第95話

 アヴァロンを出発するまでの間、セタは時間があるときは挽機を使い、植物から色素の抽出を試みていた。その傍では、リンが学院の教本を見ながら、一緒に色素の抽出について試行錯誤していた。挽機を使うと植物は忽ち磨り潰され、液体のついた水分が受け皿にしたたるほどだった。そうしてペースト状になった花弁をさらに煮詰めて、抽出を試みる。

 紙に絵の具として塗るには少し粘性が足りないが、布であれば十分馴染んで色づくようになった。

(これなら、思ったよりちゃんと使えそうだ)

 セタは試しに染色した布の切れ端を光にかざすように掲げて色合いを見て、そう思った。

 その瞬間を、リンが写真に収めた。「実験成功、って感じ! 学院の実習思い出したよ」

「はは……。リンさんも色々と教えていただいてありがとうございました。俺だけでやってたら多分無理でした」

「ううん、これくらい全然大丈夫! それに昔ヲルタオも似たようなことを色々やってたから、やり方は何となく知ってたんだー」

 リンも色のついた布片を見つめる。「ルカヱル様たちもがこの布の色を見て、視界の歪みが無ければ――魔女でも見れる色のついた絵が描けるってことだね」

「そうです。あとで見せようと思います」

「人間の目で見ても、全然分からないね……。マナで視界が歪むのって、どんな感覚なのかなぁ」

 セタも、いまだにそこだけは理解できていなかった。きっと、魔女たちにとっても物の見え方の違いを説明するのは難しいのである。

 一方、当の魔女たちは、カフェの一階でインクレスから採取した結晶鉱石について分析していた。ミレゾナから採取した鉱質の牙、それに加えて、フィアマが纏う金属のことを踏まえて、それら3体の竜に関する生態の謎を考察しようとしていた。

 インクレスの結晶を光にかざし、透過した光を見つめて、ヲルタオは「ふむ……」と、興味深そうに唸った。

「石炭と似ているところと、まったく異なるところがあります。少なくとも、この硬さは――石炭の比ではありませんが」

 ヲルタオは指の先に力を込めながら言う。

「結晶を構成する物は、石炭と実質的に同じなんだろうね」ルカヱルが切り出す。「目に見えるマナは限りなく近しい。ただ、構成物の繋がりがより強くなった状態なんだと思う」

