第100話
メルキュリオの本体は、さきほどヲルタオを捕食したときの大きく平たい形態ではなく、細長い蛇のような形態をとっていた。森林地帯から飛び出したことで、メルキュリオは擬態を解除し、なおも猛然とルカヱルたちの箒を追いかける。
取り巻きの小さな結晶も、本体の動きに付き添うように加速し、勢いを増す。
「って、あいつもう擬態を諦めて加速してない!?」
リンの言う通り、メルキュリオは速さを上げ、ルカヱルの箒の真下を目指してスピードを上げていく。
「そうか、森林地帯を抜けたから、もう障害物が無い。……じゃあ、擬態が無くても本気で追いかければ追いつけるってことか!?」
速度を上げるメルキュリオに対して、セタたちはルカヱルの箒を四人で使用している状況である。二人で乗っているときと比べて加速には限界があった。
QRAAAAAAAAAAA!!!!!!
再び咆哮が轟くと、空を舞う結晶も加速し、ルカヱルの箒に張り付き始める。
「にあああああ、邪魔!!」
ルカヱルが斥力で弾き飛ばす。それからも、ついでぞくぞくと結晶が張り付いていく。
「きゃああ!!」悲鳴を上げながら、リンが服に張り付いた結晶を払い落す。「虫みたいで気持ち悪い!!」
一方、箒は徐々に速度と高度を下げていた。張り付いた結晶が魔法を妨害し、撃墜を狙っているのだとルカヱルは気付く。
「ここまで狡猾に頭を回せる竜がいるとはね――。ヲルタオ、扉の魔法を使えるまであとどれくらいかかる?」
「あと3分もあれば……。ですが」ヲルタオは体に張り付いた結晶を払いのけつつ、顔を顰めた。「このスピード差……! 3分持ちますか?」
「頑張るしかない!」
ルカヱルはスピードを出来るだけ上げて、北に見える山の頂上を目指す。一本の大きな枯れ木が山頂に生えており、目測では、そこにたどり着くまでちょうど3分だった。
(山の斜面のきついところだったら、地面を走るメルキュリオの速度は落ちるはず――ここで差を付ければ、扉の魔法で帰還できる!)
一方、メルキュリオは細くのばした体を丸め、代わりにクモのように先の鋭い足を無数に生やした。それをスパイクのように山の斜面に突き立て、地面を蹴りながら、スピードを落とすことなく追走する。
「き、気持ち悪!?」
「頭良すぎる、あの竜……!」
メルキュリオが加速したことで、空を飛び交う結晶がルカヱルの箒を追い越していく。そして線のように連なり、網のように束なった。
「あっ……ぶない!」
ぎりぎりのところでルカヱルが魔法で弾き飛ばし、網ごと破壊して突破する――しかし、飛び散った結晶が無数に箒に付着した。
(まずい……! こっちが狙いか!)
QRAAAAAA!!!
メルキュリオの声が轟き、共鳴作用が結晶に働く。箒に張り付いた結晶がメルキュリオの元へ引き付けられ、箒を引っ張って減速させていく。
「こ、この……!」
ルカヱルは山頂を見る。目印にした枯れ木との距離差から見て、あと2分以上は稼がなければならない――引き寄せられて、メルキュリオの下まで落ちるのにかかる時間の方が、今は早そうだった。
(堕ちる――)
ルカヱルがそう思った瞬間、大地が身震いしたように、一瞬の振動が周囲に駆け巡った。さらに目標としていた山頂から瓦礫が転がり落ち、山肌に亀裂が走ると、その裂けた大地から爪のようなものが飛び出したのである。
「……え?」
誰もが唖然とする中、さらに眼光が裂け目の奥で光り、空まで届く咆哮が響き渡った。
――GYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYWWW!!!!!!!
ついに山頂が崩壊すると、中から四つ足の影が這い出て、長い尾を含む全身が地表に現れたのである。その鱗は漆黒に近く、紫色の線が所々でうっすらと光っていた。足や胴はやせ細り、目は退化したのか、真っ黒な頭の中で位置を判別することはできない。
「な、なに、あれ?」
「あれは――竜……、か?」
膜が破れて穴の開いた翼を広げ、竜は首を振り、鋭い牙が光る口から紫色の霧のような息吹を零す。
異質だったのは、その背中に、山頂に生えていた枯れ木が根付いていて、まるで背びれや角のように一体化していたことである。木の根は胴体に纏わりつくだけでなく、胴体を貫いていた。
(胴体を樹に貫かれた、ぼろぼろの竜――こいつ……)
「ミラジヴィー……?!」
ルカヱルが呟いたのをセタは聞き逃さなかった。
「ミラジヴィーって、ラミヤさんが言ってたあれですか? メフィー様が遠い地に封印したっていう……?」
「えええ? こんなところにいたの? ていうか、なんでこんなタイミングで目覚めちゃったの?」
リンの問いを聞き、ルカヱルは改めて「樹」を見つめる。
すっかり枯れてしまったその樹には、葉っぱの一つも残っていなかった。ルカヱルは息を呑む。
「封印のときに使った杭って、メフィーの樹か……。それが弱まったんだ、1000年前に掛けた魔法だから」
「……弱まっただけならともかく、もう一つの原因はおそらく、メルキュリオのマナでしょうね。不快感が酷いですから」
ヲルタオはため息混じりに言う。
(封印が弱まってきたところに、メルキュリオが刺激して目覚めたってことか。でもこれ、一体どうなる……?)
空には魔女が二名、地上には竜が二体。
ルカヱルに執着していたメルキュリオも、その興味――というより警戒は、ミラジヴィーの方に向いていた。当のミラジヴィーは空の魔女と、地上のメルキュリオのそれぞれに顔を向ける。
いま動けば刺激になる、とルカヱルは予想した。セタとリンは、もはや固唾をのみ、息すら止まっていた。
それに対し、メルキュリオが一歩だけ横に動く――その瞬間、ミラジヴィーの紫色の線が光り、口の中にマナの光が灯った。
(何か来る!)
マナの収束を察知したルカヱルが箒の高度を垂直に上げる。
直後ミラジヴィーはレーザーのようなブレスを放ち、メルキュリオに向かって攻撃を仕掛けたのである。
(狙いはメルキュリオだ――今のうちに!)
メルキュリオは体表を盾のような丸い形状に変え、ブレスを軽減する。対してミラジヴィーは、ブレスを吐いたまま首の角度を天を仰ぐように変えて、ルカヱルのいる方向も狙った。
「うわああ、こっちもだ!?」
ルカヱルは箒を横に加速し、ブレスを避ける。ブレスは天の雲を裂き、線状の雲の隙間を作り出した。
それだけにとどまらず、ブレスを吐いたまま長い首の角度を複雑に揺らし、地表を薙ぎ払うように攻撃した。
「ちょ、あいつ攻撃的過ぎる!」
「魔竜と呼ばれるだけありますね」
「メフィー、こんなやつ封印したの?!」
ブレスが掠めたあとの森林は葉を枯らし、季節が変わったかのように不毛化していく。ブレスをまともに受けたメルキュリオの結晶も、まるで錆びついたように色が変色し、剥がれはじめた。
(メルキュリオの結晶が壊れていく……。変質した結晶を操ることはできないのか)
「を、ヲルタオ……、もう回復、終わってない?」
「すみません……あと1分くらいです。もし無傷で過ごせれば、ですが」
GYYYYYYYYYYYYYYYWWW!!!!!!!
QRAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!
そうして、皆の人生で一番長い1分間が幕を開けた。
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