第111話
*
アイランの家の急須と茶葉で、湯飲みに淹れた緑茶から湯気が上がって、陽の沈む方角へと漂っていく。
セタとルカヱルは縁側に並んでいた腰かけていた。
「ノアルウがこの島に来てたみたいなの」
と、ぽつりと切り出したのはルカヱルだった。セタは静かに息を呑み、彼女の話に耳を傾ける。
「昨日、この近くの深海に海溝を見つけた……。前にアトランティスが沈んだ海で見つけたのと同じような」
「インクレスがいた、あの海溝ですか?」
「そう。でも、この島の海溝はちょっと違って空気で満たされてた――海溝の更に奥は真空になってて、その底に箒が刺さってたのです。インクレスの共鳴を完全に封じるための措置だと思うけど、あれは私の箒じゃない……。ノアルウがこの島に来て、刺していったんだと思う」
「やっぱり、そうですか」
「‟やっぱり”? セタ、ノアルウのことに気づいてたの?」ルカヱルが目を丸くした。
「といっても、気付いたのはつい昨日のことです。アイランさんと話をして考え事をしているうちに、ルカヱル様がしている答え合わせっていうのが、ノアルウ様のことじゃないかって――フジイさんにも聞いたんです。この島には、箒の魔女が来たという言い伝えがあるって」
「うん。すっかり私のことを言ってる風の噂だと思ってた」
「でもルカヱル様、気になることがあるんです。ノアルウ様はこの島に来たとき、自分の事を“ルカヱル”って名乗ったと」
「……」
ルカヱルは一瞬なにかを言いかけたが、ばつが悪そうに口を閉じ、言葉を飲み込んでしまった。
「それにインクレスの最初の伝承者も、ドクター・ウルも、ノアルウ様なんじゃないかって。でもこれは、勘に近いですけど」
「ふふっ、それ、私と同じ考えだ」
どこか力の抜けた語調で魔女は言う。「なんでノアルウが、自分の名前を隠してたか気になる?」
「え、ええ……。気になりますが……」
「ノアルウ本人に聞いたわけじゃないけど多分、ノアルウは私に探されないようにしてたんだと思う」
「え……。なぜです」
「海底に刺さってた箒に、翡翠みたいな鉱石が一体化してた。マナは少し翡翠とも違うけど、ともかく、鉱物がね」
「――!!」
セタは言葉を失った。その状況から想像できる事態は、決して良い物では無かった。
「それって、インクレスの寄生と同じような、あれが?」
「そう」
ルカヱルは頷いた。
「……ノアルウ様は、インクレスに寄生されているってことですか? 竜と同じように?」
「だから私に探されたくなかった――というより、そもそも人の目に就くところに基本的にいたくなかったんだと思う。偽名を使って、自分のことを探せないようにした。でも、インクレスそのものへの情報を残しながら」
「でも、助けを求めたり、他の魔女様とかに……」
「ノアルウは、それがリスクってことが分かってたんだと思う。寄生された当人だからこそ分かる危険性もあると思うけど、インクレスの寄生が、魔女から魔女に移るかもしれない」
「あ……」
ミラジヴィーとメルキュリオの間に起きた一幕をセタは思い出す。もともとインクレスに寄生されていた竜から、別の竜へと寄生先が変わった瞬間を。
あれを観測したからこそ、インクレスの脅威を確かに感じたのだった。
「アトランティスが崩壊したとき、ノアルウはインクレスの共鳴をまともに受けたんだと思う。そのときは寄生されて、体の制御を奪われたはず――」
「体の自由が効く間に、論文を書いたり、この島に来たりしてたんでしょうか?」
「魔女として動ける時間帯と、インクレスに支配されてる時間帯があるとか、位置によって異なるとか、考えられることは沢山ある。でも今は何より、ノアルウを見つけて無事かどうか確かめたい――ノアルウは、会いたくなさそうだけど」
語尾と視線を下げたルカヱルと目を合せるようにして、セタは首を振った。
「いえ、探しましょう。もしノアルウ様から話を聞ける状態なら、何よりも正確ですし……。ノアルウ様ってどのような外見ですか?」
まるで竜を探すときと同じように、セタは外観上の特徴を尋ねた。
