jb_08

「ちなみに夜鶴ちゃん、今日はお仕事ある?」


 巨大なたい焼きをぺろりと平らげ、満腹な様子を毛ほども見せずに陽薫は尋ねる。

 私も尻尾の部分を少し貰ったが、それでも普通のたい焼きくらいのボリュームがあった。大量のあんこが詰まっているのだから、食べ切る以前に飽きるだろう。しかし陽薫はニコニコと幸せそうに平らげた。学生の頃からよく食べる子だったが、その割に体型は変わらない。きっと代謝が良いのだろう。


「今日は休み。原稿のフィードバック待ち」


「ほええ。今も書き下ろし限定でやってるの?」


「ええ。連載はやらない」


 通常、デビュー後に書籍を出版するまでには二つのルートがある。一つは新聞や掲載誌での連載、もう一つは書き下ろしだ。

 連載の場合、一話あたりの文字数に制限がある。新聞ならまだしも、小説の掲載誌は多くが月刊誌だ。次の一月まで興味を維持する為には、決められた文字数の中で必ず山場を用意しなければならない。あるいは気になる所で次回へ続く、所謂クリフハンガーを使う必要がある。

 大抵の場合は連載終了後、書籍としてまとめる際に加筆修正を行う。一話ごとバラバラに書いていたストーリーを、地続きのものになるよう文章や展開を調整する。あるいは設定のミスや細かな変更もしなくてはならない。


 私は連載形式が大の苦手だ。小説の書き方は人それぞれだが、私の場合は一度組んだ文章を書き直すという事が出来ない。

 書いたらその時点で物語は完成しており、誤字脱字や文法の修正を除けば手を加える事を許さない。逆に言うと、完成したものしか書くことが出来ないとも言える。

 書きながら展開を考える、死なせる予定だったキャラクターを生き残らせるといったライブ的な書き方はせず、全てを決めてから執筆する。だから書き下ろししか受注しない。

 今回のフィードバックについては、一定の文字数まで書けた為に一度担当者のレビューを依頼した、という経緯がある。


 ただ一昔前は連載が主力だったが、近年は掲載誌が減ったり文庫のニーズが高まっている事もあり、書き下ろしでいきなり文庫化というパターンも増えつつある。ある程度のネームバリューは必要だけれど。

 

「それじゃ、ちょっとばかし協力をお頼み申したいでござる」


「どうしたの」


「実はシャツを買いたくてさ、悩んでるんだよねぇ。一緒に見てくれない?」


 彼女はアパレル専門のショッピングアプリ、ブランドンを起動した。贅沢ブランド試着オンする、だからブランドン。非常に安直な命名だが、この会社は消費者の認知度を上げるため、実際に「ブランドン」という名前の俳優を探し出し、広告塔として起用した。この施策が好評を博し、ユニクロやシェインと並ぶアパレルショップとして飛躍した。


 ブランドンの特徴はARとの親和性にある。まず家族や友人の力を借り、あるいは外部カメラを使って自分の身体をスキャンする。3Dで再現された自分のアバターを拡張現実に投影し、そいつを使って着せ替えが行える。

 自分自身に直接服を着せる事も出来るし、アバターに着させる事で客観的に見ることもできる。そうして入念に試着を繰り返して購入に至る事もあれば、試着で満足して買わない時もある。

 しかしブランドンは慎ましいアプリなので、購入を催促する真似はしない。代わりに「試着した姿をSNSにシェアしたらクーポンをプレゼントします」といった施策で購買意欲を刺激する。

 事実、年末年始の大型セール時には各種SNSにブランドンで試着した画像が大量に投稿される。宣伝効果は抜群だ。


「このシャツとか可愛いと思うんだけど、どう?」


 陽薫は自分の身体に直接シャツを投影させた。まあ私に見せたいだけだから、わざわざアバターを出す必要も無いのだろう。

 彼女が見せたものは、前面に大きく「骨」という字が印字されていた。真っ白のTシャツに、でかでかと、ゴシック体で。

 裏面には縦書きで「ほね」と書かれている。振り仮名だ。こちらもゴシック体である。

 彼女はこれを可愛いと言い張っている。デザインも何もあったものではない、ただ文字が印字されているだけだ。ARに表示されている値段を見ると、一枚九百八十円。なるほど安いが、しかしこれは可愛いのだろうか。


「ごめん、どの辺りが可愛い要素なの?」


「えっ可愛いじゃん。ほね。ほねだよ?」


「平仮名が可愛いの?」


「漢字も可愛いよ」


 可愛いかな、と呟くと可愛いよ、と自信たっぷりに返された。骨という字は果たして可愛いのだろうか。平仮名が可愛らしいというのはまだ分かるが、漢字となると、それも骨などという文字通り無骨な字面から可愛さは見いだせない。

