第89話
箒で飛行を始めてから、数分もすれば、見るからに不毛の地と言わんばかりの配色の大地が果てに見えた。高原を彩った花々と水とは対照的に、絵に描いたような灰色の世界だった。
むき出しになった土と石肌の大地の向こうに、緩く盛り上がった山が地平線を歪めている。
「あれが?」
「ええ、ガーハ山です。まだ飛び立つ前であれば、フィアマはあそこにいます」
セタはジッと目を細め、木々が木炭と化した黒い山の一角に、光沢のあるものを見つけた。その光沢は灰色のウロコに由来するらしく、首や足、翼の輪郭も次第に捉えてきた。
首は人の胴体ほどに太く、翼と腕部が一体ではなくて、珍しいことに歩二足行していた。時折手を地面につき、翼を折り畳んでは、思い切り広げるという運動を繰り返している。
「あれはストレッチ?」
「腕部と翼が分かれているせいか、フィアマは翼の大きさに対して体の重量が大きいらしく、そう頻繁に飛べないようです」
(筋肉痛みたいなものか)
と、セタは考えた。フィアマは、手で岩山を掘り、ある程度堀りすすめた後は直接顔をうずめていた。
「食餌ね」
「だと思います。地中の虫を食べているのかと思っていましたが、おそらく、あの体を動かすエネルギーとするには不釣り合いかと思いまして、マナの密度が濃い鉱石を直接食べているのではないかと推測してます」
「そうだろうね。というか、見てると分かる。石のマナを取り込んでるって」
果てしない上空からでも、ルカヱルにはそのマナの動きが見えたらしい。彼女のコメントに驚いた様子を見せたのは、同じ魔女のヲルタオだった。
「そんな細かく見えるんですか?」
「感度は良いんだよ、目が眩みやすいだけで」
「この距離だと、私は竜のマナと鉱石のマナの区別がつかないですね。全部混ざって見えます」
「……ルカヱルさん、その、ちょっと良いですか?」
と、声を上げたのはリンである。「写真機を使いたいんですけど、ここだと流石に遠すぎて。目で見てもどっちを向いてるか分からないし。セタさんも、この距離少し遠いよね?」
「まあ……、俺はそれなりに見えてます」
「こ、この距離から?」
驚きを隠せないリン。「私、学院で勉強しすぎて目を悪くしたかな?」
「ルカヱルさんとセタさん、いつもこんな離れたところから観察してるんですか?」
と、ヲルタオがふと気づいて尋ねた。
「そんなことはない。でも私がマナを見てセタが姿を見たら、すぐ離れる」
「なんとまあ……。竜、貴方たちが来ていたことにも気づいてなかったんじゃないですか?」
「実際には、割と大立ち回りしてばっかりだよ」ルカヱルが冗談めかしく言いつつ、ゆっくりと箒を近づけていった。接近するにつれて、セタはあることに気付く。
「俺、二足歩行の竜は初めて見ました。珍しいですね」
「うん。ミレゾナともかなり形状が違うかな。インクレスとも、似ても似つかない」
思い返せば、そもそもインクレスと形が似ている竜自体、セタは見たことが無かった。インクレスの形状は、他と比べてあまりに単純すぎるゆえに。
「そうですか……」と、ヲルタオがため息混じりに呟く。「鳴き声は似ているし、鉱石絡みだと思ったのですが、偶然共通点があっただけですかね?」
「写真機を使うために近付くから、そこでもう少し見よう」
そうして、ルカヱルは山の中腹辺りに降り立つ。木々が無い山は起伏だけが残り、動き回る大きなフィアマの姿だけが灰色の山で目立っていた。
「しかし、体表面の色はかなり地味ですね。色炎なんていうので、どんなカラフルなものかと思ったら」
「炎は、色づいてるんだけどね……。ヲルタオ、私、もう少し近づきたい」とリンが耳打ちした。
「なら、私から離れないように。それと、足音に気を付けて」
「はーい」
ヲルタオがリンの手を取ると、不思議なことに、彼女たちの姿が揺らぎ、薄れていった。セタは目を凝らす。時折、サブリミナル的に姿が見える。
「リンさんたちの姿が……!?」
「あれはヲルタオの魔法だね。セタ、覚えてるでしょ? 彼女のカフェに掛けられてた魔法」
「……あっ。そういえば、周りから見えなくなる魔法でしたね」
「その通り。ヲルタオの魔法は光を操る。それを応用して、自分たちの見せ方も変えられる。具体的には、自分の反射光を捻じ曲げてるんだって」
