第116話

 *


 白塔で話をする魔女たちに混ざり、絵描きのアルマは傍で話を聞いていたが、ふと手を挙げた。

「碧翠審院職員としてお尋ねしたいのですが、インクレスのマナが地表の鉱物を汚染している可能性がある。ということで、合ってましたか?」

「確証はない故、可能性に過ぎないがな」

と、メフィー。「古来より鉱石はマナに満ちたもの……。幾星霜とかけて徐々に汚染されていたのだとすれば、儂らの気付かぬうちにマナが徐々に変わった可能性もある。それを喰らった竜が、寄生されたのかもしれない。どうにかして汚染の有無を調べたいが、はてさて……古い鉱石を探そうにも、それが汚染されていない保証もない」

「手がかりはあるかもしれません」

 アルマの一声が、魔女たちの注目を集めた。

「私は碧翠審院所属です――まあ博物館のほうですが――最初の碧翠審院は碧玉と翡翠、それと大理石とを見比べ、その輪郭を見極める方法をミィココ先生が編み出すためにありました。それぞれの石が決められた形に削られていて、マナによる視界の歪みを、形の定まった鉱石を使って補正しようとする試みでした。ミィココ先生が海で暮らしていた頃から、次第に研究機関、役所、博物館へと役目を移り変わりましたが」

 ガイドのような口調が一時途切れたかと思うと、入れ替わりにミィココが口を開いた。

「……儂が何百年も前にひろった石ころが、まだあるのか。碧翠審院に」

「そうです。鍵付きの箱の中に、記念品として」

「はっ、なにを後生大事に、あんな石ころを……。だがその石、今や羅針盤となるやもしれん」

「ああ。もとの採石場所に行けば、時間による汚染度の差が割り出せる。碧玉と翡翠、大理石それぞれの保管があれば、鉱物や地域差も割り出せるだろう――それがもし分かれば、インクレスの真の影響も計り知れよう」

「よし、そうと決まればアルマよ。儂らがミレゾナの封印に出向く際に、その鉱石を持って参れ。採石場所なら覚えておるからのう、ついでに確認すればよかろう」

「はい!」

「しかし、なぜに――ノアルウはこれほど間接的にインクレスの対処に回っておるのじゃ。伝承を残したり、一人で対処したりせず、直接的な警告を残してくれれば、もっと早く対処できたかもしれんのに」

 ミィココは憮然として言う。ルカヱルは何かを言いかけて、しかし上手い言葉を見つけられなかった。

「これは想像ですが」

と口を開いたのは、またもアルマだった。

「もしインクレスの本質が寄生生物だとすれば、仕方ないかもしれません。大なり小なり、宿主の動きを支配する寄生生物もいます――多少体の自由が効いていたとしても、宿主が自分に危険を及ぼす行為を許すとは思えません」

「そうさ」メフィーが頷いた。「かつて儂に師事していたときも、結局、最後まで奴は目的を明かさなかった。秘密にしたかったのではなく、口を封じられていたのかもしれんな。インクレスに仇なす行為だから」

「直接的な敵対が封じられていたとすれば、封印は残された唯一の手段だったのかもしれんな」

「――いまもどこかで、裂け目を探してるのかも」

 ルカヱルがぽつりと呟いた。

「裂け目? さっき言っておった、ジパングの沖合のか?」

「それはもう封印されてたから、別の裂け目をね。インクレスが地表に姿を現すとすれば、その裂け目から出てくる可能性が一番高いから――って言っても、どこを探したら良いのか」

「それについては、さっきヲルタオに頼んだ遣いが終わればおのずと――」

「お待たせしました」

と、ヲルタオがどこからともなく現れたので、アルマがびくりと肩を跳ねさせた。

(この魔女の魔法、心臓に悪い~……)

