第96話

 *


 ムー大陸は北緯の高い範囲に位置し、全体として寒冷で乾燥した空気が覆う。人々は荒涼とした土地を避け、温暖な海流のおかげで気候の穏やかな地域を選んで暮らしており、西の沿岸寄り――つまり、アヴァロンの近くで過ごしている。そこの“ロアノ”の地において、大役所は設置されている。

 それは世界で最大とされる大役所であり、大きな塔を中心とした古い城を公共の施設として転用した代物である――城の元の持ち主になぞらえてメーフィ・イー城と呼ばれるその遺跡は、かの白魔女、メフィーが建造した歴史がある。その特徴は石造と木造の混成建築であり、長きに渡り木製の柱は腐り果てることなく、城の骨格を支えていることだろう。

「――彼女ゆかりの地に、外から魔女様が一度に2名もいらっしゃるとは……。それを迎えることができて、かような一大プロジェクトにかかわる立場となれたこと、大変光栄に思います」

 観光ガイドのような口調から一転して、役人らしく頭を下げた彼女の名はラミヤという。城の中の役人は、シャツの上に制服代わりのケープを羽織っており、一目で所属が分かるようになっている――彼女もまた大役所の所属であり、竜の図鑑プロジェクトの窓口として、来訪したセタ、ルカヱル、そしてリンとヲルタオを迎えたのだった。

 リンとセタは、目を輝かせて大きな城の内部を見渡していた。辺りは談話室のようにいくつかの椅子と机が点々と設置されており、自由な雰囲気を醸している。一方、天高くそびえたつ塔の内側は、まるで自然の地形のような荒々しい装飾を纏っていた。リンも最初は写真機を構えたが、記録したいところを見つけてはキリが無いと思い直し、今は自分の目で思い出だけに留めることにした。

「……“メーフィ・イー”って、メフィー様の古い名前だよね。学校で習った事あるよ」

(え、そうだったのか)セタは人知れず、静かに驚く。正直、少し発音しにくいな――などと思いながら。

「ええ、左様です」ラミヤは頷いた。「メフィー様の名前は本来そのように呼ばれていたと言われています。ただ時代の流れとともに呼び名が変化するのに任せて、次第に今の呼び名になったと。例えるならば、愛称のようなものです」

「へえ~」

と、リンが感心したように頷いた。例えるなら、ルカヱルがルカエルになるようなものか、とセタは解釈する――同時に、以前彼女が名前の呼び名を間違えられたとき目ざとく訂正していたことも思い出し、ルカヱルは名前の発音にこだわりがあるようだ、と今になって知った。

「メフィー様は、いつごろここに暮らしていたんですか?」

「この城に暮らしていましたが、最低でも千年以上前のことだと言われています」

「せ、千年!?」

「はは。メフィー様も詳しい数字はもう覚えていないとのことですが……ムーの民は彼女の栄光と、彼女の加護の時代を覚え、神話や御伽噺のように、ずっと語り継いでいます。彼女がレムリアに発ったあとも」

「へえ? 例えばどんなもの?」

とルカヱルが尋ねる。

「はは、ご冗談を……。ルカヱル様はそのような民俗学にお詳しいと存じますが……」と、ラミヤは肩を嫌味のない口調で言うと、竦めた。

「ふふっ、でも実は、あんまりムーにお邪魔したことってないんだよね。ほんのちょっと通りかかったことはあるけど、それ以来なんだ」

「では、僭越ながら。私が子供の時に聞き、今は子供に聞かせているお話を一つ――魔竜のお話です」


 魔竜あるいは“神蝕”と呼ばれる竜『ミラジヴィー』は1000年前、地底からムー大陸に現れた。

 闇夜のもとで黒く、光の下で紫色の鱗は、見た目通りの毒を嫌という程に孕み、瘴気を振りまいてムーという大陸を蝕み、不毛の地へと変貌させた。とくに体が直に触れた大地の“通り道”には腐敗が深く滴り、そして新緑は二度と戻らず、傷痕のようになった。その魔竜の影響を受ければ人も只では済まず、周辺の民たちは疫病に苛まれ、気が触れる者すらいたという。

 そんなミラジヴィーがロアノの地に到来したとき、白い魔女が民の前線に立ち、ミラジヴィーと対峙した。名を『メーフィ・イー』――執政者の一人としてムーに君臨していた白き魔女は、魔法の杭で魔竜の胴体を貫き、その悍ましい力と共々、北の果ての遠い地に竜の体を封じ込めた。

 そうして1000年間。ミラジヴィーが再びロアノに現れることはなく、城の下で平和は保たれている。

 

「……」

 文字通り神話のような顛末を聞いた面々は、神妙な面持ちで静かに語りを聞いていた。

(魔法で竜を……。メフィー様ともなると、竜を真っ向から撃退することもできるんだな)

 セタは改めて、世界の王とも称される彼女の実力をありありと感じていた。当の語り手のラミヤはというと、咳ばらいを挟んだ。

「お話は、ここでおしまいです。拙い語りで恐れ入ります」

「いや、面白いことを聞いたよ。ありがと!」

 ルカヱルは快活に言うと、ラミヤはまた咳ばらいをした。

「して――皆さまがこちらにお越しになった目的は、白魔女様から通信円陣で既にお聞きしております。ミラジヴィーではなく、メルキュリオの調査がしたいと」

「そ。アーニアがもう図鑑を作ってるって聞いてるんだけど、それを見せてもらえない?」

「こちらにお待ちしています」と、ラミヤは書類をさっと差し出した。準備の良さにセタは驚く。

「こちらがアーニア様が作成した図鑑、それと、観測位置を記録した地図をお持ちしました」

 ヲルタオに図鑑が、セタに地図が渡された。とりあえず、彼はそれを見る――木炭で丸印が付けられた地点は、ロアノから北東に離れた場所だった。

「ここなら、箒で行けば1時間くらいかな。今日にでも調査に行けそう」

 ルカヱルもセタとともに地図を覗き込み、そう見立てた。

 一方、隣で図鑑を見ているリンは、目を丸くして声を上げた。

「これが――え、これ、竜?」と、彼女が訝し気に呟く。

「それがメルキュリオです。もっとも、絵で見たのは私も初めてですが」

 ヲルタオは念を押すように言う。「言ったでしょう、この竜は“不定形”だと」

 その言及に気を引かれたセタたちも図鑑を覗き込み、同じように目を丸くした。

「ふふっ、こういうこと……」ルカヱルは爛々と目を輝かせて微笑む。

 セタは絵を見つめ、硬く口を閉じて沈黙していた。

(この絵が正しいとしたら――が……どう動くんだ??)

 そんなことを思いながら。



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