神話の解釈

第101話

 骨の軋むような音を響かせながら、ミラジヴィーは大きな翼を動かした。肉体から漏れ出す瘴気が、風に乗って周囲に広がっていく。

「う、ごほっ!!」

 煙に呑まれたセタは忽ちせき込んだ。喉が灼けるような感覚が、命の危機を強く訴える――しかし直後、空気が清浄されて息を吹き返した。ルカヱルが空気の魔法によって瘴気を受け流したらしい。周囲を見渡すと、瘴気が広がった後の木々からハラハラと葉が落ち、茶色く枯れはて、やがては漂白されたように白くなっていく。

(見るからにまずい……! 毒とは別の何かだ!)

 極めて即効性の腐食が一帯を覆う。毒は生体に対して危険性を持つが、土や金属を蝕むわけではない――だが、ミラジヴィーの瘴気はより物理的な危険物であり、対象が何であろうと構わず、それを無差別に腐食し、荒れ果てさせ、ダメージを与えていった。

 メルキュリオは体を薄い盾のように広げ、さらに両手を立てくような動きで突風を巻き起こす。大地に落ちた枯れ葉が舞い上がり、瘴気の煙も吹き飛ばされて、霧散した。

「うわっ!?」

 風はルカヱルの箒をも飲み込み、操舵が大きく揺らいだ。周囲を見れば、突風に乗って細かなメルキュリオの結晶が飛び散り、ダイヤモンドダストのような輝きを放った。

(また共鳴がくる!!)


 QRAAAAAAAAAAA!!!!!!


 ルカヱルが箒の舵を切るよりも早く、咆哮が辺りに響き渡った。結晶が吹雪のようにうねり、渦巻いていく。

「いたたたっ!!」

「目が開けられない……!!」

 リンとセタは顔を伏せ、メルキュリオが起こした嵐に耐える。

 結晶に攻撃されたミラジヴィーは唸り声を上げると、体を捩じり、しなやかで重厚な尻尾を鞭のように振るい、巨大な体躯を活かした破壊的な一閃で、結晶も地形も薙ぎ払った。

 それと同時に口からブレスを吐き、さらに体の傷跡から瘴気を噴出して容赦のない無差別攻撃を一帯に繰り出す。尻尾の一撃を受けたメルキュリオの一部は砕け、さらにブレスが直撃して結晶が変色し、体が大きく揺らいだ。

 暴風と熱線、結晶の吹雪が飛び交うなか、ルカヱルは低空を高速で飛行し、攻撃を避けつつ、空気の魔法で瘴気が身体に当たるのを逸らしていく。

「竜といっても――これは、生物のレベルを超えすぎ!! 暴君! 災害!!」

「まさかここまで攻撃的とは……」

 魔女両名が慄くなか、メルキュリオは体を剣槍のように鋭く研ぎ澄ます――体に纏う結晶を鋭さに特化した形状に完全に転換したことで、その内側に隠されていた肉体が露になった。

 ムカデのように無数の足が生えた、その細身の白い肉体にはウロコはなく、アルマジロのように結晶が背中の甲殻となっていた。魚のように大きな左右の目が、各々別の咆哮を向くようにグルグルと動く。

 セタはそれを見て、目を剥いた。

(うわ、なんだアレ!? メルキュリオの本体……?)

 体を大きく見せていたもの全てが、結晶だったようだ。本体のサイズはかつて見てきた竜たちと比べても小型の部類で、ミラジヴィーの方が一回りも二回りも大きい――ただ、その頭部に構えた角は竜の体躯よりも大きかった。メルキュリオは大きく角を振り、ミラジヴィーへ切りかかる。

 大地を裂断するような衝撃が駆け抜け、地と空気が揺れ、砂埃が立ち上る。

「……!!」

 ごく刹那の静寂の後、砂埃を切り裂くように、紫色の熱線が放たれ、辺りを焼き払った。

 ミラジヴィーは、尻尾を犠牲にして角の一撃を受けていた――それはトカゲのしっぽ切りにも似ていた。ためらいなく自身の体の一部を切り離すと、ミラジヴィーはメルキュリオの本体の肉体に噛みつく。

 そして竜の肉体を噛んだまま、瘴気のブレスを吐いた。


 QRAA―――…・・・

 

 竜の断末魔が木霊して、やがて熱線が静まると、ミラジヴィーはメルキュリオの肉体を吐き捨てるように地上へと叩きつけた。メルキュリオはもはや動かず、完全に沈黙していた。

(まさか、竜が死んだ? こんなあっさり……?)

