第3話 姉

 家に着いてポストを漁っていたが、鍵らしき物が見当たらなかった。

 おかしい、いつもなら入ってるのだが。

 うちは両親共働きで、平日も出勤することがある。だから、最後に家を出た人がポストに鍵を入れて置くようになっていた。


 どうしようか、連絡して確認するわけにもいかない。近所のスーパーに行って時間を潰すしかないか。歩いて移動するには、丁度良い場所に丁度良いお店がなかった。あとはバスに乗るしかないか。


 しかし、この格好のままうろうろさせるのは、色んな意味でまずいだろう。目立つだろうし、動きづらいだろうし…


 「あんたなんでいるのよ」

 そんな事を考えていると、誰かが声をかけてくる。ドアを開けて母親が家から出てきたのだ。

 なんで? 今日休みだっけ?


 焦って思考が停止し、硬直してしまっていた。事情が事情とはいえ、黙って欠席したことに後ろめたさがあり、たじろいでしまっていた。

 

 「誰よ、その子」

 え、と見ると俺の脇から、イオラ嬢がちょこんと顔を覗かせていた。

 もしかしてナンパ?と怪訝な顔をする母親に対し、はっ、と我に返り軽くキレながら否定する。


 ナンパ?と聞いてくるイオラ嬢はとりあえずスルーしておいた。


 「なんだ旅行できたのね」

 家にあげて居間のテーブルに、母とイオラ嬢は向かい合って座った。

 母はすごい格好ね、と笑っていた。まぁ、正常な反応だよな。


 俺は、自分の荷物を部屋に置いてから、自分の分のコップと飲み物を準備していると、2人の会話が聞こえる。

 「1人なの?」

 「・・・っ、多分?」

 戸惑っているのか、それとも何かを思いだろうとしてるのか、はたまた何かを誤魔化そうとしてるのか?いや、恐らく分からないのだろうな。

 「どこ出身なの?」

 「オーズリウム王国です」

 それはアプリ内の話しだ。現実は存在しないはず。

 「お、おー?」

 「アメリカですよね?」

 設定をまんま話そうとしていたから、何事もないように訂正する。このまま話していたら、母にまで色々も疑わしい目で見られかねない。それは一応避けておきたい。


 「そうなの。綺麗な日本語だけど、日本は長いの?」

 なかなか鋭いな。

 『そうなんです、で大丈夫です』

 慌ててスマホのメモ機能に打ち込んで、イオラ嬢に見えるように持った。答えに困っていたイオラ嬢は、多分それ気づいて、少し間はあったが、打ち込んだ通りに答えていた。


 言われて、あのアプリは日本で作られているから日本語が分かるのか。他にも配信されている国の言語ならわかるのかもしれない。

 だけど、言語という概念に"曰本語"や"英語"というものがないのかもしれない。だから答えに窮していたのだろう。


 「母さん、買い物行くとこじゃなかったの?」

 「あ、そうだった」

 思い出したように立ち上がると、上着を着たりバッグをともったりしながら行ったり来たりしていた。そうして、ようやく言ったと思えば、またこちらに戻ってきた。

 「あと、着替え。その格好じゃ、動きづらいでしょう」

 イオラ嬢の格好を見ながら、楓の服を着せるからと言ってきた。楓とは俺の姉のことである。

 いいの?と聞くと、まぁ、いいんじゃない?と肩を竦めた。

 母さんが言うなら良いんだろう。


 母さんは2階の姉の部屋に入って、イオラ嬢に合いそうな服を見繕っていた。サイズとか大丈夫だろうか。

 そして、夕方までに帰ると言って、出ていった。

 まだ午前中なんだが、どこまで行くつもりなんだ?

