第122話
(この揺れ方…!?)
普通の地震の周波数と根本的に異なる揺れをセタは感じた。それはまるで‟鼓動”、あるいは“足音”だった。パルス的な振動と休止の繰り返しであり、巨大な生物の足音のようにも感じる。地面の裏で巨大生物が闊歩しているように、地面が周期的に揺れていた。
セタは尻餅をつく。そして手を衝いた地面に、新しい亀裂が走り、脂汗が滲んだ。揺れ方が明らかにおかしいことは素人の彼にも分かっていた。
その鼓動のようなリズムは、インクレスに近付いたときに感じたあの脈動と似ていた。
「インクレスの振動なのか――? なんでここで……!」
セタの脳裏にウルが残したマップと世界地図の情報が浮かび上がる。
そして記憶の中で彼は気付いた――アイランが棲む島の近くの海底の裂け目が伸びる方向に、セタが立つジパングの大地はある。
もともとインクレスの活動領域は、ジパングの大地に近かったのである。海底の裂け目が広がり、大地の下に重なるまでに悠久の時が掛け、そして今に至っていた。
頭をよぎったのはアトランティスの最期だった。そこの文明は海底資源という星の深淵を求めた結果、大地の下でインクレスと邂逅し、すべてが崩壊した――
(それと同じ条件が揃う? 海底の裂け目を伝って…?)
手を地面について足を踏ん張り、その場から逃げ出そうとしたが、ずるりと滑ってセタは転ぶ。足跡で擦れた地表は脆く崩れていて、細かい砂塵が舞っていた。
鉱物の一つ一つ、砂の一粒一粒すら、共鳴に震えているようだった。
セタは遂に命の危険を感じた。今にも地面が流砂のように崩れて、深淵に向かって落ちてしまいそうな未来を予感していた。
QRAAAA――そんな甲高い音が、響き始めた。
「たすけ――」
空の上から流星のような勢いで何かが落下し、地面に突き刺さったのは、その時だった。
セタは風圧で吹き飛ばされて、地面を転がる。
「うわっ!! 何っ…!?」
砂塵に目を擦り、かろうじて瞼を開ける。
そこに1本の箒が突き刺さっていた。
柄の半分ほどがめり込み、地面に亀裂を広げている。一方で不思議な根が成長して地面に張り、大地が砕けて散るのを防いでいた。それはまるで破片を寄せて集めているようで、さらに共鳴の振動も根が押さえ込まれたので、セタはようやく立ち上がれるようになった。
(あれは……? 箒と、樹の魔法?)
はっとして宙を見上げる。
「……ノアルウ様!!!」
名前を呼ぶ声に驚いた翠の瞳は、丸く、セタに向いていた。
魔女ノアルウは、空に浮かぶ箒の柄に立っていた。長い緑色の髪が風に揺れている。左目は前髪に隠され、もう一つの目でセタをじっと見ている。負傷した魔女に見られるような頬のヒビ模様はうっすらと明滅し、そのリズムはちょうどインクレスの共鳴と同じようだった。
(箒、樹と封印の魔法――ノアルウ様だ、間違いない。パシファトラスの海底じゃなくて、こっちに来てたのか)
「……? きみは あの時の 人間」
どこか拙い口調で、ノアルウはセタに問いかける。
その視線は、なぜかきょろきょろと泳いでいた。
「以前、東洋群島で貴方を見ました! あなたがノアルウ様ですよね! 箒の魔法を使うという…」
セタが声を上げると、ようやくノアルウの視線は、彼の方に定まったのである。
(えっ、今の視線の動き……目が見えてないのか?)
ノアルウは地上に降下しつつ、困惑した様子で口を開く。
「どうして 知ってるの わたし 名乗ってないのに」
「ルカ……ルカヱル様に聞いたんです」
地面に降り立った彼女は、名前を聞いてはっとして、それから柔らかく微笑んだ。
「きみ あの子の 友達だったのね」
「そうです」
セタは即答した。「あの人の友達です。ルカヱル様を助けてくれましたよね」
「うん そのときの きみにここで会うなんて すごいぐうぜん」
「俺も会えて良かったです。その……俺よりも、むしろルカヱル様が、貴方に会いたがってたんです」
「……うん 今は無理でも 私も会いたい 本当は」
どこか儚げな微笑を浮かべて、ノアルウは頷く。それを聞いたセタは、自分のことのように嬉しくなった。
「良かった! 今は少し遠くに行ってるんですが、すぐに会えると思います。それで……貴方は今、インクレスを探してるんですよね。封印のために各地を回ってるんじゃないかって、聞いています。ここもそのために?」
「うん そう」
ノアルウは頷き、被災した地を見渡す。
「きみ いろいろ 知ってるね だれに聞いたの? ルカヱル?」
「それと、メフィー様……他にもいろいろな魔女様から、貴方とインクレスに関して聞きました」
「メフィー …あのひとね」
ノアルウは肩を竦めた。
「おこってた? わたしのこと」
「怒ってはいません。……多分、心配してたと」
「いつか ちゃんとあやまりたいけど まだ 終わってないからな……」
ノアルウは手に持った箒を掲げた。
「インクレス まだジパングのどこかに 封印しないといけない 場所があるの せめてそこだけは」
「ジパングに?! ど、どこですか?」
「わからない まだ見つかってない でも わたしの目が いつかそこに 引き寄せてくれる」
「目?」
セタはその意味に気付き、前髪に隠れたノアルウの左目を見る。
ノアルウは前髪を上げて、セタにそれを見せた。
「……そういうことですか。目が引き寄せてくれる、というのは」
彼女の左目は鉱物に置き換わっていたのである。翡翠の石が鼓動と同調して明滅し、頬の亀裂にその光が漏れ出していた。
「やはり、貴方もインクレスに寄生されてたんですね……」
「そこまで わかってるんだね わたしは インクレスのことを …・・・―――・・・」
ノアルウの言葉はノイズのようにのまれて、聞こえなかった。
「……わたしは 寄生されてて インクレスと 敵対することができないの 直に攻撃したり 危険性を公言したり」
「こ、言葉もダメなんですか?」
「擬態みたいな もの 周りからの警戒を解く 寄生を広げるため だから できることも言えることも限られてる」
道理でインクレスの伝承は危険性が分かりにくいとセタは納得した。ノアルウに伝承できるのは見てわかる事実、つまり波紋だけだったということだ。
「でも それ以外のことはできる 封印とか」
「……でも、封印は攻撃行為なんじゃ?」
「これは いいの 樹が 大地に根付き 生長する それだけなら 自然にもおこるから」
「インクレスは気づいていないってことですか……樹の魔法は、自然の摂理でカモフラージュされるから」
「そう だから わたしは 樹を植えてるだけ わたしは ジパングの 最後の場所をさがす そこにこれを 植える」
ノアルウは箒を掲げて言った。
「ひさびさに ひとと話せて よかった じゃあね」
「待ってください! その最後の場所は見つかってないんですよね? 魔女様と力を合せれば、見つけられるかもしれないです――皆、今は貴方のように寄生された竜を探して封印してるところですが、それが終わったら…!」
ノアルウは肩を揺らし、驚いて振り返った。
「りゅうを 封印? みんなが?」
「そうです、あと数日で終わるはずです。そしたら――」
「だめ!」
「…え?」
短く断ずるノアルウに、今度はセタが驚いた。
「だめ、って……」
「裂け目より 先にりゅうを封印したら だめ りゅうがマナを食べるから インクレスは 今は動きださないの」
「……!!!」
セタは顔を青くした。
竜がマナを食べるからインクレスは動き出さない。
「インクレスにとって 地面の裂け目は 呼吸のためのもの でも寄生したりゅうは 食餌のための 口みたいなもの 石と土を食べて マナを集めてくれる それをさきに封じたら……」
「インクレスそのものが、裂け目から出て動き出す…?」
「そのとき 大地の近くに インクレスが 出てくるかも そしたら ・・・・―――…・・」
「……!!」
言葉を封じられているノアルウの言葉はノイズに呑まれたが、セタには言いたいことが理解できた。
しかしそんなことを、誰も思い至るはずもなかった。寄生されている‟駒”そのもの以外には――
「わたしには分かる 最後までりゅうを 封印したら だめ そのりゅうは 今どこ? まだ 残ってる?」
「ちょ、ちょっと待ってください! ほとんどの竜が、もう封印されてしまってるかもしれないです…!」
セタは焦りながら指を折りつつ言う。
(メガラニカ、アヴァロン、ムーは……担当してる魔女の実力的に、もう封印が終わっててもおかしくない! ルカヱル様は竜の封印に行ってるわけじゃないから、残る竜は……)
セタは南西の方角を見た。
「フルミーネはまだ封印されてないかも……!!」
「フルミーネ……」
「地面の中に棲んでる金色の竜で、土を食べてて――ああ、あれもインクレスの代わりに、餌を食べてマナを溜めてただけだったのか…」
「フルミーネは どこにすんでる?」
ノアルウはセタの肩に手を置き、問いかけた。
「そのりゅうだけは 封印させないで まだ 残しておかないといけない」
「……分かりました! いそいでアーニア様に、その竜を封印する魔女に、このことを話しにいかないと…!」
セタは空を見上げる。
陽はちょうど午後の角度に入り、フルミーネが動き出す夜間まで、あと数時間だった。
「だめだ……間に合わない。あの竜の居場所、ここからだと凄く遠いんです…」
アーニアも役所の手を借りて、アヴァロンの動力船で丸一日もかけて移動していったのだ。午後から動いたところで、夜までにたどり着けるとは思えなかった。
「あんない できる?」
ノアルウがセタの視線の先に立って、箒を掲げた。
「わたしが 箒でとぶ あなたが 場所を教えてくれれば きっと間に合う」
「――分かりました!」
「よかった わたしの手 つかんでて」
そしてノアルウに手を取られた瞬間、あっという間に空の上まで飛翔し、南西の空へと飛び立ったのだった。
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