 弱肉強食の世界を目の当たりにしたセタ。彼は自分の視線が、魔女のマナに惹かれたミラジヴィーの視線と交差したような気がした。

「ひっ!」リンが顔を引きつらせると、セタの背中を掴む手に力が入る。「を、ヲルタオっ……!」

「あと、あとちょっと…!」

 ヲルタオの手のひらの上で、光の火花が散り、魔法が不発する。「あと……っ……!!」

 ミラジヴィーの口の中で、瘴気と光が紫色に渦巻き、首を大きく上げて、ブレスの予備動作に入った。

 セタの中に刻まれた鮮明な記憶が走馬灯フラッシュバックとなって、ブレスの光と交互にちらついて――

 その瞬間、ミラジヴィーの胴体を、背骨に沿うように、鋭い結晶が貫いた。

 竜の硬い肉体を貫通し、砕けた結晶が飛び散って眩く光る。そしてミラジヴィーの口から煙草の煙のようにマナが零れて、短い呻き声を上げたのだった。

「はっ……!?」

 断末魔を上げて、息絶えたはずのメルキュリオの体が不自然に動き、尾に纏った結晶でミラジヴィーを串刺しにしたのだった。

 ショッキングな瞬間を眼にし、絶句するリン。

 一方セタの頭の中では、竜の不自然な動きが記憶に刻まれ、衝撃よりも強い違和感を与えていた。

(なんか、いま……尻尾が結晶に釣られるように動いたような?)

 セタの目にはそう見えいてた。体に力が入っている様子はないのに、突如尻尾の動きに引きずられて、メルキュリオの体全体が動いた。糸に引かれる人形のような、ぎこちなく、不自然な動きだった。

 セタの目から見て、メルキュリオは完全に死んでいた――だった。


 ……・・・―――


 ミラジヴィーが沈黙し、メルキュリオも沈黙し、魔女と絵描きたちが呆然として眼前の光景を見つめていた。

「……ルカヱルさん、今ならもう、扉の魔法は使えます」と、ヲルタオがぽつりと呟くと、皆が息をはっと飲んだ。

「う、うん。でももう、急ぐ必要ないかも」

「みたいですね」

 ヲルタオは努めて平静な口調で言いつつ、大きく息を吸いこんだ。「壮絶なものを見た……竜の相打ちなんて」

「だね。ミラジヴィーも、メルキュリオも、マナを見る限りもう息絶えてる」

「貴重な瞬間だとは思いますが、いったん戻りましょう。息絶えた竜の図鑑をどうすべきか、という問題がありますが、メフィー様にこのことを話した方が――」

「待って、待ってください」と、セタが言う。

「え? なんでです?」

「あの結晶、何かおかしいです」

 セタの提言を聞き、ルカヱルはすぐに視線を竜へ向けて、目を細める。

 ちょうど、ミラジヴィーの体を貫いていたメルキュリオの尻尾がずるりと抜け落ち、大きな音を立てた。結晶だけをミラジヴィーの体の中に残して。

 セタは息を呑む。

「あの結晶だけ……まだ、動いてる」

「うそ、だって、メルキュリオはもう」

 ルカヱルは自分の目で見えているものが信じられずにいた。

 メルキュリオの肉体が動く気配はない。ミラジヴィーも動く気配はない――結晶だけが動き、ミラジヴィーの体の中へと入り込んでいくのだった。

(まさか……)

 ルカヱルの頭の中に、突如考えが浮かんだ。ありえないような考えだったが、目の前の現象を説明できる仮説が。

(メルキュリオが結晶を操ってたんじゃなくて……結晶が、メルキュリオを操ってた……?)

 結晶を取り込んだミラジヴィーの肉体が、エンジンが再起動したように、がくがくと震えながら動き出す。その体表面に、黒く光る金属質の光沢を汗のように浮かべながら。

 ミラジヴィーは、歯をガチガチと鳴らすと、息を吸い、そして新たな産声を上げた。


―――QRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!

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