第117話


 日が暮れるにつれ、真っ白な建築が橙に染まっていく。

 リンやアーニアとしばらく話していたセタは、それから一人で散策を始め、ひとしきり街の道を覚えた今、白塔の方を時折窺いながら街の景色を眺めていた。

「セタ」

と、背後から声を掛けられて、彼は振り向いた。

「ルカヱル様。話は終わったんですか?」

「うん。次にノアルウを探しに行く場所も決まったよ。明日、メフィーから苗木をもらったら、出発する」

「分かりました。場所は――」

「……セタ、君は置いてく。待ってて」

「えっ」

 セタは一瞬驚いたが、しかしすぐに納得もした。

 つまり、この件は図鑑の仕事ではない――セタが手伝えることが、ないのだ。

「そ、その。邪魔だからとか、そういうんじゃなくて」

「……ええ、分かってます。次の作業は確かに、あまりに危険すぎますからね。ルカヱル様が探す相手は竜ではなくノアルウ様ですが、なおさら、何が起こるか分からないですし」

 竜に寄生された魔女の理性が、人間寄りか竜寄りか、定かではないのだ。ノアルウの諸々の行動原理から、少なくとも理性を完全に失っているわけではないと推定できたが、常に正気を保っているという保証もない。

 現に、セタの前に姿を現したノアルウは、一言も発さず、姿を消した。あれが理性の“限界”の振る舞いで、もう言葉も話せない状態という可能性もある。

「まあラアヴァの時とかも、俺は待ってるだけでした。今度も、無事に戻ってくるのを待ってます。……竜図鑑も、まだ完成とは言えませんしね」

「ふふっ、そうだね」

「ノアルウ様を封印できますか?」

 セタは敢えて流れを変え、率直な質問を投げかけた。

 すると予想通り、ルカヱルは言葉に一瞬詰まった。

「……うん。技術的には多分。心的には、どうかな。実際に会ったら、少し迷っちゃうかも。苗木が刺さったら、やっぱり痛いかな?」

「人間だったら、そうですね。でも、もしインクレスに寄生されていたら、もっと酷い状態かもしれません」

 それを聞いて、ルカヱルは自分の左の手首を右手で握った。

「……私が探しに行く場所さ、前にセタといった深海なんだ。インクレスを見つけた所。そのとき私も、マナの共鳴を一瞬受けた」

 暗い海の底からインクレスの大群に追われながら、箒を使って海上を目指したときのことを、セタは思い出した。

 あのとき、ルカヱルは左手で魔法を使い、インクレスを追い払おうとしていた。

「あの一瞬でも左手にダメージが入った。それに、不愉快な感覚が身体の芯を伝わった」

「それが、共鳴の感覚?」

「寄生されて、マナが共鳴するあの感覚が身体中で、延々と続く――って考えたら、正気を保てるとは思えない。和らげてあげたい」

 セタは頷き、ルカヱルの意思に同意を示す。

「分かりました。今回ばかりは手伝えることがありませんが、健闘を祈ります」

「でもセタはジパングに送るよ。エダの地にね」

「えっ、エダに? ここで待機ではなく……?」

「もともとアーニアがジパングに行く予定で、ヲルタオに頼んで移動してもらうから、その時一緒にね。それにミラジヴィーを封印した後にメフィーもジパングに行くって言ってたから、ジパングに居た方がレムリアより安全だと思う」