 彼女の手には、角が欠け、変色した数枚の書類が束ねられている。

「ご要望の通り、ウルの論文の原著を持ってきましたよ」

「ああ、ありがとう。机に置いてくれ」

 ヲルタオは慎重に、論文を一枚一枚広げていく。質が劣化した紙は今にも灰のように崩れてしまいそうで、描かれた線も変色にまみれた紙の上で掠れて読みにくい。

「さて、儂の勘が正しければ……」

 そう呟いたメフィーが、人差し指をくいくいと折り曲げると、紙の一枚がその手の中に吸い寄せられた。ウルが書いた『海流の予想図』である。

 指でつまみ、光に透かすように持ち上げるメフィー。

「あの、メフィー様。あまり乱暴につかむと、崩れてしまうかも……」

「ああ、そうだな」

 ふっ、とメフィーが紙に目掛けて息吹くと、植物の繊維が忽ち若返り、紡がれたばかりの白い姿がよみがえった。

 ヲルタオが目を丸くしているのを傍目に、メフィーは目を細め、図の上に指を這わせる。

「……その論文に何かあるの?」とルカヱル。

 メフィーは彼女を一瞥すると、再び論文へと視線を戻した。

「主はこの海流予想図の写しを持っていたな。きれいに清書されたものを」

「う、うん」

「その写しにはない線が、原著の図には残っているはずだ。下書きだと誤認された線が」

「ご、誤認?」

 皆が騒然として、顔を見合わせる。「どういうこと?!」

「ウルの海流予想図のほとんどは、気流の観測結果に基づいている。それと同時に海底の地形の影響も無視できない。ウル本人はそう言っていた」

「……つまり、ノアルウがね」

「そうさ。ゆえに奴の予想図には地形の情報が描かれていると踏んだ。儂に師事するまで地上に出てこなかったあやつが知り尽くした、海底の地形がな」

 ぺら、とメフィーは紙をひるがえした。

 ルカヱルが知る海流の予想図の線――それに沿って、うっすらと破線が綴られている。インクでは表現が難しい濃淡のついた線は、どれも木炭で描かれたらしく、色褪せずに沈着して残っていた。

「……その線、確かに複写の際に誤認されてもおかしくないですね」

と、ヲルタオが呟いた。

「それが海底の地形ということか?」

「やはりメモされていたか。裂け目の位置は、ここにも記されている」

「えっ!」

「思いのほか裂け目の数は多く、大きいらしい。すべてをしらみつぶしに対処するのは叶わないが、それは寄生により体の自由が効かないノアルウも同じこと。故に奴は海流の予想図と海底の地形を重ね合わせ、海流の乱れと裂け目が一致する場所を、インクレスによる地上への影響ダメージが色濃く表れる場所と特定したのだろう」

「逆に言えば、インクレスに対しても最も影響ダメージを与えられる場所、ということか」

「だろうな。さて、海流が乱れた場所の情報なら、儂も多少は知っている。港に流れる風の噂なら、木々にも伝わるからな」

「私も知っています」とヲルタオ。「アヴァロンの船乗りは、皆その情報を共有して航海に出ますから」

「いま最もインクレスの影響が大きいのは――」

 メフィーとヲルタオが海流の予想図を覗き込み、各々が指を這わせ、それはやがて、同じ場所を指した。

「――あっ!!」

 ルカヱルが目を剥いたので、皆が彼女を見た。

 ヲルタオもまた、同じように驚いた表情をしていた。

「ルカヱルさん、この場所って、まさか」

「私がパシファトラスで見つけた裂け目……! できるだけ深い所を目指そうと思って、適当に箒で潜って見つけた場所の近くじゃない?」

「近くどころか、あそこがドンピシャです」

 ルカヱルがインクレスを発見した場所であり、大立ち回りの末、海底を散策していたヲルタオに助けられたという顛末を、ルカヱルははっきりと思い出した。

「そういえば、あそこは箒の封印が無かった。ノアルウもまだ、手を出してないんだ。裏を返せば、そこに現れる可能性は高いかも……」

「決まりだな。今のところは、他に妥当な候補もない」メフィーは鼻を鳴らし、紙面に置いていた指先を離す。「ウルめ……。手間を掛けさせよる」



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