第98話

(声真似うっま……!!?)

と、ヲルタオの咆哮を聞いた3名の感想が一致した、その瞬間だった。


 ――QRaaAAAAAAaaaA!!!


 どこからともなく、輪唱のように続けて咆哮が響き渡ったのである。セタ、リン、ルカヱルが同時に思い思いの方向へ視線を向ける。

(今の声、ヲルタオのじゃない! どこから――!?)

 皆が驚いたのは、あれだけ探して見つからなかったのに、竜の鳴き声はすぐ近くから聞こえたからだった――異変に最初に気付いたのは、リンだった。

「あそこ!!」

と声を共に指さした方向へ、皆が目を向ける。

 ただの風景だと思っていた丘陵地帯に、光が屈折して歪んだ空間が生じた――目を凝らすと、大きな何かの塊が輪郭を揺らしながら、そこで動き始めたことに気付く。

「あれって、擬態……?」セタが気付く。

「ふふっ、しかものね……!!」

 ルカヱルの発言を聞いたセタは、はっと驚かされた。魔女2名、そして人間2名の捜索を至近距離で掻い潜った擬態能力は、背景の色とマナの両方を模していたのだ。

「マナの質までも制御して擬態するなんて。面白い」

 ヲルタオは感心したような息遣いを込めて呟く。

 色とマナが変質し――もとい、メルキュリオの元の状態に戻ると、図鑑で見た不定形の輪郭が姿を現した。丸みを帯びるほどまで執拗にカットされたような多面的結晶が、ウロコのようにぞわぞわと蠢き、息遣いに合わせるように、刻一刻と形を変えている。

(あれがメルキュリオ……)

 セタは踏みつぶされた虫を見るような、複雑に顰めた表情でその様子を見つめる。形はいつまでも安定せず、硬さを持った湯気を見ているような気分だった。無数の多面体結晶の外殻は、いっさいの生き物らしさを感じさせない。

 メルキュリオが形を変えた時――その輪郭は、ようやく竜らしい長い首と大きな角、尻尾を持つシルエットとなった。とはいえ滑らかさはなく、木彫りのような線の粗さがあった。

「あれがメルキュリオの本当の姿……なのかな?」

 リンが写真機を構えた瞬間、メルキュリオは再び全身の結晶をざわざわと逆立てた。

「ひっ……!」

 潜在的な嫌悪を感じさせる挙動にリンが声を漏らす。そして再び、竜の咆哮が空に木霊した。


 qraaaaaaa……!


 その声はどこか弱弱しさを感じさせた。メルキュリオは流体のように滑らかに体をひるがえし、魔女二名から逃げるように動き出す。

「追うよ、見失う前にね」と、ルカヱルが早口で呟き、箒を加速する。地上のヲルタオも光を纏って滑るように走り出す。

「ルカヱル様、メルキュリオの鳴き声に少し違和感が」

「違和感?」

「なんというか、ちょっと弱弱しいような――声だけでなく、振る舞いもですが」

 魔女二名に追われて逃げるように駆けだすというのは、挙動として弱弱しい。これまでセタが対峙してきた竜は、もっぱら魔女を見ると格好のエサとして牙を光らせるか、あるいはまったく気にしないか、いずれかだった。その点においてメルキュリオの行動は珍しかった。

「弱弱しい?」

 ルカヱルが言葉を繰り返し、はっとして地上を見下ろす――ヲルタオが、メルキュリオを追いかけているのが見えた。

 その、地面に違和感を覚え、目を見開いた。

「ヲルタオ!!! 退いて!!」

 声が届くよりも早く、地面が突如色を変えて、隆起する。

 その大地の動きはトラバサミのようで、ヲルタオの体を素早く捉えた。木々はまるで牙のように嚙みあい、彼女の体を固定した。

(地面が……!??)セタはぎょっとして、言葉を失う。

「ヲルタオ!!」

 ルカヱルは箒を急降下させた――魔女である彼女と、地面にヲルタオの二人は、メルキュリオの生態を既に直感的に理解していた。

(さっきのあれは“疑似餌”!!? 疑似餌に釣られたものを、地面に擬態した本体が噛みついて捕食した…!!)