 いやそもそも、「可愛い漢字」というものは実在するのだろうか? 猫、桜、苺、実際に可愛らしい物でも漢字にするとどこか仰々しい。

 多くの漢字は、角が多いからではないか? ならば流線的な漢字ならばどうだろう。道、風、恋。あまりピンと来ない。やはり漢字は線が多いから、記号的な可愛さを見出しづらいのかもしれない。アルファベットならまだ見込みがあるかもしれない。


「じゃあこれは?」


 今度は前面に「大正デモクラシー」、背面に「灯台下暗シー」と書いてあった。ただのダジャレTシャツだ。この下らなさ、陽薫が好きそうな文脈だ。


「これならどうよ!」


 次に選ばれたものを見て、私は小さく声を漏らした。前面にはでかでかと猫の顔がプリントされており、背面には「I LOVE 木天蓼マタタビ」と書かれていた。

 あえてマタタビを漢字にした意図は分からないが、前二つに比べればずっとマシだ。これ良いね、と言うと、


「やったあ、よーし全部買っちゃお」


 彼女は骨Tシャツ、ダジャレTシャツと共にカートへ入れ、瞬く間に決済した。私の反応に関わらず買うつもりだったのか。なら何で感想を訊いたのだろう。コミュニケーションの文法というものは、往々にして理解が及ばない。


「次来る時に着てくるね!」


「もう帰るの?」


 時刻は十八時、五分前。


「うん、我が家にてすき焼き祭りが開催されるとの情報を掴んだもので」


「そう、それなら早く帰らないと」


 私は極めて滑らかに腰を上げた。

 すたすたと、玄関まで歩いてゆく。たらふくはまだ二階に隠れていた。


「夜鶴ちゃん」


 玄関先で靴を履きながら、背中越しに陽薫が言う。


「私、いつでも遊びに来るからね」


 えっ、と戸惑いの声を漏らした。いつものふにゃふにゃとした喋り方ではなかった。すらりと窓を伝う雨粒のように、それは淀みなく発せられた。


「どういう意味」


「そのままの意味」


 靴紐を結び終え、彼女は振り向いて笑った。いつもの笑顔だった。私は彼女が伝えようとした感情を、正しく変換できただろうか。


「それじゃ、また明日!」


「あ……気をつけて」


 ぱたり。扉が閉められると、途端にこの家には静寂が訪れる。すとん、すとん、と階段から音がする。陽薫の不在を確認してから、たらふくはリビングへと歩いていった。

 

 陽薫は超能力者なのだろうか。

 それとも部屋の何処かに、痕跡を残してしまっていただろうか。いっそ話してしまえば楽になるかもしれない。彼女はきっと、これまで通り接してくれるだろう。

 けれどほんの数パーセントでも、あるいは数センチでも心の中に刻まれてしまったら。私は悲しくなるだろう。彼女も悲しくなるだろう。

 心の大きさを示す単位を私は知らない。けれどそれが面積メートルであれ容量バイトであれ、彼女には彼女の望む感情だけが含まれていてほしい。私の影が入る余地など無くて良い。

 それは相手が陽薫だからというわけではなく、たとえ誰であったとしても、そこに私の領域を求められない。呪いのようにそれは恐怖へと繋がる。


 ふう、と大きく一つ息を吐く。この静けさが私を責め立てる。


「たらふく、ちょっと待っていてね」


 空になっている餌皿を通り過ぎて、ダイニングテーブルの上にある小物入れの蓋を開く。

 少し早いけれど、飲んでしまおう。どうせ今日は執筆出来ないだろう。脳が創作により生じる負荷を許可してくれない。

 ――ああ、偏頭痛。夜雨は織り糸のように、心の隙間へ入り込む。


「大丈夫、私は大丈夫、私は……」


 小さな小さな錠剤を、そっと浄水で流し込んだ。

 陽薫は雨に濡れず帰られただろうか。あるいは両手を広げ、ケラケラと笑いながら飛び跳ねているだろうか。容易にそんな後ろ姿を想像出来て、くすりと口角が緩んだ。

 貴方の陽気さが、本当の在り処だとするのなら。その陽の薫りの中へ私も立ってみたい。どんな景色が見えて、どんな視野を得られるのかを、私は知りたい。

 けれど。

 空になった抗不安剤ワイパックスのシートをゴミ箱に捨てる。


 けれど今は。

 こつん、と窓を叩く雨粒が響く。

 私の為の傘が見つからない。

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