第126話
「ノアルウ様…? 今の声……」
「――セタ、アーニア、離れていろ!!」
メフィーの声が響く。
しかしセタとアーニアが動くよりも早く、強烈な風が引き荒れて、二人は吹き飛ばされた。
さらにノアルウの腕がメフィーへと伸び、その首を掴む。
「ぐっ!?」
「・・・・―――…・・・」ノイズのような音がノアルウの口から洩れ、うっすらと歯を浮かせる。
「の、ノアルウ…! 儂の声が、聞こえないのか…!」
「な、なにしてるの、ノアルウ様!? メフィー様を離して!!」
アーニアがノアルウの腕をつかんで制しようとするが、指の先が触れる瞬間、ずるりと滑るように掠め、触れることすらできなかった。
「え……?!」
その感触は、まるですり抜けたような錯覚を覚えるほど奇妙なものだった。
メフィーも樹の魔法を行使し、ノアルウの身体に根を巻き付けて拘束しようとした。
しかしその根もノアルウの身体の表面を滑るように掠め、狙いから逸れた場所で絡まってしまう。
「こ、れは……空気の、魔法か……!!」
ノアルウの体のごく周辺の空気の状態が魔法によって変化していた。真空と高密度空間が多層的に連なり、その表面に近付いたものを滑らせ、弾いている。
(今のこやつには触れられないということか。こやつが自分から触れたものしか、接触できない――これほど高度な制御が可能とは……)
そしてノアルウは口を開き、メフィーの首元へと、牙を寄せていく。彼女の八重歯の先端すらも、鉱物によって鋭く覆われていた。
(捕食じゃない! 寄生……!?)
「の、ノアルウ様、だめだ、やめ――!!」
セタが叫ぶが、全ての音が遮断されているかのように、ノアルウは止める素振りも見せずに。
その牙が触れる寸前で、ノアルウの脇腹の辺りに高速で何かが衝突して吹き飛ばされ、メフィーも半ば巻き込まれるように吹き飛ばされたものの、少なくとも鉱物の牙が触れる寸前の出来事だった。
そのときノアルウの吹き飛ばした飛行物体は、箒だった。
セタはそれが飛んできた方へ視線を向ける。
「――ルカ!」
やり投げのあとのような態勢をしていたルカヱルは、すぐにセタたちの元へと駆け寄った。投げられた箒は空で旋回し、ルカヱルの傍へと戻って来る。
「セタ! 良かった、無事で……! アーニアも」
「う、うん。でも、いまメフィー様が」
「……儂は問題ない。ルカヱル、助かったぞ」
立ち上がったメフィーが言いつつ、ノアルウが吹き飛ばされた方を警戒しながら見つめる。
ノアルウの影は砂塵の向こうでゆっくりと立ち上がった。同時に、上空から彼女の箒が地面に突き刺さり、旋風を巻き起こして砂塵を振り払う。その風によってアーニアの残り火が火勢を増し、夜の山が光で照らされた。
そして今のノアルウの姿が、セタの目にも捉えられたのである。
ノアルウの左目に埋まっていた翡翠色の鉱物は増大し、顔の左上を覆う角のように変異していた。右手の指先から肘の辺りまでも鉱物に覆われ、爪が鋭く光っている。地面に突き刺さった箒の柄を掴んで引き抜くと、ゆっくりと歩き出した。
セタの目に映ったその姿は、もはや先ほどのまでのノアルウではなく、魔女と竜の間の、なにかであった。
「……ノアルウ、ようやく会えた」
「…・・・―――…・・」
ノアルウはまた、ノイズのような声で何かを言う。
「ルカヱル、やつは見ての通りだが……。少なくとも今は言葉が通じない。だが、元に戻す方法があるはずだ」
ノアルウの方を警戒しつつ、メフィーがルカヱルの元へと歩み寄りながら言う。
セタも頷きながら、ルカヱルへ情報を共有する。「ついさっきまで俺たちと問題なく会話ができてました。きっと竜と違って、インクレスの寄生は魔女では安定してないのかもしれないです」
「うん。でも多分、感情の起伏があったらダメなんでしょ?」
「……主、気付いておったのか?」
メフィーは目を丸くした。
「もしノアルウが私と同じ気持ちだったら、凄いマナが増幅されると思う。寄生してるインクレスがマナ目当てだったら、それを逃すわけないから」
現に魔女の涙を流しながら、ルカヱルはそう答えた。
「それに、これまでノアルウが私に会ってくれなかった理由は、それのせいって信じてる」
「じゃあ最初からこうなる想定だったんですか…?」
「ちょっとね。できれば嫌だったけど」
ルカヱルは涙を拭き、努めて笑みを浮かべて言う。「ねえセタ。ノアルウ、私について何か言ってた?」
セタは被災地で交わした会話を思い返す。
「……本当は、貴方に会いたい、って」
「“本当は”……か。それを聞けて良かった」
セタはその一文を重視していなかったが、ノアルウとルカヱルの両名にとって最も重要なニュアンスが込められていたのは、むしろそこだったのだ。
