第102話

「今の鳴き声!?」

 リンが声を上げた。「なんで? メルキュリオの鳴き声と同じじゃん!」

「メルキュリオ、というより――」

 厳密にはインクレスと同じなのだ。しかし、ついさっきまでのミラジヴィーの鳴き声は全く異なるものだった。

 それが結晶を取り込んだ瞬間、まるで塗り替えられたように変わってしまったのだ。独特の甲高い、金属音の反響にも似たインクレスの鳴き声に。 

 ミラジヴィーの足元には砕け散った結晶と、息絶えたメルキュリオの屍だけが残っている――ミラジヴィーは大きく口を開け、その竜の屍に食らいつく。

「た、食べてる……!」

 リンは顔を青くした。

 しかし竜の肉体はマナの塊であり、ある意味で極上のエサなのである。この世において、鉱石や魔女を上回るマナに富んだ食餌であり、共食いという感覚を持たない竜にとって、最も効率的にマナを摂取する方法なのだ。

 やがてメルキュリオの肉体を喰らいつくしたミラジヴィーの体表面に、黒曜石のような鈍い輝きの鱗が生えていく。ボロボロだった体の切創を石の鱗が多い、塞いでいく。

「マナが変質していく……」

 黒竜は再び、甲高い咆哮を上げた。


 QRAAAAAAAAAAAAAA!!!


 黒曜石の鱗が鋭く逆立つ。そして紫色の瘴気と触れ合うことで、青紫の鮮やかな色へと変わる。ついさきほどのミラジヴィーの様相は、もはや変わり果てていた。

 しっぽ切りで犠牲になった尾も、今は矢じりのような鋭い石に置き換わり、黒いランスに見えた。

「嫌な予感――」

と、誰かの呟きが終わるよりも早く空気を裂く音が響く。ルカヱルは反射的に箒を直上へ上げた。

 木々がなぎ倒される音が響く。さらに山の山頂が裂断され、土砂崩れが誘発した。

 一閃の後、黒曜石の尾は砕け散った――しかし、散り散りになった石の欠片が再び結集し、ランスを再構築していく。

「……!!」

 ルカヱルは箒を加速し、ヲルタオが扉の魔法の準備を進める。

 ――魔女たちの背後で、ミラジヴィーがランスを構えて、爆発音を響かせて突きの一閃を繰り出した。

 直前で発動した扉の魔法が、魔女たちの姿をどこかへと消し去る。残された地形は竜の生み出した真空波で破壊され、土壌が剝がされたかのように土が露になった。

 残ったミラジヴィーは、再び甲高く勝鬨の咆哮を轟かせた。





 メルキュリオの死亡、および、黒曜のミラジヴィーをセタが観測した、僅か10秒後。

 大役所の通心円陣を介して、白魔女メフィーからの直接の指令が、各役所に通達されていた。

 曰く、

 “図鑑の魔女をレムリアの白塔に呼ぶこと”

 “図鑑の絵描きも共に招集すること”

 “1週間以内に移動を終えるよう手配すること”





「―――うわっ!」

 扉を通り抜けたセタたちは、砂浜の上に飛びだし、転がるように横滑りした。

「いたたぁ……」リンも呻きながら体を起こす。「なに? ここ、どこ……?」

 顔を上げて見渡すと、波の音が響き、夕日が水平線を橙に染めていた。一瞬前までは黒い竜の破壊的な振る舞いを目の当たりにしていたのも相まって、環境のギャップが非常に大きかった。

「……西洋群島だよ」

 そう呟いたのはヲルタオだった。「とっさに一番遠い所まで撤退しようとしたら、ここの扉が開いた」

「ルカヱル様は?」セタが面々を見渡しながら言う。

「……ここ」

 茂みの奥から、箒を持って本人が姿を現す。頭やら肩に草が付いていた。

「いやあ、凄い物を見た……何はともあれ、今は助かって良かったよ」

「それは同意です。でも、あれはいったい何が起きたのやら」ヲルタオは腕を組み、つい先ほどの出来事を思い返す。「メルキュリオの結晶がミラジヴィーに乗り移ったような。あの現象を、何と表現すべきか分かりません」

「だね。それに、鳴き声も変化していた」

 セタにとっても、鳴き声の変化が最も印象に残る記憶だった。見た目の変化や、竜の争いの壮絶さ、感じた命の危機――は、確かにすさまじいものだったが、それでも鳴き声の変化という音の情報が最も印象強いものだったのだ。

「鳴き声って言っても、状況に応じて意味は異なるだろうけど。例えば威嚇の時とそうでない時なら違う声を出すだろうし。けどさっきの一件は……、どうもそういう考え方では説明できない気がする」

「同感です。分からないことが多すぎる……」

 ヲルタオはため息混じりに呟いた。「私の目では、マナの動きも追い切れないことが多かった。ルカヱルさん、少し整理させてくれないですか? 図鑑が必要かはともかく、さっきの出来事はちゃんと整理したい」