「服装や髪型は……さすがに以前と違うかもしれませんが、髪色や、目の色は?」
「……緑」
「え?」
「髪も目もね。あの人は薄い緑色なのです。ふふっ。私、ノアルウ以外に髪が緑色の人なんて見たことない。それくらい珍しいから、もしその辺を歩ていたら、誰でもすぐ見つかると思う」
「!! ……!??」
セタは、言葉を失ったまま、辺りを慌ただしく見渡し始めた。
挙動不審な彼を見て、ルカヱルは首を傾げる。
「どうしたの……?」
「さっ、さ、さっき……! さっき俺、髪が緑色の女の人を見ましたよ!」
「――!!?」
今度はルカヱルが辺りを見渡す番だった。
「ど、どこ!? いつ!?」
「ほんのついさっきの事なんですよ! 俺、その人を追いかけていったら、ルカヱル様を見つけたんです!」
はっとして、セタはスケッチブックを広げた。
「この人! こんな人です! 色は塗ってませんけど――」
ルカヱルは受け取った絵を見つめて、ルカヱルは目を大きく見開いた。
「ノアルウ……!! これがノアルウです!」
「じゃあ、この島に?」
セタとルカヱルは顔を見合わせて、頷き合った。
「探しましょう、まだこの島にいるかも!」
「箒乗って! 空から探そう!」
*
それから更に丸二日も、セタとルカヱルは島中を捜索していた。
しかし空から探せど水中を探せど、あるいは人に聞いても、ノアルウの特徴と一致する人物の情報は得られなかった。
「……ノアルウ、もうこの島を出てったのかな」
ルカヱルはその日の夜、そう呟いた。
「二日も経って見つからないってことは……。そうかもしれませんね……」
セタは、自分が見た時のノアルウの挙動を思い返す。
走っても決して追いつけず、まさに風のような速さ――単に動きが速いというより、動き方の仕様そのもの違うのだ。ヲルタオの瞬間移動とはまた違う、違和感のある動き方である。
「ノアルウは、私にとって空気の魔法の師匠だからね。動きの速さで言ったら少なくとも私の箒と同じくらいある。それに、本気で隠れられたら誰にも見つけられない……空気の振動を相殺して、全くの無音で動けるからね」
ルカヱルは顔を上げて、陽が沈む橙色の海を見つめる。「ノアルウは身を隠してるんだ。探し方を変えないと……いや、そもそもノアルウは、私に会いたくないだけなのかな……」
しょげた様子で言うルカヱル。
セタはすぐに首を振った。
「いや、それはないと思います。ノアルウ様のことはそれほど知りませんが、それは断言できます」
「え? な、なんで?」
「言ったでしょ、俺はノアルウ様の後をついて行ったから、浜で倒れてるルカヱル様を見つけられたんです」
「あ……」
ルカヱルは声を上げる。「……そうだった。ああ、そっか。じゃあ深海で気を失った私を浜に上げたのも、ノアルウだったのかも」
「だとしたら、ノアルウ様がルカヱル様を避けているとしても、決して邪険にはしてないはずです」
「うん――。うん、ご、ごめん。ちょっと気が滅入っただけです」
少しバツの悪そうな様子で、ルカヱルは言う。
「セタ、明日レムリアに行こう。ノアルウの箒には、メフィーの魔法に似た封印の仕掛けがあった。メフィーが教えたんだとしたら、実はノアルウに会ってるかもしれない」
「なるほど――というか俺たち、もともとメルキュリオの観察を終えた時点で行くはずだったのに、これはむしろ行くのが少し遅いのでは……」
「だ、大丈夫だよ。別に期日は無かったし、それにほら、昨日メルキュリオを見ましたって言えば」
子供の嘘みたいなことを提案するルカヱルに対し、セタは目を瞑り、こめかみを抑えた。
「多分、メフィー様にはバレます。すぐに」
「あはは……だよね」
「まあ、別に怒らないとは思いますが」
かくして翌日、他の魔女たちから遅れて、セタたちも移動を始めた――奇しくもかの白塔にたどり着いたのは、他の魔女たちに渡っていた通達の「一週間後」だった。
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