第125話


 エダの地では、夜中までセタを探しまわってへとへとになったリンが、高台にあるベンチで座り込んでいた。

「はああ~…。結局見つからなかった。セタさん、どこに行ったんだろう?」

 知人の当てもなかったため、とりあえずトーエにセタの居場所を聞いたものの、「休暇中」という端的な返答に留まった。それからは当てもなく町中を歩き回ったが、セタを見つけるには至らなかった。

 二日連続で歩き回ったせいで、痙攣しそうなほどに疲弊した腿を手で叩きながら、リンは憮然として人通りを眺める。

(もう、もう! よりによってセタさんが幽霊画家とか、思うわけないじゃん……。セタさんも何も言わなかったし)

 ただよく考えれば、自ら幽霊画家を名乗るなど彼がするはずもなかった。第一に、それは実質的な自首になってしまう。第二に、そんな宣言はふつう嘘にしか聞こえない。

(いや、まあでもセタさんの能力を鑑みると、セタさん以外に誰が幽霊画家になれるの? って感じもするけどさ……)

 箒を乗り回す魔女に付いて行きながら絵描きの旅を続け、しかも竜の絵は実物を一目見ただけで精巧に仕上げる力もあり、さらに幽霊画家のホームであるジパングの住人なのだから、その要素だけ挙げて考えれば、むしろ納得できようものだった。

 むしろ幽霊画家についてしつこく聞いたのはセタを困らせていたかもしれない、という思考の方がリンの中で強まっていて、謝りたい気分になっていた。

「今日は見つかんなかったし――明日また、探してみるかなぁ。でも一日中見つからないなんて…」

 その日の苦労を思い返すと、昼に小さな地震があったことをリンは思い出した。

 アヴァロンでは基本的に体験したことのない現象だったため、ついリンは短い悲鳴を上げてしまったが、他のジパング人は何も気にしていないかのように平然としていたのが印象的だった。

(あの時はちょっと恥ずかしかった……。地震アレ、日常茶飯事なのかな)

 そのとき、

「リン」

と、短く呼ばれて、驚いて顔を上げると見知った顔が彼女を覗き込んでいた。

「う、わあっ、ヲルタオ? なんでここに?」

「メフィー様を送ったついでで様子見に来たんだよ。ここで何してるの?」

「何って……まあ、休憩?」

「そう」

「もう宿帰るところ……。そうだ晩御飯、何にしようかな? ヲルタオ、一緒に何か食べよう!」

 そう提案しながらベンチから腰を上げてすぐに、リンはふらついた。

 一瞬、自分の足が疲労のあまりふらついたと思ったが、どちらかと言えば地面が揺れているのだと気付いたのは、ベンチに尻餅をついて座った後だった。

(え、また地震?)

 しかし揺れは数十秒以上継続し、さらに休止と振動を繰り返す独特なリズムを持っていた。

 そのことに気付くと、リンはそれがまるで鼓動のようだと思った。振動の振れ幅は徐々に大きくなり、さらに休止のスパンが短くなっていく。

「を、ヲルタオ……なにこれ、地震?」

「……いや、なにか妙な感じ」

 ヲルタオは目を細めて、南西の方へと徐々に視線を移した。

「あっちで何かあったのかも」

「あっち? 何かあった、って……?」

 揺れはさらに酷くなっていき、みしみし、と軋む音があちこちから響き始めた。

 いよいよただ事ではないと、リンだけでなくエダの住人たちもざわつき始める。

 リンがヲルタオの裾を掴み、寄り添うようにベンチから立ち上がる。

「……リン、しばらく私から離れないで」





 ジパング全体が鼓動のような揺れに襲われているころ、最も酷い震源地であるヒシカリの上空ではノアルウの箒が再び加速し、フルミーネのあとを追っていた。

 竜は頭をふらつかせながら、地に臥せるように首を下げた。

「ヤバい、潜る気だ――!」

 セタの声を聴いたノアルウが右の手を前方にかざし、二本指を宙に引っ掛けるように動かす――すると、フルミーネの首がぐいと持ち上げられて、仰け反った姿勢に変化した。

(これは…引き寄せる魔法? ノアルウ様もが使えるのか)

 セタはルカヱルの魔法を思い出した。竜のようにマナに富んだものであれば、離れていても引力を作用させることができる魔法である。

 その一瞬の隙にアーニアが箒から離れ、爆炎を使って加速し、ノアルウたちから離れた。

 そして彼女は天を仰ぐ姿勢のフルミーネの首元へとたどり着き、そして成長する樹の幹を右手で掴むと、ぐるりと回って勢いを殺して取り付いた。

「ふう――すう………・・・・・・」

 空気を大きく吸い、アーニアが火の魔法を使うと、その躰に熾火のような真っ赤な光が灯る。

 そしてその熱が宿り木へと移り、葉と枝が燃え始めた。

「よし、火が点いた! これなら――」

 しかし、マナを竜の体から吸いあげ、刻一刻と生長する樹の幹の芯までは燃え切らず、燃えながらも幹はより太く高く育ち、そして新しい枝葉が増えていく。

「う、うう! か、火力が足りない…! 樹の生長の方が早い…!!」

 樹が完全に成長してしまえば封印が完了したことになる。その瞬間、飢餓を憂いたインクレスが、地表へと出て来てしまう。

 アーニアが触れている幹が熱で炭化し、彼女と同じ熾火の光が灯っていく。それでも樹を燃やし尽くすほどの速さにわずかに至らなかった。

 その状況は、アーニアの近くまで追いついたセタにも見えていた。

「だめだ――このままじゃ燃やすのが間に合わない!」

「だったら 私が手伝う」

 セタの声を聴いたノアルウが右手を構え、二本指を弾くように動かした。

 その瞬間、風が吹いて周囲の空気が渦巻き、酸素が供給された熾火の炎が、瞬く間に大きく燃え上がる。その空気はアーニア自身の躰も燃え上がらせ、ついには巨大な火柱となった。