 まぁ、それはいいか。


 「勝手にいいの?」

 「母さんが良いって言ってたので」

 俺も正直抵抗はあったけど、母さんが良いと言っていたのに、わざわざをそれを否定するのも違う気がした。それに、他に選択肢はない。この格好のままでは別の服を買いにも行けない。俺の服を着せる訳にも行かないしなぁ…。


 俺は姉の部屋の扉の前で座って待っていた。扉の向こうでは、女性が着替えをしている。姉ですらドキドキしたのに、あんな綺麗な人だなんて。そもそもこんなシチュエーション皆無だった訳だが。


 「聞いてもいい?」

 扉の向こうから声が聞こえる。

 「なんですか?」

 「失礼だったらごめんなさい。お姉さんは今どちらに?」

 基本的に砕けた話し方だけど、言葉の端々にお嬢様の雰囲気を漂わせる。

 「えっと、あの、旅に出てます」

 思わず出てしまった誤魔化しが、あまりに突飛過ぎてあたふたしてしまっている。

 「そうなんだ。いつから?」

 しかし、イオラ嬢はその言葉をすんなり受け止めているように聞こえた。

 「3年くらい前からですかね」

 「3年前?長いね。じゃあそろそろ帰ってくるのかな」

 素直な反応がかえってドキドキさせる。信じてくれてるのか?それとも試されてるのか?

 「どうでしょう、母に聞いてみないと」

 一生懸命はぐらかしてみる。まぁ、当然の疑問だよな、と小さく呟いた。


 あとで、母さんと色々相談しておこう。


 「ねぇ、ちょっといい?」

 ドアから顔だけ覗かせたイオラ嬢がこちらを見ていた。今度はなんだろう?

 「ほ、他の服ってある?」

 ほのかに、恥じらうような表情を見せていた。

 「他ですか?」

 入っても?と尋ねると、悩み、躊躇いながらも入れてくれた。

 「閉めてくれる?」

 誰もいないのに、と訝しみながらドアをちゃんと閉めてから向き直ると、その意味にようやく気がついた。


 なんか急いでいた様子だったから、よく見ていなかったのだろう。母さんが用意してくれた服はイオラ嬢には小さくて、胸元もはだけ、足もかなり露出していて、とても外を出歩けるような格好ではなかった―人によっては出歩いているかもしれないが。


 「そうですね、他の服を用意します」

 「おねがいします…」

 顔を逸らしていたけど、恥じらっていることが分かる声色だった。


 母がいないから勝手に持ってくることも出来ず、ひとまず俺の服を適当に選んで着てもらった。

 少し大きそうだったけど、姉の服を着ているよりいいだろう。それでも直視するのはハードルが高く、なるべく視界に入れないようにしながら話していた。


 「またなにか聞かれた時のために、マニュアル考えておきましょうか」

 ひとまず、色々と落ち着いたところで切り出した。現時点で1番大事な部分かもしれないと思っていた。

 常に自分が傍にいられる訳ではない。実際、明日から学校に行かなければならない。イオラ嬢がどこでどう生活するか分からないけれど、さっきみたいに聞かれた時の対応は考えておいた方が良い気がしていた。

 素直に答えても信じてもらえないだろうし、いや、それならまだいい方か。危ない女、という偏見を持たれる方が宜しくない。いやいや?むしろ、ヤバいやつに絡まれてSNSとかで拡散されて、輩に目つけられる方が危ない。

 いやでも、"向こうの世界"では強かったし、絡まれても大丈夫か?

 いやいや?そういう問題ではないか。

 うーん…?


 「あの…」


 一人自問自答していると、イオラ嬢が話しかけてくる。まずい、放っておいてしまった。

 「あ、ごめんなさい。なんでしょう」

 「私、あなたの名前聞いてなかったな、って」

 そういえば名乗った覚えなかった。

  「えっと、井川翔平といいます」

 自己紹介なんて入学してすぐと、バイト始めた時くらいしかしてないし、そもそも苦手だから、なんていえば分からない。


 「翔平さん」

 「いいですよ、呼び捨てで」

 ここまで普通に話してて、名前だけさん付けというのは、なんだか変というか、くすぐったい気がした。

 「えと、じゃあ翔平。改めてわたくしは、オーズリウム・リオル・イオラウスと申します」

 上品にお辞儀をするイオラ嬢をみて、本当にお嬢様なのだ、と改めて思った。


 「イオラウス、だからイオラ嬢なんですね」

 「そう。小さい頃からみんなにそう呼ばれてた」

イオラ嬢の笑顔は色々な出来事や考えを忘れさせてくれる、そんな笑顔だった。

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