第92話

 相手の名前を聞いたセタは、言葉を失った。数秒間に渡り、現在のシチュエーションを解析するために脳のメモリを使っていた。

(め……、めふ――?)

って、え、あの白塔の白魔女様……?」

「いわゆる、そうさ」

 メフィーは浅く頷く。「主は元々、役人だったな。儂の名前も聞いたことはあるらしい」

「もっ、もちろんです!! ただ、ちょっとその、すみません、驚きすぎてっ……」

 何を言うべきか、とセタは言葉を探す。


 白魔女、メフィー。

 レムリアに置かれている情報機関『白塔』の長であり、全役所間の情報伝達に協力する魔法“通心円陣”の管理者をつとめ、ありとあらゆる情報の奔流の中心にいる。なおかつ、世界の姿を描いた“世界地図”の作成者でもある。その存在感を一言で言えば、世界最大の大御所である。

 魔女たちに暇潰しの「お題」を提供することで知られており、竜図鑑プロジェクトの起案者となっている。


「ど、どうして、白魔女様はこちらに?」と、セタは言葉をようやく紡いだ。

「メフィーでよい。いちいち白魔女と言わなくても」と、メフィーは鼻を鳴らした。

「わ、分かりました……メフィー様は、どうして北洋凍土に?」

「オーロラを見に――というのは、ただの暇潰し。本当の目的は、主とルカヱルに会いに来た」

「え」

「主らがインクレスを追っていると、ラーンの役人から聞いた。そして既に、あの竜に実際に遭ったのだろ」

「し、しかし、まだ大役所にインクレスの報告は行けていないのですが、どこからそのことを?」

「主は持ってるだろ、アレ」

 ちょいちょい、と指を擦るジェスチャーをしてみせた。「。プロジェクトの参加者に、特権の持ち主であることの証明として渡している」

「あ……」

 セタはポケットの中からバッジを取り出す。木製で、漆塗りの深い色合いの装飾品。ジパングを発つ前に受け取っていたものだ。

 プロジェクトの担当者であることを示す身分証として使用することが出来る――実際のところ、セタの身分は名前と顔の情報を併せて全ての役所間で共有済みであり、敢えてバッジを提示することは無かった。無くしたら困ると思い、肌身離さず持っていた。

「そのバッジは通心円陣を介して、儂に情報を伝えてくれる。そういう代物。主らの動向に関しては、大役所からの報告が無くても直接知れる。ある程度はな」

 メフィーは一呼吸おいて続けた。

「ルカヱル、ミィココ、ヲルタオ。あとはアーニア――儂以外の魔女たちの動向を見てたが、なかでも主らに興味が惹かれてな。インクレスという、特定の竜を追っていることが」

「え、ええ。――ただ、インクレスはもう見つけました。まだ謎は多いですが、これからは元の計画通りに他の竜の調査もきちんと進めて――」

 一つの竜に固執した調査方針に対し、遠回しに指導されているような気分になったセタは、反射的に弁明めいたことを言った。

 メフィーは可笑しそうに頬を緩め、肩を揺らす。

「いや、主らの方針に小言を言うつもりじゃない。もとより、図鑑は時間を掛けて完成度を上げていくべきもの――ただ、主らの着眼点は興味深い。それに、今も探してるんだろ? を」

「はい」と、セタは素直に頷いた。「実はルカヱル様だけでなく、俺も気になっていて。インクレスと鳴き声が同じ竜がいて、どれも鉱物に関係もある……。偶然で済ませる前に調べてみたいんです」

「そうか。続けると良い」

と、メフィーは勧めた。「主らが調べていたフィアマは翼があるのに、飛竜というには少し飛ぶのが苦手らしくてな。ちぐはくな竜だと思っていたが、鳴き声に着目すればなお面白いものだ」

「今日さっきのことも、ご覧になられてたんですね」

「ああ、そうさ。ついでにひとつ、ヒントをやる。主らが調べている鳴き声を、儂も聞いたことがある」

「え……どこでですか?」

「ムー大陸だ――実際には、儂が直に聞いたんじゃなく、アーニアが聞いたのを儂が又聞きした」

「アーニア……。北の魔女のアーニア様ですか?」

「ああ」

と、メフィーは頷いた。「あの子は魔女としては幼い。他の魔女のように世界を歩いたこともない。体は魔女相応に頑丈で魔法も心得つつあるが、他に知っていることは人と大差ない――あの子が竜の鳴き声を聞いて、特別な考察を抱かないのは致し方ないこと」

「でも鳴き声を一緒に聞いていたメフィー様は、その共通点に気付いた……?」

「その通り。主の目とルカヱルの目。それと耳で、その竜をもう一度観察して欲しい。これが今日、主らに話したかったことだ――聞いてたか、ルカヱル」

「えっ?」

 セタは振り返る。丘の下り坂の向こうで、腰に手を当てて佇むルカヱルの姿が見えた。

「ルカヱル様……!? 宿の温泉に行ってたんじゃ」

「うん。上がってから、すぐに飛んできた」

 道理で、温泉で温まった直後だからか、ルカヱルは薄い肌着で、少し上気したような頬をして、うなじを出すように結い上げた黒い髪の毛先も水に濡れて光沢をもっていた――

 屋外でこの格好では、人間だったら酷く湯冷めするところだが、魔女に温度差など関係ないようだ。

「ごきげんよう、メフィーさま。話は、だいたい聞いてましたよ」

 ルカヱルがセタの横までやってきて、彼に目配せしてから、そんな風に少し改まった挨拶をする。

「なら良かった」とメフィーは頷く。「改めて言おう――竜の図鑑の進行順はいったん忘れて、ムー大陸のとある竜を調べて欲しい」

「良いですけど、竜の名前はなんでしょう」とルカヱルは尋ねる。

「“流晶”。メルキュリオという、少し変わった竜だ」

「メルキュリオ? 流晶……結晶に関する伝承?」

「メルキュリオの名は、今まで聞いたこと無いか?」

「うん……」

「いや、無理はない。これまで、メルキュリオは棲み処を移動したことが無いからな。アーニアが残してくれた図鑑の情報があるから、それを役所で貰ってから調べに行くと良い――儂は主らの見解が知りたい。インクレスを直に見た、主らのな」

