Episode 2 - From Nowhere

jb_05

「夜鶴ちゃんさ、階段は一段ずつ登る派?」


 カフェの二人席、その向かい側でストローを咥えながら陽薫は尋ねた。


「階段の高さによる」


「やっぱりそうだよねぇ。それじゃあ降りる時は?」


 ふと、頭の中でその場面を想像してから答える。


「一段ずつ降りるよ」


「だよねぇ。不思議だなあ」


「……話が見えてこないんだけど。卒論の統計調査か何か?」


「いんや、全然。ただ友達とそういう話をしたんだけどね、登る時はみんな一段飛ばしをしたがるのに、降りる時はそうじゃないの」


 それは単純に、登る時より降りる時のほうがバランスを崩しやすいからでは無いのか。しかし疲れやすさという点では逆だ。登る時に一段飛ばしをすると足が疲れやすい。けれど降りる時に一段飛ばしたとて疲労度は対して変わらない。

 なのに私達は降りる時ほど慎重に降りる。移動速度と転倒のリスクを天秤にかけ、多くの人が安全を選んでいる。

 そう考えると不思議かもしれない。小さな横断歩道なら赤信号でも渡ってしまう事はあるし、台風の中コンビニへ買い物に行きたくなったりもする。

 人間は常に安全を優先して選択するわけじゃない。では何をもってして安全と危険の選択を決めているのだろう。


「夜鶴ちゃーん、そんな哲学的な問答じゃないんだって。ただの世間話」


「それはそうだけど……うん、面白い」


 私は空中に指を掲げて、付箋を表示させた。AR上に広がるワークスペースには、そこかしこに付箋のメモが貼ってある。その一角にオレンジ色の付箋を出して、今考えていた内容をメモした。

 入力を終えるタイミングを見計らって、陽薫が口を開く。

 

「夜鶴ちゃんって凄いよね」


「何が?」


「いつでもスイッチが切り替わるって言うかさ、何でも創作意欲に繋げられちゃうから」


「ああ……ごめんなさい。確かに不誠実だった」


 指を真横にスライドさせると、ワークスペースはするりと視界の外へ消えた。いつもの日常的なインターフェースに入れ替わる。

 

「おわっ、あっ、そういうつもりで言ったんじゃないの。本当に凄いなーって思ったから」


「それでも交遊プライベート中にするのは礼儀に欠けていると思う。だからごめんなさい」


「真面目だなあ、夜鶴ちゃん」


 そう言って陽薫は、陽薫のストローはフラペチーノの山頂を切り崩した。生クリームの山肌は、その麓を流れるカフェラテ色の海へと溶けていった。


 私と陽薫がこうして外で遊ぶことは、あまり多くない。私が出不精なのもあるけれど、陽薫から誘われる事が無い、というのもある。

 毎日のように会いに来る割に、旅行をしようとか映画館へ行こうとか、そういうお誘いはめったにされない。その原因は間違いなく私にある。私は極端に人混みを苦手としている。だらだらとした速度で歩かされるのが嫌。急に立ち止まられるのが嫌。大声ではしゃがれるのが嫌。理由は様々だ。

 いくら毎日のように遊びに来る陽薫と言えど、本業は大学生だ。単位を順調に取得しているとはいえゼミや講義はまだあるし、アルバイトだってある。彼女はその隙間を縫って遊びに来る。

 それでもたまにお互いぽっかりと休みが出来たら、こうしてカフェくらいにはお供する。そのくらいの譲歩は私だってやぶさかではない。


 私達の大切な時間に、甲高い笑い声が乱入してきた。近くの席にはご婦人たちが四人、アイスティーを盃に会話を弾ませている。それは大変結構なことだが、周囲を鑑みない声量と品のない笑い方が癪に障る。

 しかも盛り上がる話題がそこにいない誰かの悪口となると最悪だ。どこの誰とも知らぬ人物に対する、遠慮も品性もない言葉の連なりを私達はただ受け入れなければならない。彼女たちの舌だけを切り取ることは叶わないし、どれだけ耳を覆っても人の声は敏感に聞き取られるようにできている。

 私はほんの一瞬だけ、そのご婦人たちの方に視線を移し、すぐに戻した。それは半ば反射的なもので、眉をしかめたわけでも舌打ちをしたわけでもない。私は努めて、苛立った感情を表に出さなかった。しかし、


