コーヒーの苦みとアフォガート風クリームの甘みのバランスが絶妙だ。こういうのを「舌鼓を打つ」と言うらしい。最近覚えた。舌が太鼓になるだなんて、昔の人は面白い発想力をしている。
良いなぁ、私の舌も太鼓にしたい。でも悲しいことに巻き舌すら出来ない。べるるるるるすこーに。言えない。
「それで、どうしたの」
ブラックコーヒーを一口啜ってから彼女は尋ねた。そうそう、と私は進路希望の提出ページをチャットで送った。
「これ、期限過ぎてるから早く出せって」
「……それだけなの」
「うん、それだけだよ」
「ならわざわざ会いに来なくてもいいじゃない」
「だって会いたかったんだもん」
正当な理由は一瞬で論破され、これはただの我儘に成り下がってしまった。すみません、私は都合の良い口実にかまけて貴方のオフタイムを占領しました。
彼女は少しむっとした表情をしたけれど、やがて何かを諦めたのか、スマートデバイスを取り出した。レンズ型デバイスの普及を推し進めているとはいえ、多くのサービスはまだ物理的なデバイスに依存している。
あと二年くらいすれば、殆どのやり取りを
もしもそれらが実現してしまえば、現実とデジタルの距離は限りなくゼロに近づく。そうしたら夜鶴ちゃんが言っていたように、「アナログよりもデジタルが価値を持つ時代」が始まるのかもしれない。
操作を終えると、夜鶴ちゃんはデバイスを鞄の中に仕舞った。
「提出した」
「え、もう? 志望大学の検索めっちゃ重くなかった?」
志望大学の選択欄は、検索窓にキーワードを入力してデータを引用してくる仕様になっていた。学部まで付随してくるから楽といえば楽なんだけれど、何故かこの検索まわりが異常にもっさりした挙動をしていた。
みんなギャーギャー文句を言いながらも、夢と希望に満ちたキャンパスライフのために指を滑らせていた。
けれど彼女は、
「使っていない」
「え、直接入力できるの?」
「いえ、知らない。私は志望大学を選択していない」
「それって、大学には行かないってこと?」
そう。彼女はあっさりとそれを認め、コーヒーを啜った。休みがちとはいえ、夜鶴ちゃんの成績は相応に高かった。国語はもちろんのこと、英語や世界史あたりの成績も文句無しだった。
私はてっきり、どこか凄い大学、例えば神戸大学とか京都大学とか、あるいは東京ハーバードケンブリッジ大学的などこかへ進学するのだと思っていた。
私は思わず身を乗り出した。
「夜鶴ちゃん賢いのに、どうして?」
こういう詮索は嫌がると分かっているけれど、聞かずにはいられなかった。だって余りにもあっさりと認めるんだもの。
彼女は狼狽したように視線を揺らし、しばし言葉に迷っている様子だった。けれど顔を上げ、ゆっくりと答えた。
「……家を、建てたいから」
「家って、一軒家ってこと?」
私は空中でお家の形を指でなぞった。上は三角、下は四角。さよなら三角、また来て四角。お家って大体そういう風に造られる。
「そう。私の、私だけの……砦、みたいなものが欲しいの」
「それっていくらくらいするのかな」
一千万円? 二千万円? 家族で暮らしている我が家はいくらで建てたのだろう。流石に一括払いでは無いはずだ。あ、ローンが組めるのなら大丈夫か。でもああいうのって審査がいるだろうし……。
あれこれと無い知恵を絞って考えていると、夜鶴ちゃんは小さく息を吐いた。
「信じてくれるの」
「え、うん。当たり前じゃん。どうして?」
「てっきり、笑われると思った。何それ、出来たらいいね。そういう嘲笑があるものだと覚悟していたから」
「だって夢なんでしょ? ……ああ、まあ確かに、夢を語ると反射的に嘲笑う輩はいるよね。あんなのはカメムシみたいなもんよ」
手で追い払うようなジェスチャーをして、私は彼女の恐れるものを消し去ろうとした。いつからなのだろう、大きな夢ほど笑われる社会になったのは。
人生はろくろ回しみたいに面倒だ。
自分には到底できっこない素敵な夢を聞いてしまえば、小さな自分と向き合わされる。それが怖くて、小さくて弱い自分を守りたくて、人はそれを嘲笑う。
口では応援している、なんて言いながら、心の底では叶わない未来を期待している。他人の成就で自らの人生は満ちてくれないのだから。
本当に面倒くさい。樽に入った黒ひげさんたちが、お前も樽に入れと腕を引く。でも私は剣を刺される人にも刺す人にもなりたくない。
ただ、大海原へ一人漕ぎ出す勇敢な彼女の船を押したい。良いよ、何処までも素敵な旅にしようね。そう声をかけたい。
だから私は、決して樽の中に閉じこもったりしない。
「お家が出来たら必ず教えてね。毎日でも遊びに行くから」
「ど、どうして」
「だって夜鶴ちゃんは、夢のために学校生活を犠牲にしているじゃない。だからその分、私と青春しようぜって事!」
「青春……というのは、こうしてカフェで語り合う事とは違うの?」
スターバックス、飲み物片手に、お女子会。陽薫さん心の俳句。確かに、これってとっても青春だ。
「確かに! 毎日スタバで女子会するのもありだね」
「それは……お金、大丈夫なの」
「平気平気、私こないだ電子決済の奴隷に転職したから」
夜鶴ちゃんは私の言葉を何一つ理解できない様子で、とりあえずコーヒーに口をつけた。
私も呼応するようにフラペチーノを飲む。すっかり混ざりきって、カップの中は薄茶色の海になっていた。苦い、そして甘い。これこそ人生。フラペチーノは人生。人生なんて黒にも白にもならないのだ!
「うーん、でりりりりりりしゃす!」
巻き舌をしようとしたけれど、やっぱり上手く動いてくれない。夜鶴ちゃんはぽかん、と私の巻き舌もどきを聞いていたけれど、意図を汲み取ったのか合わせて口を開いた。
「……でるるるるるりしゃす?」
とっても綺麗な巻き舌で、デリシャスと言った。格好良い。イタリア人みたい。私は思わず身を乗り出した。
「夜鶴ちゃん、巻き舌できるの?」
「ええ、まあ……」
「えー、良いなあ、羨ましいなあ。どうやったら出来るようになるかな?」
「イタリア語を使うわけでも無いなら、別に出来なくても――」
「やだあ、格好良いんだもん。日がな一日中どぅるるるって舌巻いて遊びたいんだもん!」
そうして私達の会話は続く。
冷めてゆくコーヒーなんてどうでもよくて、ここが何処であってもきっと変わらなくて、私達はただ。
私達はただ、誰にも干渉されない青春を探していた。
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