ノアルウもルカヱルに会いたかったが、それに伴う感情の起伏が増幅するマナで、寄生したインクレスが活発化することを恐れていた。
だから会わなかったし、痕跡も可能な限り表に残さなかった。執拗に避けていると思えるほどに――実際のところ、メフィーも同じく避けられていた。不意に今日、巡り合うまでは。
「アーニア、メフィー。セタと一緒に、ここから離れてて」箒を構えながらルカヱルは言う。
「う、うん。お兄さんのことは僕に任せて。……でも、メフィー様も?」
「ノアルウが空気の魔法を纏ってるのが見える。あれがある限りノアルウの身体には触れられない――そしてあれは私しか中和できない。苗木を使って封印しようにも、まず守りを崩せる魔法がないとね」
「ふむ。要するに空気の魔法には、同じ空気の魔法ということか」
メフィーは深く息をつき、ルカヱルの肩を叩いた。「全く、歳ばかり食っても役に立てんことばかりで滅入るな。ならばここは主に任せるぞ」
そしてセタは去り際に、ルカヱルの傍で耳打ちをした。
「今のノアルウ様は、額の左側に角状の鉱物があります。それと右の指から肘にかけてと、八重歯の部分にも、同じ鉱物を纏ってます。インクレスの寄生が発生するかもしれないので、気を付けてください。――ご武運を祈ります。ルカ」
セタが言いつけを守っていることに満足したルカヱルは箒を構えて、満面の笑みで頷いた。
「ふふっ、うん」
*
セタたちがその場を離れた後、ルカヱルは箒を構え直し、ノアルウと対峙する。
封印の苗木は、袖の下にしまってある。いざという時はすぐに取り出して、ノアルウに突き立てることは可能だった。
「……ノアルウ。まだ意識はある?」
「・・――…・」
「貴方にあのとき、魔法を教えてもらって良かった。箒が使えたおかげで、色んな所を旅できたし、竜も見つけられたし。貴方もようやく見つけられた――話したいことが沢山あるから、また、お茶でもして話そう?」
「―――・・・…・・!!!」
ノアルウが一歩動く――その瞬間、突風のように瞬く間に距離が詰まり、ルカヱルの目の前まで移動を終えていた。
そして右手で爪を突き立てるようにルカヱル目掛けて抜き手を繰り出す。
ルカヱルは箒を回して振って旋風を呼び、自分とノアルウを双方吹き飛ばすようにして距離を取る。
(私の声が聞こえてて喋れないだけか、そもそも意識が無い状態か――インクレスとの共鳴状態を解除しないと)
ルカヱルは袖の下に隠した苗木を意識する。
(できれば話をしてから封印をしたかった。でも今の状態じゃ、逆に封印してからじゃないと話をするタイミングもないかも)
算段を考えるルカヱル。
それに対し、吹き飛ばされたノアルウは箒を地面に突き立てて体をひるがえし、地面に降り立つ。
さらにすぐさま箒に跨り、低空飛行でルカヱルへと急接近する。
ルカヱルも箒に跨り、ノアルウを掠めるようにすれ違うと、上空へと飛翔した。ノアルウもすぐに急旋回し、ルカヱルの後ろを追って空を翔ける。
(箒でチェイスか――私、ノアルウに勝てたことないんだよな)
そんなことを思いつつ、全力で箒を加速し、瞬く間に二人は海の上へと出た。
空気を裂くようなノアルウの飛行音が背中に迫るのを感じながらも、ルカヱルは思考を巡らせていた。
星の深淵にうごめくインクレスの群体が個体数を維持できるのは、地上にいる竜たちのマナを寄生を介して集めているからだ――ルカヱルの考えはこうで、それは殆ど実態と同じだった。
マナを獲得するためのインクレスの真の生存戦略を想像すると、寄生された宿主は中継器であり、深淵に棲みつく群体との共鳴によって絶えずマナをやり取りしている可能性があった。
それこそがマナの集め方であると同時に、中継器となっている宿主が深淵にいるインクレスに自由を奪われている理由とも考えられた。
(深い地下にいる竜とのマナのやり取り――共鳴っていう能力は確かに強力だけど、その範囲に限度はあるはず。もし、ノアルウを連れて限界までこの大地から距離を取れたら……)
ルカヱルは背後を窺い見る。ノアルウの箒の柄の先は、間もなくルカヱルの箒の穂先に触れるだろう。
高速飛行でパシファトラスを渡るうちに、水平線の向こうが白んできていた。太陽が昇って来たというより、二人が太陽のある方向へ移動してきたのだ。
(試せるのは一回だけ。失敗したらそれまで――でも、やるしかない)
考えと息を整えると、ルカヱルは横滑りするように箒を旋回させ、同時に急減速を掛けたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます