第119話

 ミラジヴィーが黒い鉱物を纏った尻尾を振りかざし、山の木々を薙ぎ払う。

 メフィーは首を傾げ、その一閃を事も無げに回避した。

「こやつ、瘴気に飽き足らず木々をなぎ倒しおって……。まあ、だからすぐ通心円陣で見つけられたのだが」

 黒石が脆く砕け、辺りに散らばる。

(この鉱物、例のインクレスの共鳴によるものか)

 脆さと光沢を見ると、それは黒曜石に似ていた。ただし、ミラジヴィーの瘴気と反応し、青くなった欠片もある。

 “QRAAAAA!!”と再び咆哮が響くと、砕け散った石が震え出した。

「む?」

 黒い石の破片が次々に蒼く変色したかと思えば、瞬間、激しい音と共に爆発四散し、さらに瘴気の噴霧が広がった。なぎ倒された木々と落ち葉が白く染まる。

 薄紫の霧から身を退いたメフィーの体にも瘴気がダメージを与え、分身に亀裂が入っていく。

「ま……、この身体はいくら負傷したところで分身に過ぎんがな」

 鼻を鳴らし、メフィーが手を地面に突っ込んで、さらに土を巻き上げるように手を払いあげる。すると大地が隆起し、地面の亀裂から樹の根が竜の尾のように暴れ狂い、ミラジヴィーの体に巻き付いて地に臥せさせた。

 すぐさま竜の体から漏れ出した瘴気が巻き付いた根を蝕み、脆く崩れさせる――しかしメフィーの樹の魔法が、腐食した根をたちまち回復させ、ますますミラジヴィーの体に巻き付き、巻き上げていく。

 QRA……AAa……

 急激に成長し、絡んだ根が、今度は木々のように天へ向けて伸びていく。地面から持ちあげられて、ミラジヴィーは呻きに似た音を漏らす。樹々による異常な圧迫が、竜の体を軋ませ、共鳴音すらも封じ込めていた。

「ミラジヴィー……主は地上の竜に生きる竜の中でも、あまりに危険すぎる。生態系に馴染まず、森も土も枯らし、主だけが生きる暴君よ。長く生きてきたが、そんな地を望む生命体は他に誰もおらぬ――主が屠ったメルキュリオのように此処で地の糧となれ」

 ぎし、ぎり、と硬質なものが徐々に軋む音が響く。

 そして最期には、ミラジヴィーの肉体は喰い込んだ根によって裂断され散った。

 トカゲのそれのように千切れ、地面に落ちたミラジヴィーの尾が、しかしミミズのようにひとりでに這いまわり、その尾先に着いた黒曜の刃の先を向け、メフィーを目掛けてまっしぐらに飛びだす。

「……!!」

(これは死に際の寄生か!!)

 驚いて硬直したメフィーの腹部を貫くように、尾の刃が突き刺さった。そして鉱石が蠢き、不愉快な共鳴音と共に体の中を這いまわっていく――

「所詮分身に過ぎぬとはいえ……。この、痴れ者めが」

 怒気を孕んだ声で呟くとメフィーはうずくまり、分身の体そのものを苗木として封印の魔法を行使した。樹に自ずから取り込まれた黒い鉱物は、あっという間にマナを吸い取られ、あっけなく不活性化した。

 そうして魔竜ミラジヴィーはもう動かず、寄生竜インクレスの鉱石も魔女の罠の中で息絶え、最後にはうずくまったメフィーの分身の背中から、短い若木が伸びた。


「ふう」

 そしてレムリアにて。

 白塔で意識を戻したメフィーの本体は、一息ついた。

(インクレスの寄生は、死に際に最も牙を剥くようだな。やはり真っ当に争わず、宿り木で封印して脱離する方法を皆に伝えたのは正解だった)

「さて、ゆっくりはしておられん。アーニアの手伝いにも行かねばな」

 椅子から立ち上がろうとするが、肘おきを支点に踏ん張りを利かせても腰が上がらず、メフィーの頬からパラパラ、と体の破片が落ちた。

「……」

「メフィー様。ご無理はなさらないよう」

 背後からイズが声を掛ける。「推し量るに、立て続けに遠方に意識とマナを飛ばすのは負担が大きすぎます。通心円陣のシステムを維持しつつ、竜を相手取るなどなおさら」

「……そうらしい」

 メフィーは鬱陶しそうに顔を顰めながら、自分の手のひらを見つめる。ビキビキと音を立てながら、手首から亀裂が広がっていた。頬や首、胸にかけても傷が広がっていく。

 通心円陣がつなぎ合わせている世界中の樹々と白塔のネットワークを介し、マナを逆流させ、末端で魔法を使用する――その技術は極めて高度なものだったが、通常の魔法を使用するのにも大きなマナを余計に要してしまう。