「なるほど……」

 確かに、あの小さな群島に魔女二名体制ともなれば、下手な要塞よりも安全な環境と言える。

「ニアの相手は、ヒシカリの地にいるフルミーネでしたね。距離的にそもそもエダの地から遠いし、確かに安全そうですかね」

「うん、だから安心し……うん? えっ??」

 ルカヱルが目を丸くして、セタを見つめる。

「な、なんです?」

「ニア? って?」

「……………あっ」

 セタは短く声を上げた。

 さきほどまでアーニアたちと会話をしていたせいか、指定された呼称ニックネームである‟ニア”が出た。

 なぜか「口を滑らせた」という感覚がセタの背中を襲う――ルカヱルが不機嫌な猫のような目で彼を見つめていた。

「なに? アーニアのこと?」

「そ、そうです。アーニア様でう」と、セタは少し語尾を噛む。

「えー! 私のことはずっと‟ルカヱル”呼びなのに!? ずるい!!」

「ずるいて、でもアーニア様は年下で……。いえ、そう、そもそもアーニア様本人が、様付けを止めてそう呼べ、と言うものだったので」

「じゃあ私が‟ルカ”って呼んでって言ったら、そう呼んでくれるの?」

「………………………」

 “はい”と答えるべきか、“いいえ”と答えるべきか、視線を泳がせた1秒の内に、1年分判断に悩み、

「はい」

と、セタは一言、頷いた。

 ルカヱルは一瞬頬を綻ばせたが、すぐに咳ばらいをした。

「よろしい、じゃあ今度からそう呼ぶように。あっ、様付けもなしです。約束ね」

「分かりました、ルカヱルさ――」

 じ、と睨まれて、セタは咳払いした。

「……ルカ」

「うん! ふふっ」

 魔女が威厳のへったくれもない笑顔で頷いたので、セタも気の抜けた笑みを浮かべた。



 次の日、白塔に再び集まった面々の前には、根がむき出しの状態で苗木が並べられていた。

「苗木の準備はできた。この樹の根が竜の体に少しでも刺されば、根を張って宿り木となり、封印が発動する」

「おっかないのう」ミィココが目を細める。「魔女が触れても問題ないんじゃろうな?」

「ああ。基本的にな」

「儂らが根に触れたらどうなる?」

「主らのマナは反応しない。竜の体に触れたときに反応が始まるからな。ミレゾナの体にそれを当てることだけに集中すれば良い」

「便利なものじゃな。それなら、お主のこの魔法がどの程度のものか、せっかくだし見せてもらおうかのう」

 ミィココは不敵にほほ笑み、苗木の一本を手に取ってしげしげと眺めた。

「アーニア。主はヒシカリに到着してフルミーネを相手取ることになるが、儂が後に合流する。フルミーネはインクレスに寄生された竜の中でも大型ゆえ、一人で無理はせず、勝算を見極めて行動を判断するよう」

「わ、分かった」

「私が傍におりますので、できうる限りお助けします」

 レゴリィに声を掛けられてアーニアは頷き、おっかなびっくりと苗木を拾い上げた。

「さて、ヲルタオの相手は頻繁に移動する飛竜だが、見つけられそうか?」

「まあ。あの辺をまんべんなく探せば、いずれ見つかると思います。飛竜ってことは、空を見ればむしろ目立つから」

「そうか。ミレゾナと同じで、フィアマは樹のある所に姿を現さないから、儂の捜索網からは外れている。主の魔法であれば苗木を突き刺す事自体は問題なかろうが、捜索も任せたぞ」

 ヲルタオは涼しい顔のまま事も無げに頷き、机の上の苗木を手に取った。

「最後に、ルカヱル――主の相手は、封印の魔法を知っている。易々と通用するかどうか」

「うん。でも、不意打ちみたいに封印するの嫌だから、説得してから封印をしようと思う」

 ルカヱルは前に出て、机の上の苗木を一本手に取る。 

 鉱物と樹木の中間のような、不思議なマナの感覚があった。メフィーが用意しただけあり、ただの植物ではないようだった。

「説得だと? インクレスの寄生のせいで、まともに話が通じる状態ではなかったら?」

「……会ってから考える」

「そうか、まあ、そうしろ。少なくとも、何百年も前に魔法を教えた時はまだ話が通じた。今も、話が通じないと決まったわけでもない」

「うん。……メフィー、貴方の分の苗木は? ミラジヴィーを封印しにいくんだよね」

「儂はその場で封印の魔法を使える。逆に、主らに渡した苗木が竜に突き刺すまえに失われたら、封印は失敗だ。その時は一度この白塔に戻ってこい」

「成功したら?」とルカヱル。

「いずれにせよ、此処に戻れ。封印が成功したか否かは、通心円陣を介して、儂が最終的に判断する」

 その言葉に皆が頷いて応じたので、メフィーは息を短く吸い、解散の言葉を告げた。

「これは暇潰しではない。健闘を祈る――では、ごきげんよう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る