第93話

 オーロラの鑑賞を終えたセタたちは、やがて宿へと戻った。その談話室フリースペースでは、リンたちが色炎フィアマの図鑑を作製しているところだった。

 リンは白いタオルを頭の上にフードのように被って、いかにも温泉上がりである。かたやヲルタオは、いつものワイシャツにベストという着こなしで、肩ひじをついて机の上で筆を走らせていた。

 セタたちの帰還に気づいたリンが顔をあげる。

「あ、セタさん! 戻ったんだね。今日はオーロラ見えた?」

「ええ。かなりはっきりと」

と、セタが答えるとリンは、はっと目を丸くした。

「えー、いいなあ。オーロラって結構、珍しいんだよ」

「ふふっ。でも、それ以上に珍しいものも見たよ」

「オーロラよりも? え、なになに?」

 ルカヱルは、高原での出来事をリンたちに説明した。

 それを聞いてひと際驚いた様子だったのは、ヲルタオの方である。

「メフィー様が? ここに?」

「そ。もう帰ったけどね。そして私たち――ヲルタオたちも含めて、みんなでムー大陸のメルキュリオを観察してって」

「メルキュリオ、ですか」

と、ヲルタオは眉を顰める。「あの竜を……」

「ヲルタオ、知ってるの?」

「ええ。以前、ムー大陸を下見に渡った時に聞いたので――流晶の名の由来から分かるかもしれませんが、結晶に関わる竜で、かなり異形の部類です」

「異形? でも竜って、だいたい皆異形でしょ?」

と、ルカヱルは元も子もないようなことを言った。

 一方、ヲルタオは、首を振って続けた。

「では別の言い方をします。異形というより、です」

「……不定形」

 そのコメントを聞くや否や、途端に、姿に関するイメージが全く湧かなくなるセタ。

 ヲルタオは説明を続ける。

「流晶の伝承の由来は文字通り、“結晶が流れるが如く”。本来、結晶は硬くて流れるものではないですが、メルキュリオの纏う結晶は別です」

「柔らかくて、変形するってこと?」

「マナを見る限り、決して柔らかくはないです。ただ、あれの輪郭は変形します」

「??」ルカヱルは首を傾げた。

「あの竜の纏う結晶の挙動を、言葉で説明するのは骨が折れます。一目見れば、言っていることも分かると」

「ふふっ、なんだかインクレスとか関係なく気になってきた。ね、セタ」

「ええ。ただ、俺はもう一個気になってることが……。さっきの、メフィー様への質問です」

「ああ、あれ。ドクター・ウルの件ね」

と、ルカヱルは思い出したように細かく頷いた。

「ドクター・ウル? 昔の学者の?」

 ヲルタオが反応した。「なぜその名を? ルカヱルさん、お詳しいですね」

「ふふん、まあちょっとね。西洋群島で実験してた子から、インクレスに関する論文の話を聞いたの。ヲルタオも知ってる?」

「ええ。――そういえば少しだけ、竜の論文を出していましたね。あの波紋が、自然現象ではないことを証明するような論文だったかと」

 セタは、ヲルタオの言い方に少し違和感を覚えた。まるで、竜の論文は“ついでに書かれた”かのようなヲルタオの認識が言葉尻に滲んでいたからだ。

「どんな内容か知ってる?」

 ルカヱルが尋ねると、ヲルタオは一瞬だけ息を吸うように間を取った。

「第一に、海面の波の由来を示すものです。地上には常に一定の方向に気流があり、それに沿って生じる流れが普通の波、風浪です。その方向は風――例えば、雲の流れる方向と相関します。波紋インクレスは、その指向性が無い。それが論旨で、伝承で姿が語られない竜の存在を裏付けるものでした」

 セタには、簡単な話に聞こえる内容だった。風の流れに沿って波が発生するということ自体は、当たり前に聞こえたからである。

「実際は、その論文の前に発表された“海流の予想図”がウルのです。ウルは世界中の海流がどう流れるか予想していました。今でこそ実際に船で海流を確かめられましたが、ウルは、それを雲の流れ方だけから着想し、世界地図を元に海流を書き込んだのです」

「なんだか、けっこう凄い人に聞こえますね? 俺、地図編纂課に居ましたけど、その人の名前を聞いたことがありませんでした」

「昔の論文ですからアヴァロンの外で知られていないのは無理もありません。それに、その海流には一つ間違いがあり――結局、今の海図に描かれてる海流は、実地計測の結果に合わせて修正されてます」

「間違い?」

と、セタが尋ねる。

「ジパングの遠い沖合にある離島の付近です。その流れが、予想図と実地計測では全く異なっていました。あれさえ正しければウルの名も有名になったかもしれませんね」

「ジパング、遠い沖合……?」

 セタの頭の中で、浜辺をルカヱルと並んで歩いたときの記憶が蘇った。「アイランさんがいた島ですかね?」

「……かもね」

 ルカヱルは目を細め、虚空を見つめながら応じた。何か考えごとをしながら返事をしたようだ。

「そもそも、なぜメフィー様にウルのことを?」と、ヲルタオは本題に戻すべく質問し返した。

 ルカヱルは咳ばらいをしてから答える。

「実は、メフィーがウルの名義で論文を書いたんじゃないかな、って予想してたんだ」

 ヲルタオは目を丸くする。

「…………なぜ?」

「ふふっ、勘だよ。でも、だってさ」

「――はあ、そうですか。しかし、貴方の勘はいつも鋭いですが、今回のはさすがに突飛過ぎですね。確かにウルの着眼点は面白いところもありますが、メフィー様があえて偽名で論文を出す意味もないと思いますし」

 ヲルタオは呆れた様子だった。

 一方、セタの頭の中では、メフィーが回答いいえの後に告げた言葉がリフレインされていた。


 “主の望む答えだろう、ルカヱル”


 あの白魔女が、そう告げたのだ。それはルカヱルが本心では否定されるつもりで質問をしたことを暗に示していた。

(否定されるつもり――いや。というよりルカヱル様は、聞いた……?)

 セタはそのことを追求すべきか、少しばかり頭の中で考えを巡らせた。

 その隙に、

「ね、ね、ヲルタオ、ルカヱルさん。ちょっと良い?」と、リンが脇から声を掛けた。「何はともあれ、次はムー大陸に行くんだよね? しかも、一緒に!」

「ふふっ、ま、そこは確定かな」ルカヱルはセタに目配せしつつ、頷いた。

「やったあ! じゃあ、次もよろしくね、ルカヱルさん、セタさん!」

「――はい、よろしくお願いします」

と、セタは応じた。

 



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