第123話
*
ヒシカリ地方にて。
「もうすぐ夜か……」
アーニアは、傾いた陽を見つめながら、落ち着かない様子で深呼吸を繰り返していた。
フルミーネの生態によれば、陽が沈むとちょうど同じころに地表に姿を現す。
「ニア、少し落ち着かれては」
レゴリィが横に立ち、すこし茶けた口調で言う。
「で、でも、あんな大きな竜に、こんな小さな木で対抗できるのかな? 僕の火の魔法は竜には役に立ちそうにないから、この魔法だよりなんだ」
「かの白魔女様の魔法ですぞ。心配はいりますまい。それに、白魔女様も自らご助力くださるとおっしゃっていたではないですか」
「そっか。メフィー様、早く来ないかな……」
「ふだんは早く魔女らしくなりたいとおっしゃっておりますのに、今日は随分と弱気ですな。てっきり、一人で封印してみせると息巻くかと思いました」
「だって僕、躰のつくりは確かに魔女だけど、他の魔女みたいに経験も知恵もないし、落ち着いて判断もできないし」
苗木を両手で握り、アーニアは俯いた。
「……これは聞いた話ですが、アーニア様以外の魔女様たちは、生まれたばかりのときは皆、植物や鉱石……あるいは、雨や風のような生き方だったそうです」
「え、どういうこと?」
「自然のマナの中から突如生まれ、しかし何に対しても無感動で、何もしなくても生きてゆけるし、逆に何もなくても砕けて死ぬこともある。行動に意味を持たず、目的もない――しいて言えば、かつての魔女は生き物よりも“現象”に近い存在だったのです」
「そうなの? 初めて聞いた。でも僕って、さすがにそこまで無機質なことはない気がするけど」
「ははは、でしょうな」
レゴリィは朗らかに笑うとアーニアを見つめた。「貴方は生まれた時からずっと人と共にいる、史上初めての魔女ですから」
「……あ」
太古の魔女ともいえる超長命のメフィー、ミィココの両名は言わずもがな、千年以上も現存するノアルウとルカヱル、二番目に若いながら優に数百歳を超えるヲルタオすら、他の魔女たちの生まれた直後は傍に人がいなかった。真名を保有する現象として世界に生じ、それから人に関わるまでで長い時間を要している。実際には、人と関われず、ひっそりと消えゆく魔女もいた――
アーニアは史上初、人の社会の中で生まれた魔女なのだった。現代の世界人口の数や情勢など様々な要因が重なった結果だったが、それ故に名も知られていない魔女たちが淘汰されてきた長い歴史の中で培われた‟暇潰し”という生存戦略を、最初から当然のように身に着けた魔女であり、最初から人の子のように生きて来た。
「他の魔女様たちは自然現象として生まれ出で、ゆえに不安を覚えることにも乏しい……けれど貴方は最初から人の子のように存在していた。貴方が竜を前に不安になったり、早く一人前になりたいと考えているのは、貴方の経験が足りないからではなくて、きっと貴方がどの魔女よりも、人に近いからです。なにせ人は、どれだけ経験を積んだとしても不安に思うことはあるものですから」
「そっか。じゃあ僕、やっぱり他の魔女みたいにはなれないのかな? 最初から人と一緒にいた魔女なんて僕だけだし、それって変だし……」
「むしろ、私は良いと思います――他の魔女様は、人と関わって初めて様々な魔法を使えるようになったと聞いていますから。であれば、ニアは他の魔女様を超えうる素質を既に持っていると思いますよ」
「うん……。ふん、じゃあ分かったよ、僕が今不安がってるのは、きっと力や経験の差だけじゃないんだな」
「ええ。貴方は不安という感情を生まれながらに覚えることができただけです」
アーニアは夕日が沈む山の向こうを見据えながら、意を決したように顎を引いた。
その地平線で、砂煙が立ち上った。フルミーネが動き出し、食餌を始めたのである。
QRAAAAAAAAAA!!!!