「ふふっ、ヲルタオがそう言わなかったら、私の方からお願いしてたくらいだよ。さて……ここ、西洋群島だよね? ティナがいた研修所をまた借りよう」

「学院の研修所のことですか? ここはすぐ近くのはずです。歩いて行けます」

 そうこうやり取りをしていると、茂みの影から一人がルカヱルたちを覗き込んだ。ぎょっとした表情を浮かべて、慌てて駆け寄ってくる――

「を、ヲルタオ女史……!? それに、ルカヱルさま、セタさん……えっ、リンも!?」

 それはティナだった。声に気付いて様子を見に来たところらしい。まさか魔女が二名もいるとは露も思っていなかったが。

「み、皆さん……ここに、いったい何の用が……?」

「おや、ちょうどいい」と、ルカヱルは微笑む。「ティナ、研修所の部屋貸して」



 かくして整理された情報は、次のようなものだった。

 まず外観の変化――セタが作成した簡単なスケッチによれば、メルキュリオは絶命後に中の姿が露になり、反対に、ミラジヴィーは黒い石を纏ったことで体の一部が隠された。

 石は木炭のように黒いにも関わらず、金属光沢を併せ持っており、黒曜石の類に見えたという。

 これについては、魔女組も同意した。纏っていた鉱石のマナはまさしく黒曜石に似ていたのである――石を纏った経緯は、メルキュリオが元々纏っていた結晶がミラジヴィーの体へと移ったことである。

 不可解な点として、メルキュリオの結晶とミラジヴィーが纏った石は、鉱物類という広い意味では同じだが、全く異なる種類だったこと。

 その点に加え、さらに石を纏うや否やミラジヴィーの鳴き声が、より甲高い、インクレスとその仲間に固有の音に変化したことが謎だった。


「へ、へえ……。竜って、そんなことがあるんですね……」

と、脇で議論を眺めていたティナが言う。魔女二名が議論を白熱させて、陽が沈んだ後の事だった。

 リンとセタは休憩がてら議論から外れ、魔女から離れてティナと同席していた。

「大変でしたよー! もう今日はへとへとで」と、リンが息をついて言う。

「リン、ヲルタオ女史のカフェで働いてるって聞いてたけど……今はそんなプロジェクトにかかわってるんだね……」

「お二人は知り合いですか?」

と、セタがふと尋ねる。最初に頷いたのは、リンだった。

「うん! 学院の先輩後輩だもん」

「あはは……元、だけどね」と、ティナは肩を竦めた。「リンは在学期間が短すぎて……すぐ卒業出来ちゃったから……私は後追いで、今年ようやく卒業できるかどうかなの。リンは最近、写真機っていうのを作ったんだよね?」

「そうです! 竜の記録のために使ってて――でも、今日はダメでした。使う暇すらなくて」

 まあ確かに、とセタは思い返す。箒に乗りっぱなしの状況では、写真機を構えるのは難しすぎる。さらに言えば、地上に降りる方が危険すぎる状況だったが。

「あーあ、セタさんみたいに見た物を全部覚えられたらな……いや、でも絵を描けないか、私」

 リンは言うと、ころころと一人で笑う。

「セタさんは……ジパングから来て、竜の図鑑を作ってるんでしたね……。それで、今日は不思議な出来事があったと……」

「そうなんです。興味があって調べてる竜がいるんですけど、もう分からないことが多すぎるもので」

「前に聞いた……、インクレスのこと?」

 ティナの質問に、セタは頷いて応じる。

「分かったことが増えるほど、分からないことが増えていく感じで」

「それが……今、魔女さまたちが議論してることなんだ……。魔女さまも……分からないことがあると、ああやって議論するんだね……」

 珍しいものを見るように、ティナは言う。「私も……しょっちゅう分からないことがあるから……皆で議論したり……思い込みが無いか見返したり……。あとは、逆に考えてみたり……因果を考えるときはね……逆に解釈した方が自然な時とかもあるんだ」

「逆……?」

「例えば?」

 セタとリンに問われて、ティナは少しだけ考え、例を挙げた。


「今のテーマなら、例えば……‟インクレスと同じ鳴き声の竜は鉱物を纏っている”んじゃなくて、“鉱物を纏った竜はインクレスと同じ鳴き声になる”――とか……? ……これは、自分でも不思議なこと言ってる気はするけど」


「――いえ、ありがとうございます」

 セタは確信に近い感覚を抱いていた。

 ティナは例のつもりで適当に言ったのだろうが、それこそが本質に限りなく近い考えだったと。

「ルカヱル様、これからメフィー様に会いに行くと思いますが、少し話したいことがあります」

「え? セタから?」

 ルカヱルは驚きつつ、その表情はすぐに楽しそうな笑みへと変わった。「――なに? 聞かせて」


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