第90話
フィアマの甲高い咆哮は、セタたちが待機する場所までしっかり届いていた。
「――ルカヱル様、今の声!」
「うん。思ったより、インクレスそっくり……。っていうか」
リンたちが慌てて立ち上がり、駆けだすのが見えた。
「結局、バレちゃった感じかな?」
「な、なら早く助けに――」
セタが提案しようと口を開いた瞬間、足元に違和感を感じた。踏みしめた石の一つ一つが震え、熱を持ったような。
驚いたセタが足を擦るように動かすと、激しく火花が散った。
「う、うわっ!? な、なんだ!?」
「……火山の石が」ルカヱルは周囲を見渡して、見渡すほどに目を大きく見開いた。「マナが活性化してる! 燃えてるみたいに……!」
「急ぎましょう!」
ルカヱルはすぐに箒を取り出し、セタが乗るや否や加速した。
リンたちの足音を、餌場が荒らされる音と解釈したらしく、竜はうめき声をあげて食餌を中止した。
「逃げるよ」
「ももも、もちろん!!」
「写真機、落とさないでね」
ヲルタオは立ち上がったリンをその場で担ぎ上げ、滑るように山を下り始めた――その瞬間、ヲルタオの周囲から、金属を粗く削ったかのうような激しい火花が散り始める。
「あっつぃ!! なにこれっ!?」
「……!!」
ヲルタオはリンを持ち上げるように強く抱え、ルカヱルたちの箒を目指して加速する。彼女たちがすれ違う直前で、ヲルタオは箒の柄を掴んだ。
「ヲルタオ、上がるよ!」
「お願いします」
魔女たちが空に飛びあがると、"QRAAAA!!!!"とフィアマの怒号が響き、翼の骨格部分を覆う鱗が逆立つ。その翼を地面の石に擦るように動かすと火打ち石のような火花が散り、そしてフィアマが深く息を吸いこむと――次の瞬間、紫色の炎が鱗の隙間から噴射され、灰色のフィアマの体表を彩った。
「――アレが例の炎ね!」
ルカヱルが嬉しそうに言う。ヲルタオは、フィアマの動きを注視していた。
(飛び上がってくるか……?)
一瞬の緊張感ののち、フィアマは炎を収め、視線を魔女たちから逸らした。そうして、再び餌場へと戻っていった。
「……ほっ。追ってこなくてよかった。あの炎で氷河が解けたら、洪水になるところでした」
「を、ヲルタオ、落とさないでね……」
「ん? うん、落とさないよ」
ヲルタオは片手でルカヱルの箒を掴み、もう片方の手で抱えるようにリンを担ぎ、そのリンの両手は、写真機を抱えていた。リンの視線は、体勢的に遥か眼下の地面へと向いており、リンは顔を青くしていた。
ルカヱルは「離れてから、いったん下ろそうか」と提案し、徐々に高度を下げていく。ヲルタオが最初に地面に足を付け、そうしてリンを地面に下ろした。
リンは、カメラを抱えたまま、腰を抜かしたような態勢で座り込んだ。
「……へ、えへへ……」
「……頭とか打った?」と、ヲルタオが屈んで尋ねる。
「いや、ちょっと怖くて、笑いがこみあげて来た。膝も笑ってるし」
「無事なようで良かった。写真はどう?」
「そうだ! 確認しないと」
リンは写真機を操作し、その場で一枚を切り出した。
「おお、思いのほかよく描けた。雲が流れて、太陽が出たおかげだね」
セタたちも地面に降り立ち、皆が写真を覗き込む。
そして一言でいえば、セタは感動した。それまで、絵は線で描くものだと思っていたが、リンの写真は物に当たった光そのものを切り取っているようで、線以外の描き方を彼に教えてくれているようだった。
「……凄い」
と一言、飲み込むようにセタは呟いた。言葉は簡素だったが、息遣いに心象が乗っていた。
「あ……、ありがとう! でも、今日は凄くコンディションが良かったよ。こんなにきれいに取れたのは、私も初めて」
「ルカヱルさんのおかげですね。風の音も、雲の流れも」ヲルタオはそんな風に言った。
「良いってことです。――それより、実は相変わらず私の目には写真の線ってはっきり見えなくてさ。セタ、またあとで描いてくれる?」
「え、ええ。分かりました」
セタはどこか残念だった。リンの写真の絵の出来が、この場では魔女たちに伝わっていないのだ。感光材料のマナが残っている限り仕方のないことだったが、それがまるで自分事のように口惜しかった。
というのも、写真が描いた竜は、まさしくセタの記憶と重なるほどに正確だったからだ。
「ところでルカヱルさん、外観や鳴き声以外にも、何か新しく分かりました? インクレスの共通点とか」
「うん。2つある」
と、ルカヱルがあっさり頷いたので、皆が彼女の顔を見た。
「2つも?」
「まず一つ、あの色のついた炎だよ。多分、金属が燃えたときの炎じゃないかな」
「金属が燃えた時の炎? ……石炭みたいなものが燃えてるってことですか?」
「石炭とちょっと違うかな。もっと金とか銅みたいな金属」
「あ、本で読んだことあります。確か、銅とかって燃やすと緑色になるんだよ。花火とかも同じ」