「――レゴリィ、僕は行ってくる。一人じゃ上手く行かないかもしれないけど、でも、できるだけやってみたくなってきた」
「ええ。ご武運をお祈りします」
すう…………
目を瞑ったアーニアが息を静かに吸うと、身体の中に空気が取り込まれていく。不安という感情の起伏で増幅された魔女のマナに火がつき、そして新鮮な風に当てられた
次の瞬間、爆発とともに
「――――メフィー様、メフィー様」
「む」
イズに声を変えられた白魔女が目を覚ましたのも、ちょうどその時だった。
ミラジヴィーへの対応に際し、莫大なマナを一時的に消費したメフィーは休息中だった。それから十数時間が経過し、今に至る。
「いまごろ、ジパングは陽が落ちる時刻にございます。なので恐れ入りますが、声をかけさせていただきました」
「いや助かった、すっかり夢をみていた」
「夢ですか? 珍しい。普段はうたた寝くらいですのに」
「ミラジヴィーの対応で少しかっとなって、マナを使いすぎた。おかげで深く眠ったものでな……いかん、通心円陣も少し回転が滞っていたか?」
探し物をするように宙を見つめ、眉をしかめた。「一時的に情報が遮断されているな。アーニアとレゴリィの状況は追えるが、他の絵描きと魔女の状況が分からん……。ともかくアーニアのもとへ移動する」
「また意識とマナを送るのですね」
「ひとまずこれで最後だ。それに、基本的にアーニアに封印は任せるつもりゆえ、儂の出る幕はさほどなかろう」
そう言って、メフィーは背もたれに深く体を預けて、目を瞑った……
「メフィー様」
と、背もたれ越しに声を掛けられて、メフィーは驚いたように背もたれから離れる。
その声は、イズのものではなかったのだ。
「ヲルタオ? 主、封印はどうした?」
「終わったんで戻ってきました」と、ヲルタオはあっさりと告げた。「……他の方は?」
「皆が主のように早く動けると思うなよ。儂も今から、アーニアの手伝いに向かうところだ」
そのとき、メフィーはあることを思いついた。
「主、ジパングのヒシカリには扉の魔法は通じてるか? その出来るだけ近くでも良い。アーニアのもとへ行きたい」
「メフィー様の本体で? 珍しい……」
「通心円陣越しに分身を操るのでは、いざという時に限界がある物でな。頼む」
「良いですよ。でも、私にあの苗木を渡してくれれば、手伝いには行きますのに」
「あれは、すぐ作れるもんでもないんだぞ。主らが儂と遜色なく封印の魔法を使えるよう、一晩かけて反応性を調整せねばならんのだから」
「ああ、なるほど。では行きましょう……そうだ、メフィー様を送ったあと、いったんリンの所に行ってもいいですか? ジパングに泊まってるんです」
「それは好きにしろ」
がこん、と音を立てて扉が開く。
イズは数歩後ろに引き、椅子から腰を上げるメフィーの背中を見送った。
「お気をつけて」
「ああ」
そんな短いやり取りを終えて、ヲルタオとメフィーは扉の向こうに消え、やがて扉そのものも消えた。
また同じころ、ヒシカリ地方の少し北の空には、彗星のような光が尾を引きながら飛翔していた。
その光はノアルウの左目に灯った光が漏れたものであった。箒に跨る彼女の後ろにはセタもいた。
「この近くに 裂け目が ある」
と、ノアルウがぽつりと呟いた。
「え!」
「目で感じる フルミーネも 近い」
「もしかして、あの場所に裂け目もあったのか……?」
「きっとそう だからフルミーネも 寄生されたんだと思う」
ふとセタは納得した。フルミーネは翼も水かきもなく、その巨躯から判断するに地を這うしかない。
それにも拘わらずインクレスに寄生していたということは、インクレスのマナの根源である裂け目がフルミーネの近くにあったとしても、おかしくないのだ。
(けど、もうフルミーネは動き出してる。アーニア様の封印が俺たちより早かったら……!!)
すなわち、その裂け目からインクレスが地上に姿を現す。
被害がヒシカリに留まるか、定かではない。ジパング全体が沈むほどの厄災になる可能性も否定できない――
セタが最悪のケースを想定したのと同時に、ノアルウは箒を加速した。その心中は、セタと全く同じだった。
「急ぐ 厄災は 目覚めさせない」
「……はい!」
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