「ジパングは今頃、深夜にございます。アーニア様は人の手を借りて移動していますゆえ、まだヒシカリ地方には到着していないと」

「ふむ、ならば、明日の夜まではひとまず身を休める」背もたれに崩れるように身を預け、メフィーは大きく息を吐いた。「フルミーネの封印は極力、アーニアに任せる。儂の出る幕が無ければ良いが……」

 そして眼を瞑り、メフィーは身を休めた。

(しかし、木々のある山に棲息するフルミーネはともかく――飛行するフィアマ、海と洞窟を行き来するミレゾナ。それにノアルウ。その相手はあやつらに完全に任せるしかないか……)



 ムー大陸の陽が沈むころ、アヴァロンにて。

 扉の魔法を使い、レムリアからジパングを経由して戻って来たヲルタオは、北洋群島に来ていた。

「え……フィアマ移動したの?」

「はい。ここ3日ほど前でしょうか?」

 温泉宿の主から話を聞いたヲルタオは舌を巻いた。

「面倒ね。もともと一か所でジッとしている竜じゃないけど、間が悪かった」

 ガーハ山の方を見ながら、ヲルタオは思考を巡らせる。

(“扉”を開けて来た場所を順繰りに巡ってみる? 運が良ければ、フィアマが近くにいるかも……)

 フィアマは元々、アヴァロンとムー大陸の北部を飛行し、火山地帯に降り立って食餌を行う生態がある。裏を返せば、たとえどこかに飛んでいったとしても、フィアマの行き先は火山地帯なのである。

「うん――考えるより動く方が早そうね。探してくる」

「えっ? しかし、行き先は……」

「片っ端から見て来る。どうせ、1時間もかからないから」

 ごん、と音を立てて、突如大きな扉がヲルタオの前に開く。宿の主は驚いて目を丸くして、声を失う。

 そして扉が開くと、その向こうには――

(星空?)

「あ、あの。この扉は?」

「光の魔法だけど」

 そう言い残して、ヲルタオは扉の向こうに消えて、扉も消えた。

「……光? が、関係あるのか……?」という、主の独り言を残して。

 光の魔法は、ヲルタオがもともと使っていた魔法である。

 文字通り光を操る魔法だが、正確には「??の魔法」の副次的な効果によって、というのが正しい。ヲルタオの魔法の実態は、周囲の人間たちの目から見て全く不明であり、それに敢えて仮の名前を付けるとすれば、それは「量子の魔法」と呼ぶのが近しい。

 ヲルタオにとって光の粒を眼で追って指で捕まえるのは造作もないことであり、天賦のセンスによって極限まで拡大解釈された魔法を使用しているヲルタオは、ときに物理法則を大きく逸脱した振る舞いをする。

 扉の向こうに消えたヲルタオの座標は、次に扉が開くときまで収束せず、どこにでもいるし、どこにもいない状態になる。

「あ、見っけ。意外と早く見つかった」

 わずか数分で何千里もの移動を終えて、ヲルタオはフィアマを見つけ出した。

 ちょうど飛行中であり、悠々とした速度で雲の下を東に進んでいた。

「たしか、マナの共鳴で周囲の鉱物を発熱させるから……周りに何もない、飛んでいるときに苗木を突き刺した方が良さそうね」

 そう判断するや否やヲルタオの姿は地上から消えうせ、雲の上で扉が開いたかと思うと、フィアマの頭上から苗木を構えたヲルタオが落下してきた。

 ファイマは、よもや自分よりも上に突然魔女が姿を現したなど露も思わず、そしてヲルタオが突き立てた苗木が、その背中に深々と突き刺さった。


 QRAAAAAAA!!!!


 その瞬間、フィアマは怒号を響かせ、翼を激しくばたつかせたが、ヲルタオは暴れる竜の翼の脇を掠めるように、そのまま下へと落ちていった。

「おやすみフィアマ。いつか元の貴方に戻れたら、またそのときに会いましょう」

 落ちていく先の地面に扉が開くと、ヲルタオは扉の向こうへと姿を消した。

 そしてフィアマは、背中に植えられた宿り木にマナを吸い取られて、半ば墜落するように山の上に落ちた。

 一瞬、竜は息を乱したが、やがて眠るように穏やかな息遣いへと落ち着いていき、静かに目を閉じる。

 眠る竜の背中で、新たな芽吹きが光を浴びていた。

 

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