「夜鶴ちゃん、このあとまだ時間ある?」


 カフェラテ色の海を一気に飲み干して、陽薫が尋ねる。


「終日予定がないから、大丈夫」


「じゃあカラオケ行かない?」


 極めて自然な会話で、彼女はここから立ち去る選択を促した。単なる偶然かもしれないし、陽薫はその場の気分で喋りがちではある。

 しかし恐らく、彼女は心の機微を正確に読み取る力がある。それは特別なものでもなく、誰しもが大なり小なり持っている能力なのだろう。

 私はこういった配慮を受けるたびに怖くなる。彼女たちはどうやって、他人の感情を読み取っているのだろうか。それをいつ学習し、身につけたのだろうか。誰も教えてなどくれないのに。


 きっと色々な手段を講じて、時には失敗し、それが原因で誰かと喧嘩もしただろう。そうやって試行錯誤を繰り返して、今目の前の友人のためにその能力を駆使している。

 私はそれに対して、いちいち「ありがとう」と言うわけではない。本当は伝えるべきなのだろうけれど、カジュアルな言葉にはしたくなかった。


 私のように物語を描いていると、たまに聞かれる事がある。どうやって人間への理解度を深めたのですか、と。人間観察や交流によって、人々が抱えている感情の揺れ動きを言葉にするのが小説家の仕事だ。つまり私達は人間への理解度が高いのだと思われがちだ。

 しかし実際は違う。少なくとも私は全く当てはまらない。もちろん出会ってきた人々を下地にして、キャラクターを描く人もいるだろう。

 しかし私は架空の人物しか描けない。架空の人が架空の人生を歩んで架空の哲学を手に入れるだけだ。

 私は人の気持ちなんて先世分からない。分からないから十万、二十万と文字を重ねて確かめようとする。

 貴方はこういう体験をしたら、本当に涙するのですか? 私は架空の貴方キャラクターに語りかける。

 

 陽薫のような人間には、何十万という文字の連なりは必要ないだろう。それは現実の中で自然に紡がれ、頭の中に漠然としたイメージとして残る。彼女は思想が輪郭のぼやけた状態でも、気にせず生きていけるのだ。立ち止まってまじまじと見つめるものではないから。その都度、必要になったら輪郭を整えれば良いと思っているだろうから。

 その楽天的な生き方を、私は何度羨ましく思っただろうか。


「よーし百曲くらい歌ってやるぞお」


 世界がバーチャルな技術による進歩を続けても、カラオケのような古き良き文化は残り続ける。鼓膜にフィルタリングが実装されない限り、人目を気にせず歌える空間は重宝される。

 陽薫は最初に、『フライデーチャイナタウン』を選曲した。今日は土曜日だけれどそれを選んだ。彼女は流行りの曲もちゃんと歌えるけれど、私といる時は何故か一昔前の歌謡曲をよく歌う。

 それは何を歌ったとて私は気にしないし、盛り上げようとか一緒に歌おうとか、パーティ的なアプローチをしないからかもしれない。

 今よりも過去の時代を描く事もあるから、年代ごとの流行りの曲くらいは私も覚えている。だから私は、陽薫の選曲に親しみを覚える。


 歌詞を見ていると、ポケベルだとか掲示板だとか、遥か昔には当たり前だった景色がふと現れる。昔は駅前の掲示板に伝言をして、友達と待ち合わせていたんだって。ポケベルって一言くらいしか送れなかったんだよ。

 文明の発達と共に文化は淘汰されていくけれど、言葉は劣化しない。ああ、懐かしい言葉なんだなあ。その時代を生きていなくとも、憧憬という感情で、私達は共感し合える。

 だから昔の音楽も良いものだな、と私は思う。


「いつも貴方の名を呼びながら、私の旅は返事のない旅」


 演歌歌手のように拳をかざしながら、陽薫は熱唱している。なるほど良い歌詞だな。私は彼女の歌っている姿以上に、つい歌詞の芸術性に意識が向いてしまう。

 けれどそれもまた許されてしまうから、私達の関係は不思議と長続きしているのかもしれない。

 やはりたまには、ありがとうと伝えるべきかもしれない。返事のない旅。そんな切ない夕暮れにならないよう、私達は言葉という解法を生み出したのだから。

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