メルキュリオ

第97話

 *


 結晶が流れる様子から“流晶”という美しい語句で伝承が飾られているメルキュリオは、基本的に人畜無害と認識されている。

 体に毒はなく、火も吐かない。好戦的な振る舞いは見せず、通商路の近くで目撃されることがあるにも拘わらず、人が被害にあったという話がされたことはない。

 ゆえに“結晶が流れるが如く”。

 ただそれだけの情報が今も語り継がれている――ただ、そんな温厚なメルキュリオに唯一、眉を顰めるような特徴があるとすれば、それは形である。もしその姿を絵に描けば、その時々によって、異なる形になるだろう。メルキュリオが“竜”として認識されているのは、ごくまれに、その形状が典型的な竜の形状に近い時があるという観測事実があるからであり、なおかつ、そのような不思議な生態を持つ生命体は、竜以外ありえないという消去法的な根拠に基づいている。



 

「骨が折れそうだぁー」

 リンが顔を顰めるのも無理はなかった。

 ルカヱルの箒で移動すること小一時間。一行は、記録にあるメルキュリオの発見地区に既にたどり着いていた。周囲にランドマークとなるものはなく、山脈の織り成す地形を元に場所を特定したところだった。

 そしてアーニアが残した図鑑には、流晶メルキュリオの情報が見た目と挙動くらいしか記載されていなかった。そのため、メルキュリオの行動周期、餌場などの情報が無かったのである。

「マナの痕跡を探すよ」

 ヲルタオはそう言うと、遠景の地平を順繰りに見渡していた。リンは、図鑑の絵を再び見つめる。

「こんなのがいたら、すぐ分かりそうなのに」

 一方で、ルカヱルとセタは箒に乗って、上空から地上を俯瞰していた。

「なんで同じ鳴き声なんだろうね」

と、ルカヱルがふと口を開いたのは、捜索から10分かそこらが経過したころだった。セタは静かに、彼女の続きの言葉を待つ。

「環境に応じて成長した個体説、っていうのも確かに妥当な線だけれど――。どうしても違和感がある。セタはどう思う?」

「正直、俺も成長個体と見るには、少し……個性があり過ぎると思ってます」

 セタがそう思うようになったのは、まさしくメルキュリオの姿を図鑑で見た時だった。その姿は、セタの脳裏にくっきりと残っている。

「……そもそも、インクレスは幼体なんでしょうか?」

「ふふっ。そこ、私も気になるのです」

 ルカヱルがわが意を得たり、といった嬉しそうな表情を浮かべて振り返る。「竜がどう繁殖するのか、実はよく知らなくてね。必然的に、幼体という概念があるのかも良くわからないのです。ひとつ言えるのは、ハーグリャみたいな事例はあり得ること」

「ええ、確かに……。では、やはり成長個体だと?」

「否定はできないよ。ただ」

 ルカヱルは一瞬、言葉を区切るための間を取った。

「私は、ちょっと違う気がしてる。勘だけど」

 彼女の“勘”は、何かしらの潜在的な根拠にきっと基づいているのだ、とセタは信じていた。だから彼も、真剣にインクレスと、その類似する竜たちの特徴を考えた。

(まず、“同じ鳴き声”……。それと、結晶や金属みたいな、“マナの媒体を纏う”こと。“共鳴現象”と、他に……他は――)

 ミレゾナ、フィアマ、メルキュリオ、そしてインクレスと、それぞれに“共通する点”は明確だった。しかし、“異なる点”に目を向けると途端に大きな違和感が生じるのだ。異なる点だけを見れば、成長個体どころか、同じ仲間にすら思えない。

(なんか……。これがさっき感じた“個性がありすぎる”って感覚か)

 この極端さが違和感に拍車をかけていることに気付く。

 ふと、セタはあることを思いつき、ルカヱルに尋ねた。

「魔女って、どこから生まれるんですか?」

「えっ? 急にどうしたの?」

「竜が成長する過程を想像していたら、少し気になって」

「魔女がどこから生まれるか……。ふふっ、私も分かってないんだよね。人間も自分が生まれた瞬間は覚えてないでしょ――いや、セタはもしかして、そこも覚えてるの?」

「いや、さすがに――でも、魔女も人間と同じような感覚ってことですか?」

「だいたいそう。ちなみに私が覚えてる一番古い記憶は……海の中かな。最初はぼーっと生きてたから、あんまり他の記憶もないけどね」

「そうですか……」

 何か考えのヒントになるかと思ったが、どちらかといえば、魔女の謎が深まるばかりのセタだった。

「……にしても、全然見つからないなぁ」

 ルカヱルはため息混じりに呟く。セタも、この捜索方法では見つからないのではないかと思いつつあった。とういうのも、周囲の地形は全くの手付かずで、森林と山肌ばかりであった。これは魔女にとって、マナで視界が遮られているも同然の環境だった。

「そうだ、良い事思いついた! 鳴き声が分かってるなら、私たちを見つけてもらった方が早いかも!」

 そう言うや否や、ルカヱルは箒を急降下させて、ヲルタオの近くへと降り立った。

 彼女はセタたちが近づいて来るのに気付くと、軽く手を挙げて応じた。

「何か見つかりましたか?」

と、ヲルタオは開口一番に尋ねる。すぐにルカヱルが首を振った。

「ううん。まだ何も――でも、面白いアイデアを思い付いたよ」

「面白い? 良いアイデアではなく?」

「良いアイデアでもあるよ! ヲルタオ、もう一度インクレスの鳴き声をまねてみて。思いっきり、大きな声で」

 セタとリンの二人は、「ああ」と、納得したような声を同時に上げた。

「そっかぁ! 鳴き声でおびき寄せる、ってことだね、ルカヱルさん」リンが指を弾きながら言う。

「ええ! 確かに鳴き声が事前に分かってる今なら、その手が使えるかもしれないですね」

「でしょ。どう? ヲルタオ」

 他3名に迫られて、ヲルタオは肩を竦めた。

「物は試しか……」

 彼女は手を庇にし、空を見上げて深く息を吸う。「どういう結果になるか分かりません。もし地中にメルキュリオが潜んでる場合、声に反応して不意に姿を現すかもです。ルカヱルさん、リンも連れて、空で待機していてくれます?」

「オッケー。じゃあリン、空に行くよ」

「あ、うん。じゃあヲルタオ、任せたよ! あの激上手なモノマネ!」

「はいはい……」

 一人呆れ気味に応じ、ヲルタオは手を振る。そしてセタとリンも乗せたルカヱルの箒は、10メートルほどの地点まで飛び上がった。

 すう、とヲルタオが息を短く吸い、空気が擦れる音がして、それから、辺り一帯に竜の声真似が響き渡った。


 "――QRAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!"

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