「見るだけでそこまで分かりますか?」と、ヲルタオは肩を竦めた。

「なんとなくね。そういう違いは分かる」

「そうですか――この結晶や、ミレゾナの鉱質の牙、それとフィアマの纏う金属。見た目や性質はそれぞれ異なりますが、“マナを纏う物質である”という点は、共通ですね」

「インクレスにとって、この結晶は何なんだろう。やっぱり、身を護るための外殻?」

「かもしれません。でも、だとすれば、他の竜にとっても同じ役割を果たすと思ったのですが――ミレゾナやフィアマにおいては、身を護る外殻ような役割ではなさそうでした」

「だよね」

「それに、次に観察にいくメルキュリオは……筆舌に尽くしがたい様相で、結晶を纏っています。役目としては、外敵への“攻撃手段”なのだろうと想像してますが」

「想像ね……」

と、ルカヱルは肩を竦めた。「あとは……。マナを遠くまで共鳴することがあるかだけど」

「それは……どうでしょう。私も、メルキュリオのことをそこまで深く観察できたわけではないので」

「せっかく面白い竜なのに勿体ない。次はじっくりとメルキュリオを観察して、図鑑に収めないとね」

「ええ」

 二人の魔女は頷きあった。

「――そういえば、ヲルタオはアーニアと会ったことある? ムー大陸に棲んでる魔女の」

「いえ。以前ムー大陸で過ごしたのは、もう200年近く前のことで――最近はアヴァロンに居着いてて」

「そっか……。ふふっ、私も会ったことないんだ。どんな子か、気になるね」

「このプロジェクトの進行を考えれば、おそらくもうジパングに行っていると思いますがね。会うとしたら、レムリアで集合したときでしょう」

 その時、階段を降る足音がして、セタとリンが一階に下りてきた。

「ルカヱル様、ヲルタオ様、少し見て欲しいものがあるんですが……」

「なに?」

と、ルカヱルは振り向き、セタの手元にすぐ目をつけた。

「セタ、その布なに? 綺麗な黄色だね」

「ルカヱル様、これは歪んで見えますか? それとも、普通に見えてますか?」

 セタがハンカチのような大きさの布を広げると、ルカヱルはにっと微笑んだ。

「ふふっ! ――見えるよ、これは」

 そう言って、布のちょうど端を爪先でつまんだのである。

「実験、成功!」とリンが再び言った。

「例の抽出、上手くいったみたいですね。良かったです」と、ヲルタオも布を見つめながら言う。「さて……諸々と一段落したようであれば、明日ムー大陸へ発ちましょうか。メフィー様のお勧め通り、メルキュリオの観察は私たちも同行します」

「うん。今度もよろしくね、ヲルタオ」

「こちらこそ」

 そうして次の日、4名はついにムー大陸へと出発した。



 *



 ――さて、魔女がする瞬間というのは、実は定かではない。

 いずれの魔女も、まるで忽然と世界に生じる。その顕現の瞬間の姿を見たことがある人間はいないが、やがて魔女が動き出すと、その時には不思議なことに、子供の年齢ほどに成長した人間と同じ姿をしているのだ。


 セタたちがアヴァロンで過ごしているころ、ジパングのヒシカリ地方にて。

 帽子を目深にかぶった少女が一人、薄茶色の眼差しで地図をしげしげと見つめて、それから周囲の山の輪郭を見渡した。帽子の縁からはみ出た赤い髪が揺れ、中性的な面立ちは真剣さを湛えて、手元のレポートへと視線を移す――そんな少女の傍には、髪色や目元の皺に年齢を感じさせるものの屈強な体格の老人が佇んでいた。手元の杖には体重を一切預けず、手首に掛けて、振り子のように揺らしていた。

「むー……。この“フルミーネ”っていう竜、本当にこの辺りにいるのかなぁ。具体的な場所は記されてないけど、本当に金色の鱗を纏ってるんだったら、すぐ見つかりそうなのに――ねえ、レゴリィは何か見つけたかい?」

 少女は傍で静かに景色を眺める老人へ問いかけた。彼――レゴリィは、「はっは」と穏やかに笑う。

「いえ、まだ何も」

「自信ありげに笑ったのに、何も見つかってないの?」

「ええ。図鑑によれば、昼は地中にいると記されておりますから、いま探しても見つからないのかもしれませんな。夜になれば、金色の鱗はさぞ目立つと思いますが」

 レゴリィはそう指摘すると、少女はもう一度、手元のレポートを読む。

「……確かに。こういうの、夜行性っていうんだよね! 本で読んだよ……じゃあ、夜になるまで待ってれば良い?」

「いかにも、そういうことでしょう」

「よし! 日没まで、あと何時間くらいかな」

「杖の影を見る限り4時間くらいでしょうな」

「えー、まだそんなに? 長いなぁ」

 少女が子供っぽい不満を漏らしたので、レゴリィはつい笑ってしまった。彼は指令が下ってからというもの、かれこれ十数年、彼女と共に過ごしてきた。

 人一倍、彼女を見てきたからこそ、分かることがある――彼女のような特別な存在でも、最初の内は、まるで人間と変わらないのだと。

「――、少しお茶でもして暇をつぶしましょう。ジパング名産のお茶は、ムーの茶とは色も香りも違うと聞きます」

「そうなんだ? 飲んでみたいかも……」

「では、行きましょう。さきほど、道すがらに茶屋を見つけましたので」

「そうしよう――でも、レゴリィ。いつも言ってるだろ」

 少女は帽子のツバを持ち、レゴリィへと不満げな視線を送った。

「僕のことは“ニア”って呼んで。様付けでいちいち呼ばないで」

「ああ……はっは、これは失敬。ではニア、お茶にしましょう」

 レゴリィが改めて誘うと、魔女アーニアは屈託のない満面の笑みを帽子の下で浮かべた。

「うん!」



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