第87話
次の日。
「よーし完成! やー、良かった良かった」
と、リンは歓声を上げた。
その瞬間を、同じくらい心待ちにしていたセタとルカヱルは席を立ち、彼女が“仕上げ作業”を進めていたカウンターへと歩み寄る。
写真機の構造は以前見た時と大差なかったが、セタの中の記憶と照合すると、少々可動部らしきパーツが増えているようだった。
「少し外観が変わりましたね」
「そうなの。セタさん、よく覚えてるね」
「リン、これ、どうやって使うの?」
と、写真機が動くのが待ちきれないルカヱルが語尾を弾ませながら尋ねた。リンが得意げに鼻を鳴らす。
「少し説明しますね! この写真機の中には、昨日ヲルタオが採ってきてくれた石を粉末にして、液に溶かした液体を浸して作った特別な紙が広げてあるの。その液は、光を浴びると変色する――この性質と、光がピンホールを通る時に像を結ぶ現象を利用して、物体の反射光を元に形を描くってわけ。この写真機の中には、洗浄液を含ませたローラーも内蔵させて、光を浴びなかった部分はローラーで漉して失活させておく――他のこまごまとした手順は省略すると、そういう感じ」
「へえ……」
一息で流れるように説明され、しかし結局、駆動原理の半分くらいしかセタには追えなかった。
「ちょっと試すね、試運転! セタさんたち、ちょっとそこで立ってくれませんか。動かずにね」
そう言って、リンが写真機を構える。そのレンズにとらえられたセタとルカヱルは、蛇に睨まれた蛙のように固まった。
「……部屋の中だと、ちょっと暗いかも。ヲルタオ、手伝って」
「良いよ」
と、腰を上げたヲルタオがリンの背後に立ち、人差し指を立てた。
「じゃあルカヱルさん、セタさん、今からヲルタオが魔法で光を出すけど、目を瞑らないでね!」
「光?」
「リンが3つ数え、私が指を鳴らしたら光を放ちますので、その時、できるだけ目を瞑らないで」と、ヲルタオが手短に説明を繰り返し、セタは頷いた。
「3,2,1――」
ぱん、と一瞬、眩い光がヲルタオの指の中で瞬いた。それと同時に、かしゃん、と何かが開閉した音が響く。
セタは、目をぱちぱちとさせてから、目を細めた。
「い、今ので、終わった……?」
「え、終わったの?」ルカヱルも各人の顔を窺いながら、驚いた様子で尋ねた。
「うん、ちょっと待っててね」
リンが頷き、写真機のつまみをクルクルと回すと、その側面から紙片が一つ、徐々に顔を出した。リンがそれを切り取ると、セタたちに差し出す。
「うん完璧、問題なしだ!」
「どれどれ……」
そこには、セタとルカヱルが並んでいる様子が、背後の壁や椅子の様子ごと、まるっきり切り出したように、精巧に写し取られていた。
二人とも、その出来に驚き、顔を見合わせた。
「どう? 上手く描けてる?」
「上手いどころか――! これ、いまの一瞬で!? 筆で書くより、何百倍も速い!」
「しかも見て、私たちだけじゃなくて、背景の壁とか、椅子も全部書かれてる。魔法みたい。凄……」
魔女の評価の中でも、「魔法みたい」はかなり最上級の賛辞ととっても良いものだった。
ふふーん、とリンは満足げだった。
「そうだヲルタオ、せっかくだから、リベンジに行かない?」
「リベンジ?」
「ほら、この写真機、調査中に壊されちゃったから、実は最後に見に行った竜の絵だけ、提出できなかったでしょ? それを、もう一回描きにいかない?」
「そういうこと。うん、良いよ」と、いつも通り、ヲルタオは頷いた。「既に生態は調査済みだし、あの竜の写真を撮るだけだったら、手早く済む――」
そこまで言いかけたヲルタオは、ふと思いつめたような神妙な表情へと変わり、そして、ルカヱルの方を見た。
「ルカヱルさん。貴方たちも、一緒に行きませんか?」
「え? うん、良いよ。でも、私たちに任せても良いのに――ほら、もうムーに行く予定だったんでしょ?」
「ええ、そのつもりでしたが。ふと、気になることがあって。インクレスに関係するかも」
「え?」
ヲルタオの発言に、皆が声を上げる。
