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「駄目だぁ、夜鶴ちゃんのベルリンが崩壊しない!」


 私は二リットルの水筒の蓋を開けた。中にはカレーのルーが一杯に入っている。重箱みたいに巨大なお弁当箱には、白米がただひたすらに敷き詰めてある。でもちゃんと福神漬も添えてある。

 教室でこれを食べたらテロ行為になるため、私と継未ちゃんは校庭の階段でご飯を食べていた。彼女はパンが二つ。余りにも少食だ。


「雪待さんが心を開いてくれない、ってこと?」


「大正解の介〜。暴れん坊将軍から会話が広がらなかった……もしかして水戸黄門派なのかな……いや必殺仕事人か?」


「ご飯食べる時、雪待さんはどうしているの?」


「うーん、大体はカロリーメイトとかパンとか。そんで本を読みながら食べてる」


「ならご飯中は静かに食べたいタイプなんじゃないかな? 私もどっちかと言えばそうだし」


「えっそれはごめん、私口閉じるね、酸素だけ吸わせて」


 すううう、とありったけ酸素を吸引し、私は口を閉じた。継未ちゃんはあ、あ、と手をあわあわさせながら、私の顔が青ざめていくのを眺めていた。二分ほど経ち、私は息を吐き出した。


「駄目だ、皮膚呼吸だけで生き抜く事は出来なかった」


「だ、大丈夫、私は陽薫ちゃんとご飯食べるの、たのっ楽しいから」


「うおおお継未ちゃん……我が革新的友人ソウルフレンド!」


 私はルーをご飯にだばだばと注ぎ、一気に飲み込んだ。カレーは飲み物であると、現政府はいい加減閣議決定すべきだ。世界共通認識にすべきなのだ、カレーは飲み物。ボールは友達。犯人はヤス。


「雪待さん、もしかしたら疲れているのかも」


 パンの袋を丁寧に畳みながら、継未ちゃんは口元に手を当てた。考えをまとめながら、一言ずつ慎重に喋る彼女だが、殊更に考え込みながら話す時にそういう仕草をする。


「疲れてるって、夜鶴ちゃんバイトでもしてるの?」


「そっちじゃなくて……しょ、小説のほう」


「小説?」


 何の話か、と首を傾げる私に、継未ちゃんは息を呑んだ。肩にかかる髪を触りながら、視線をうろうろさせる。焦っている時の癖。


「あ、う、てっきり雪待さんから聞いていたかと思ってた……」


「それって、誰にも言わないで案件?」


「そう、そうなんだけど……ここまで言っちゃったら」


「いいよ教えて。私ほかにバラす相手もいないから。もし夜鶴ちゃんに怒られても、継未ちゃんから聞いたとか言わないし」


 継未ちゃん曰く、それは文芸部の活動中に知ったらしい。顧問の先生を呼びに職員室へ入ると、夜鶴ちゃんと先生とが口論していた。というよりは、先生が一方的に説得していたようだった。

 隅っこでそれとなく待っていたが、何分声量が大きいから話の内容が聞こえてしまう。どうやら彼女は、アルバイトの申請書を二つ提出していたらしい。


 一つはありふれた普通のものだったようだけれど、もう一つには「執筆」と書かれていた。内訳を聞くと、彼女はすでに出版社と契約しており、入学当初から学校生活と並行して執筆活動をしていた。

 私達の学校は私立の進学校である手前、アルバイトの掛け持ちをするほど困窮した家庭は少ない。なので二つのアルバイトを申請すること自体珍しいのだけれど、まさかプロの作家活動なんて前例がない。そういうわけで揉めていたらしい。


 ……という情報を、断片的な先生の言葉から紡ぎ合わせて推理したらしい。さすが継未ちゃん、とっても賢い。生涯を費やしても『ワンダと巨像』をクリアできないであろう私とは格が違う。


「少しずつ、噂も広まっているみたいで……まあ、職員室とはいえあんな大声で話していたらそうなるんだけど……」


「先生にデリカシーが無かったんだね。夜鶴ちゃん、可哀そうに」


「それでね、アルバイトもして執筆活動もしてってなると、流石に疲れるんじゃないかなって」


「それは確かに。となると、やっぱりお昼を一緒にっていうのは邪魔になるかな……あっ」


 一つの革命的な閃きに、私は思わず立ち上がった。水筒に残った白米を全て入れ、口に持っていった。スポーツドリンクをガブ飲みするアスリートのように、ドロドロに混ざったカレーを飲み干した。ごくりごくり。やはりカレーは飲み物である。


「良いこと思いついたぜ!」


「陽薫ちゃん、口の周りにルーが――」


「ありがとう継未ちゃん、私がんばるよ!」


「あ、うん、でも陽薫ちゃん、ルーがね――」


「そうと決まれば善は急げ! ハッピーイズクイックリィ! ごめん継未ちゃん、先に教室戻っといて! 必ず結果報告デブリーフィングするから!」


「あの、それは大丈夫なんだけど、ルーが――」


 私は空っぽになった水筒を振り回しながら、校舎の中を駆け抜けた。図書室の前の階段を駆け上がり、そのてっぺんの薄暗い階段に座する夜鶴ちゃんへと辿り着いた。恐らくこの速さはウサイン・ボルトを凌駕している。


「夜鶴ちゃん!」


 私の声に、彼女は顔を上げた。傍らにカロリーメイトの空き箱を置いて、いつものように本を読んでいた。


「カラオケ行こう!」 


 意味もなくサムズアップを添えて。彼女は特に言葉を発さなかったが、その表情から困惑がうっすらと感じ取られた。


「あのね、たまにはあらゆる事をお休みして遊ぼう! っていうか私が遊びたいの!」


「どうして?」


「どうしてと言われても〜……うーんそのぉ、私は!」


 水筒をぶうんと一回しして、背中に掛けた。勝鬨かちどきをあげる武将のように、私は高らかに宣言した。


「だって夜鶴ちゃんと仲良くなりたいんだもん!」


 その声は階段の上から下まで響き渡り、びりびりと伝う振動が走り抜けてすぐさま消えた。

 微かに冷える階段の暗がりで、彼女は私をじっと見つめる。それが三秒とも三時間とも思えるくらいの長さを経て、彼女は人差し指を私に向けた。


「口の周りが黄色いのは、どうして?」


「あっ、そっち!?」


 ああ、口の周りにはカレーのルー。

 渾身の超常的友人ソウルフレンド申請は、不発に終わった。

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