と、発言したのはリンだった。
「ああ。あれのことか……」言われてから、ヲルタオも察しがいったようだった。
それを見て、ルカヱルは続ける。
「マナの動かし方を見る感じ、フィアマは鱗の隙間から炎を放っていた――でも、その炎自体は色が無い。色の正体は、フィアマの翼にある鱗のほう」
「そういえば……光沢がありました。金属みたいな」
と、セタは呟いた。リンの写真を見てみると、光に輝く鱗の輪郭は、白く潰れていた。
「あの鱗が金属で、色のついた炎の正体?」
「その通り。金属を纏うこういう生態は、鉱石の牙を持つミレゾナ、結晶の殻を持つインクレスに近いと思う」
「なるほど。それなら、フィアマの炎の色が紫だったり青だったりするっていうのも翼に纏う金属次第ってことですね」ヲルタオは頷きながら言う。「餌場の鉱石によって、纏う金属が違うってことか……」
「そして二つ目。リンたちも気付いたと思うけど、フィアマが威嚇した瞬間、そこかしこから激しい火花を散った。離れて見てた、私たちの足元の石もね」
「……共鳴?」ふと思いついたセタが呟いた。
「そう。遠い所までマナを作用させる能力を、フィアマも持ってた。フィアマが飛び立つとき、熱波が地上に降り注ぐって言ってたけど――実際は、共鳴によって地上が熱に覆われた後、フィアマの翼が燃え始めるんだと思う」
「私たちが観測した因果は、逆だったんですか。翼の炎に目を奪われすぎました――確かにあの炎だけでは、ガーハ山一帯を焦土にするほどの威力とは言いにくいですね」
そう言われて、ガーハ山の様子をセタは思い出す。あの広範囲に広がる灰色の大地はフィアマの翼の炎が原因というより、フィアマのマナの共鳴そのものが原因ということだった。
「あの共鳴が起きたのは咆哮の瞬間……ふふっ。期待以上に、インクレスとかミレゾナに似てるね」
「ふーむ。そこまで共通点があるなら、やっぱり成長した個体なんでしょうか?」
ヲルタオが山の方を見つめて、息を溜めた口調で呟いた。「見た目があんなにも違うのは、なんだか不思議ですね」
確かに、とセタは内心では同意していた。
鱗も角も翼もないインクレスが、ミレゾナやフィアマのように生息域も形態も全く異なる竜に成長するのだろうか? 成長個体どころか、仲間にも見えないほどだった。
(ま、そんぐらい不思議な生き物ってことか……)
*
それから、皆は帰る――ことなく、リンの非常に強い勧めで、北洋凍土に泊まることになった。
「というのも、ここは温泉がたくさんあるの。ぜひ入って欲しい!」
「温泉?」ルカヱルが興味を惹かれたように訊き返す。
「そう、それとオーロラも!」
「オーロラ?」セタは首を傾げた。「そのオーロラっていうのはなんです?」
「夜空に浮かぶ光のカーテンみたいなものだよ! 絶対見て欲しい!」
「なんですか、それ。初めて聞いた……。ルカヱル様は聞いたことあります?」
「見たことも有るよ。ものすごーく前にね。でも、運が良くないと見れないかも」
「へえ……」セタの頭の中では、光のカーテンなる情景が想像できずにいた。もちろん、これまで見た覚えもない。
「それより温泉の方が気になる」
とルカヱルが言う。
「あ、ルカヱルさんも好きなの? 私もヲルタオも、温泉好きなんだ」
「お湯によるけど魔女は結構好むと思う。あの水、海みたいに色々なマナが溶けてるんだけど、地域差があって面白い」
人間に例えるなら珍味を楽しむようなものだろうか、とセタは解釈した。ジパングにも温泉の文化はあるが、どの温泉も鉱物に由来する成分が溶けているらしい。
「じゃあルカヱルさん、一緒に入ろう!」
「いいよ。セタも一緒に入ろう」
「え?」
「え?」
と、セタとリンが同時に凍り付いたように声を上げたので、ルカヱルは首を傾げた。
はあ、とヲルタオが息を衝く。
「ルカヱルさん、良いですか? 数百年前ならともかく、今は男女で同じ温泉に入ることは、限られた条件を除いて基本的に無いです」
「あ、そう? でも魔女って、女扱いではないんじゃないの」
「我々はともかく、リンは普通に女性ですが?」
ヲルタオが言うと、リンが細かく頷いて強く同意を示した。
(ていうか、リンさんがいてもいなくてもルカヱル様と温泉に一緒に入るわけない)
セタにしても一応、今のルカヱルとの関係性は以前よりずいぶん親しいものだが、かといって温泉に一緒に入るわけなかった。
「そう、残念……」
「いや、本気で残念がられると無下に断りにくいですが……、すいません、今回は遠慮しておきます」
「じゃあ、次回ね!」
「あの、“今回は”って断り文句にそんな重きを置かれると……まあ良いや。俺は、オーロラってやつが見れないか、ちょっと調べてみます」
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