「すう…・・・・はああああ!!」

 そして渾身の火と熱によって、樹の幹は髄まで木炭と化し、アーニアが抱き着く根元から、あっさりと脆く折れた。さらに露になった幹の断面に、アーニアが追撃の拳を打ち込む。

「これで、最後! 燃やし尽くす!」

 そして再び爆発的な炎が上がると、根元の先まで燃え尽き、灰が舞い上がった。

「や、やった! ――って、うわあっ!?」

 その瞬間、フルミーネの首がぐいと動き、アーニアが軽く振り払われた。

 

 ……QRAAAAAAAAA!!!!


 竜は一度咆哮を響かせると、地面に首をうずめ潜り始め、そしてその場を去った。

「……」

「……」

「……」

 地面に尻餅をついたアーニア、箒の上のセタとノアルウが固唾をのんでフルミーネの退場を見届け、それから、辺りを見渡した。

 山のあちこちにアーニアの魔法の残火が灯り、木々が根っこから掘り返され、土砂崩れと亀裂まみれとなった目も当てられないほどの惨状ではあるが、地面の揺れは収まり、今は只、静かな山間に土煙が漂っていた。

「な、なんとかなった……?」服がほとんど燃え尽き、全身炭でまみれたアーニアが独り言のように尋ねる。

「……お、おそらく」セタはとりあえず、自分の希望的観測も含めた回答をした。

「そうだ 師匠は」

 ノアルウがはっと顔を上げると、離れたところに大きな樹が生長していた。

 幹は真っ白で、葉は透き通るように美しい。メフィーが魔法で生み出した大樹だと、誰もが一目で分かった。

「はあ、やれやれ…。アーニアが封印するのを見守るだけのはずが、とんだ大仕事になったな。あたりも山火事寸前ではないか」

 ため息混じりの声とともに、メフィーが瓦礫の向こうから歩いてきて、皆の前に姿を現した。そして、ノアルウの方へと視線を向ける。

「ウルよ、久しぶりだな。その様子だと――さほど、息災でもなかったか?」

「うん そんなには でも なんとかやってる」

「……ずいぶん、話し方がたどたどしくなったな。頬に傷も残っているし、目もやられたか……。主の寄生を治療してやるつもりだが、以前あった時より、これほど酷くなっているとはな」

「治療… 師匠の考えは 分かるよ 封印なら 上手く行く」

 ノアルウは寂し気な表情で頷いた。

「私も 封印してくれる?」

「ああ。だが、儂はしない」

「え?」

「主を封印する役目を負うと名乗りを挙げた魔女がいる。主も知っているだろう……だから封印はそやつに任せることにしている」

「もしかして ルカヱル?」

「本人に会って聞いてみろ。何はともあれ、まずは皆と話さないか? 茶でも淹れてな」

 メフィーは空を見上げて、やわらかく微笑んだ。

 ノアルウは少し俯いた。

「私は インクレスに寄生されてる みんなとは・・・―――・・・に いないほうが 良いの」

「……なに?」

 ノアルウの声に酷いノイズが混ざり、皆が眉を顰めた。

「なんと言った?」

「・・・なの 師匠 私は 貴方に会った もしルカヱルにも 会ったりしたら ・・・――・・・ う うう」

「……ノアルウ?」

 様子のおかしいノアルウを見つめ、メフィーはあることに気付く。右手の指数本の爪が鋭く変異し、手の甲に至るまで、鉱物に覆われたような様相を呈していた。

(こやつの手まで、寄生範囲が広がっている?)

 そのときにメフィーの頭に、とある仮説が浮かんだ。

 インクレスは本体に口が無いから、寄生によって他の竜にマナを集めさせて何かしらの手段でマナを届けさせる。つまり竜たちは餌集めの駒だった。もしノアルウも餌集めの駒だとすれば、魔女の体の中で生まれるマナを、寄生したインクレスが集めていることになる。

 そして魔女がマナを生む手段は食餌ではなく、暇潰しによる時間の消費や、強い感情の起伏である。

(ならば…ノアルウの感情の動きに応じて、インクレスの寄生の状態が変わる――?)

 俯いていたノアルウが顔を上げた時、左目を覆う鉱物が成長していた。

「あ あaa ・・・…―――……」ノアルウが手のひらで顔を覆い、不規則にうめく。

 そして魔女は歯を剥き、人の悲鳴と竜の咆哮の混ざった慟哭を上げたである。


「……QRAAAAAAAAAきゃああああああああ!!!!!」




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