「なんで? でもヲルタオ、あの竜は陸棲だったよ……?」と、リンが戸惑いながら言う。
「確かにそうだった。ただ、ルカヱルさんに聞いた情報を踏まえて改めて思い出すと、気になることが増えた――鳴き声のこと。リン、どんな感じだったか、覚えてる?」
「鳴き声?」
リンは、後頭部を掻きつつ、斜め上を見て、少し唸って、
「“きぅ、らぁぁぁ”……。みたいな、その、まあ、こんな感じだったかな……」
少し頬を赤くして、照れた様子でリンは再現してみせた。
ところが、それを聞いたルカヱルとセタは、驚いてまた短く声を上げた。
「それって……」
「ちょっとインクレスに似てる? リンさん、もう一回やってくれませんか?」
「え、ええ? もう一回? ん、んと……」
「そう恥ずかしがらずに。ぜひ教えてください、できるだけ正確に」
セタに迫られて、ますます頬を赤くしながら咳ばらいをするリン。
「き、“きぅ……”」
「“QRAAAAAAA”――こんな感じです」ヲルタオが見事な模倣をしてみせた。まるで竜がすぐそばで声を上げたかのようだったので、皆が目を丸くする。
「ちょっと?! 覚えてるなら先にやってよ! てかヲルタオ、声真似うま!!」
リンが抗議と賛辞を同時に述べる。セタとルカヱルも、それをもっていよいよ確信を得たようだった。
「ますます気になる。ヲルタオ、その鳴き声の竜の名前は?」
「フィアマ。“色炎”という、特殊な現象で知られる竜です」
「色炎、フィアマ? 私は聞いたことが無い伝承だね」
「そうですか。このフィアマというのは――」
アヴァロンの北の上空に、妙な色の光が見えることがある。それは真っ赤な時も、青い時も、紫の時もあり、紫の光には毒がある――などとも噂される。
この花火のような現象は、竜フィアマの仕業であり、アヴァロンからムーに掛けて生息域を細かく移動する竜に由来する。とくに飛行中のフィアマは炎を常に激しく燃え上げ、噴射させている様子が肉眼で観察されている。遠い上空で燃えている分には全く無害であり、人々も空を飛ぶフィアマのことを恐がったりしないが、もし危険性があるとすれば着地時である。
炎を逆噴射するようにフィアマは翼を折りたたみ、地上へ放熱する。その熱によって、アヴァロンの北は局所的に焦土と化してしまっている――幸運にも、今のところフィアマはその北にある活火山地帯を餌場しており、人里に興味がないらしい。おかげでアヴァロンに暮らす人々が焼き尽くされる心配はないが、そんな竜の気まぐれで崩れうる安寧の下で過ごすことを憂うアヴァロンの学院は、地下室の併設を市民たちに強く勧めており、学院にも高い収容力を持つ地下が完成している。これまで使う機会が無かったので、単なる実験室になっているのが内情だが。
「――と言う感じで既に、フィアマの生態の調査はおおむね終えています。有名な竜なので、多くのことは分かっていますが……“鳴き声”のことと、もう一つ、“鉱物”に関係があるかは、ちゃんと調べられていません」
「うん。でもヲルタオの声真似が正しければ、確かにインクレスによく似てる。あとは――やっぱり、私も見てみたいし、直に鳴き声を聞いてみたい。ねえセタ、行って見ない?」
「もちろん行きましょう。この目でインクレスを見ましたが、俺にもまだ知りたいことが沢山あります」
セタは、あの簡素なスケッチを思い出す。あんな絵だけでは語れないことが、インクレスの謎に詰まっているような気がするのだ。でなければ、あの絵に描かれた小さな竜が、大陸一つを沈めるほどの力を持ちうるなど、誰が想像できようか。
見た物をなんでも記憶できるからこそ、見ても分からないことが、どんどん気になるようになっていた。
「よし、じゃあ決まり。ヲルタオ、フィアマのいる棲息地に案内して」
「お安い御用で」
と言った彼女の背後に、いつもの扉が姿を現した。「あ……寒いので、厚着したほうが良いですよ」
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