「ふふっ。そこまで言うなら、私は良いよ。セタはどう?」

と問われて、もちろん、魔女二名を前に断れるわけがないセタだった。

 そもそも断る理由が無いのだ。

「行きましょう」

「くふっ、では準備が出来たら行くと良い。主らの旅は見ているからな」

 メフィーは一歩、一歩と、セタたちから後退した。彼女の背後で、オーロラは今も揺らめいている。

「必要であれば、ヲルタオたちも連れていけ。奴らは元々、ムー大陸に向けて出発する予定だったはずだ――。それにヲルタオの魔法センスは天性のものだが、マナの感度はまだまだ磨くところがある。暇なら、奴にマナの見方を手ほどきしてやれ。儂はそろそろ、レムリアに戻らないと」

「待って」

と、ルカヱルが呼び止めた。メフィーは彼女を見つめる。

「なんだ」

「聞きたいことがある。私たちを見てたんでしょ。もし知ってたら、教えて欲しい――アトランティスのこと。アトラス海のこと、パシファトラスのこと。昔のこと」

 メフィーは目を丸くして、それから微笑む。

「くふっ……その件、ぜひ主と茶でもして、じっくり話したいところだ。ただ儂も白塔の仕事を放置していてな。時間は多く無い――残念だが、ここで受ける質問は一つだけにしよう。つまり一問一答。できれば、“はい”か“いいえ”で答えられるもの」

 どこか弟子を試す師のような口調で言うと、メフィーは歯を覗かせた。


「さて、


 セタは固唾をのみ、二人の魔女を見守る。

(このやり取り……メフィー様が質問される側なのに、まるで、ルカヱル様が質問されてるみたいだ。“はい”か“いいえ”だけじゃ、聞きたいことなんて全部聞けるわけないのに)

 アトランティスを巡る様々な情報と憶測、仮説・噂は、セタの頭の中にも記憶されていた。それを全て整理するうえで、たった一度の一問一答は少なすぎる。

 ルカヱルは、一呼吸ぶんだけ口をつぐんでから、口を開き、問うた。


「ドクター・ウルは、貴方?」


(……え?)

 セタは驚いた。なにせ、聞いたのは、アトランティスでも、アトラス海のことでもなかったから。

(ドクター・ウルって……たしか)

 それは、インクレスに関して研究し、論文を残した過去の研究者の名前である。その名は、西洋群島で会った学生ティナから聞いたものである。曰く、波紋が自然現象でないことを証明した論文だ。


「“いいえ”」


 さぞ可笑しそうに、メフィーは答えた――セタがとっさにルカヱルの表情を確認すると、彼女も歯を若干浮かせていた。

 喜んでいる。

 セタの目には、そう見えた。

、ルカヱル。もしメルキュリオを見つけたら、一度儂に会いに来い――では、ごきげんよう」

 そう告げたメフィーは次の瞬間、低木の姿になって、目の前から消えていたのである。

「消えた……?」

「メフィーの魔法の一つだね。“樹の魔法”――自分が撒いた種から育った樹木や草花の感覚を、いっとき借りる。それがどれだけ離れててもね」

 それを知ったセタは、不意にメフィーとの会話の一部を思い出した。

『もしかして、こちらに住んでる方ですか?』

『くふっ。そうともいえる』

 ――そうともいえる、の意味を理解できた。世界中の樹木の一部は、彼女なのだ。

「でも……通心円陣っていう魔法と、少しイメージが違いますね」

「魔法の一つに過ぎないからね。無数の樹と感覚を共有してきたおかげか、他にも魔法を使える。通心円陣は、樹の魔法を含むいろんな魔法の組み合わせなのです」

「なるほど……」

 セタはバッジを掲げた。これもまた、木製である。メフィーの集める情報の源の一つなのだろう。

「……でもルカヱル様、どうしてドクター・ウルのことを?」

「ふふっ。まあ、ヲルタオがいるときに一緒に説明するよ。それより」

 ルカヱルはセタの手からバッジを摘まみ上げ、袖の下に隠してから、空を見上げた。オーロラは今もなお、踊り子の裾のように舞っている。

「今日のオーロラ、綺麗だね。……これって、セタにはどう見えてるの? オーロラの見え方は、海と同じで魔女わたしと同じ? それとも鉱石みたいに、やっぱり違う?」

「えっと……」

 難しい質問に対し、セタはどう説明したものか、と思案した。刻一刻と揺らめき、色も移り行く光の形状。その見え方においてマナの影響があるのか無いのか、セタの目では判断できない。リンの写真機を以てしても、夜闇のこの光の形状を捉え、さらに赤青黄と変わる色を表現することはできないだろう――

 そうしてセタは、手元に残っていた黄色の花弁の冠を見て、ふと思い立った。

(黄色の花……、青色の花はメガラニカで拾った。あとは赤い植物が見つかれば――)

「セタ、どう?」

「……時間を貰えれば、あとで必ず説明します。いつかの約束通り、色付きの絵に描いて」

 魔女は目を丸くすると、

「ふふっ、それ、楽しみ!」

と、語尾を弾ませた。



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