 牙を剥いた大地は次第にテクスチャを変えていく。濁った結晶がポリゴンのように滑らかな多面体の体表を描写すると、異形の竜が姿を現した。


 QRAAAAAAAAAAA!!!!!!


「くっ、うuuuaa……!!!」

 咆哮が轟くとヲルタオの頬に亀裂が走った。ルカヱルには覚えがあった。インクレスに類する共鳴能力をまともに食らうと、魔女の体であっても容易く崩壊が始まる。

(迂闊――マナを擬態して、罠を張ってた! これがメルキュリオの生態……!!)

 牙に挟まれて拘束されたヲルタオは扉の魔法を使用しようとした。扉の魔法は発動と同時に、手に届く範囲に扉を呼び出すことが出来る。しかし簡単なことだが、腕が動かない状態では扉を開けることが出来ず、扉の魔法を使えなかった。

 メルキュリオの肉体が少しずつ細くなっていき、地面に開いた穴へと流れ込むように隠れていく。その過程で、ヲルタオの体はメルキュリオに取り込まれた。

「ヲルタオ!! ルカヱルさん、ヲルタオが……!!」

「助ける!!」

 ルカヱルが竜を目指して加速する。しかし、その間に立ちはだかるように何かが跳躍してきた。

「うわっ!?」

 ルカヱルは咄嗟に旋回して、その飛翔物を回避した。

(今のは――?)セタが横目で捉えたのは、さっきの疑似餌のようにふるまっていた小型の竜のポリゴンだった。

 見れば、あたりで続々と結晶が変形し、小さな竜が形成されていく。全てが同じ形であり、量産された人形のようだった。その量産型の一つ一つが飛び跳ね、ルカヱルの動線を妨害する。さながら蝗害を思わせるような夥しい数の竜の分身に、ルカヱルは顔を顰めた。

「攪乱?! こ、小賢しい……!!」

 小賢しいと言いつつも、ルカヱルは焦っていた。妨害されている間も、結晶に呑まれたヲルタオが地面の穴の奥へと沈みつつある。

(あの本体の動きを止めないと――)

 ルカヱルは右手を伸ばし、金属の魔法を使ってマナを持つ物――すなわち、メルキュリオの本体に引力を作用させた。その瞬間、ルカヱルの箒はがくりと高度を下げ、逆に、地面に沈みかかったメルキュリオの肉体は若干引き上げられた。

 しかし一秒も経たないうちに量産型のメルキュリオが脇を掠め、魔法の引力を妨げる。その途端、メルキュリオは再び、地面へと沈み始めた。

(くっ、この疑似餌というか、小っちゃい分身――これほどの数を制御するなんて、魔女でも難しいくらいなのに!)

 ルカヱルはメルキュリオの魔法の制御能力に慄いていた。インクレスと同じ鳴き声を持つ竜たちはすべて、何かしら離れたものに作用する共鳴能力を持っている。単にマナを持ち、それを放出するだけの他の竜と一線を画す生態である。

(でも、これはあくまで疑似餌に過ぎない。本質的に危険なものじゃない。だったら……)

「――セタ、リン!! 強く掴まってて、ちょっと本気で魔法使う!!」

「えっ? あ、はい!」

 セタとリンが構えると、ルカヱルは右手でメルキュリオの本体を引き付けつつ、左手を空高く挙げた。

 右手で引き寄せているメルキュリオの本体のマナを解析し、同じ性質を持つマナを選択して、ルカヱルから遠ざける方向に反発させる。

 早い話が、鬱陶しい竜の分身たちを、一撃でまとめて吹き飛ばす。

「―――aaaAAA!!!!」

 ルカヱルが声を上げると、左手を中心に空間を歪ませる波動が周囲へ瞬く間に広がり、分身たちを蹴散らすように押しのけたのだった。


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