「光を……。あれ、ヲルタオ様は“扉の魔法”使いじゃないでしたっけ?」
「そっちは光の魔法の応用だね。ほら、私のドロップ缶の魔法みたいなもの」
「光の何をどう応用したら扉の魔法に?」
セタにはさっぱり理解できていなかったが、魔女同士でなければ理解が追い付かない世界らしい、と納得した。
一方、リンたちは足音に気を付けながら、徐々にフィアマに近付いていた。
ヲルタオの光の魔法は、シンプルに指を光らせたり、相手の視界を操ったりするなど光に関わる現象を起こすが、さらに「量子化」ともいうべき状態に移り変わることで、物理的因果を狂わせ、超常現象を副次的に誘発する。たとえば扉を隔てて数キロ離れた地点も、ヲルタオから見れば一歩隣と大差なくなる。ヲルタオに言わせれば、それは“応用”とのことだが、ルカヱルは彼女を“天才肌”と称した――しかし、リンの足音だけは、彼女の魔法で消すことができなかった。
(気付かれないと良いけど……)
フィアマまで百メートル。リンの写真機の焦点の射程までは、まだ近づく必要があった。
しかし、これ以上の接近はフィアマに威嚇される可能性もある。そもそも、前回の観察の際にはその威嚇によってリンが転び、写真機が破損して、中身まで露光したという経緯である。
本来であればヲルタオの魔法に隠れて、シャッターチャンスを待つのがやり方だった。自然音に紛れて、その時を待つのが――。
(自然音――そうだ。ルカヱルさんの魔法なら、上手くやれるかも)
あるアイデアを思い付いたヲルタオは振り返り、ルカヱルへとマナを送った。
「――ん、ふふっ。なるほど、それなら協力するか」
「え? 何の話です?」
「いま、ヲルタオから耳打ちされてね。リンの足音を消すために、私の空気の魔法で、できるだけ強い風を吹かせてくれないかって」
「風……なるほど。風の音に紛れるってことですね。それなら、フィアマも警戒しない」
「その通り」
ルカヱルは箒を右手に持ち、天高く挙げた。その途端、辺りの草原が波打ち、木々が騒ぎ、落ち葉が舞い上がる。ルカヱルの魔法の範囲がこれほど広域にわたることに、セタは驚いた。
「これ……ルカヱル様が? 天気が急変したわけじゃなく?」
「実はインクレスとマナをぶつけ合ったとき、少しマナの使い方を勉強してね。あの共鳴を真似して、効果範囲を広げたの」
空に浮かぶ雲まで動き出したのを見て、セタは息を呑んだ。
リンも急に強くなった風に、たまらず身を伏せ、小声で狼狽えた。
(わわ……。やばい、山の天気は変わりやすいんだったね。雨降るかな?)
(安心して。ルカヱルさんの魔法で風を吹かせているだけ)
(これ、魔法なの!?)
(私たちの音をかき消すためだよ。風の音なら、フィアマも不審がらない――なにせ、山の天気は変わりやすいって、知ってると思うから)
読み通り、フィアマは一瞬顔を上げたが、すぐに興味も無さそうに食餌を再開した。リンたちはその隙に、竜のすぐ近くまで接近した。大きな声を上げれば届く距離、それこそ、写真機の射程である。
(緊張してきた……)
リンは膝を折り、自分の身と写真機を低く構え、フィアマが再び顔を上げる瞬間を待つ。少なくとも、自分たちの姿はフィアマから見えない。風の音で、動く音も届かない。
雲が足早に流れ、竜に影が掛かり。
そしてまた雲が流れ、竜に強い日差しが掛かり、その瞬間に顔を上げたので――
“今”、とリンは見切り、シャッターを切った。一枚の瞬間を捉え、更にフィアマが顔を下げるまでにもう一度捉えた。
(やった……! ヲルタオ、これで大丈夫!)
リンが振り返った瞬間、膝が小石に辺り、「ころころ」と転がった。
「あ」
フィアマは、餌である石が動く音には気付いたらしく、ぐりんと顔を上げ、ついにリンたちの気配を察した――察したものは気配に過ぎず、彼女たちの姿は見えていなかったが。
竜は反射的に咆哮を上げて威嚇したのである。
――QRAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!
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