第84話

 ルカヱルは箒を取り出し、ふう、と息をついた。

「いったん海上まで戻ろうか。面白いことが分かったとはいえ、ずっとここに居ると目が眩みそうなのです。ということで、上がっても良い?」

「……分かりました。俺も、一応この竜の姿は記憶したので、絵は描けます」

 描いたところで、誰が信じられようか?とセタは思っていた。少なくとも、昨日までの自分だったら確実に信じられない。広域に影響を及ぼす、この竜の正体を。

 セタはルカヱルと共に箒に掴まる前に、また海底の透明な結晶を見た。そして、ふと考えがよぎったのである。

「それにしても、この透き通った結晶――これも、インクレスが関係してるんでしょうか?」

「ん?」

「ふと思っただけなんですが。さっき、鉱牙の竜ミレゾナの生態がインクレスに近いって話をしましたよね。ミレゾナも共鳴ができて、鳴き声もそっくりでした。でもそれだけじゃなくて、結晶とか鉱石っていうところも、似てるんじゃないかって……」

「え……」

 ルカヱルが驚いたように声を漏らしたので、かえってセタも驚いた。

 なぜなら、魔女らしい明察を出してくれると、どこか思い込んでいたからだ。

「………」魔女は黙り込んで、その石を見つめていた。

「ルカヱル様?」

「ごめん、やっぱりちょっと待って。少しだけ、この結晶の欠片を採っていく。ミィココに見せたい――いや、ヲルタオでも、メフィーでも良い、誰かの意見を聞きたい」

「え、ええ。もちろん、それは良いですが」

 箒を器用に脇に挟み、ルカヱルは結晶に手を当てた。爪を立てている。人間が爪で採掘していたらとんだ愚行だが、魔女なら可能らしい。

 ただ、数秒してルカヱルはどっと息を吐いた。

「か、かったい……! 信じられない硬さしてる、この石。これまで見つけて来た石の中で、一番硬い!」

「ええ?」

 セタは信じられない、といった具合に声を上げる。見た目にはどこまでも透き通った氷のような石なのに、魔女の力でも砕けないというのだ。

「はあっ……! うう、どうしよう。ほんの少しで良いのに、ほんの少しも採れ無さそう」

「どこかに破片がないでしょうか? インクレスの起こす振動があるので、少しくらいなら欠けてるかもしれません」

 セタは辺りを見渡した。

「ありそう? 正直、私の視界じゃあ小さな欠片は見つけられそうになくて……」

 やはりマナの影響はあったらしく、ルカヱルは目を擦る。水の中とはいえ、真下に鉱石と竜がいる条件ではさすがにマナも希釈されないらしい。

「あっ、ありました。良かった」

 今度はセタがルカヱルの手を引いて、破片の元へと連れて行った。拾い上げて改めて見てみると、端的に言って実に美しい。サイズは数センチほどだったが、いわゆる宝石と呼ばれるものに似て、マナの光を反射して輝きを放っている。

 同時に、細かな振動も手のひらを伝わって来た。欠けていても、マナに共鳴しているようだ。

「ルカヱル様、どうぞ」

「ありがとう。いやあ、やっぱりセタが居てくれて良かった」

 彼の手から魔女の手の中へと、宝石が渡った。「とりあえず、これで思い残すことはないです。よし、今度こそ行こう。セタ、箒に乗って」

 箒に跨り、ルカヱルが魔力を込め――



 ―――QRAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!!!



「……えっ!?」

「なに!?」

 箒が浮かび上がった瞬間、大きな咆哮が響き渡った。何かが砕ける音が聞こえ、本能的に背筋に怖気が走る。そして、ルカヱルが展開していた空気の魔法の層が、途端に震え出した。

 下を見れば、小さな影が集合して真っ黒な塊となり、結晶の下で不定形の輪郭を成していた――そして、あれほど“硬い”と思っていた鉱石に、亀裂が入っていたのである。

「う…わっ……!!」

「せ――セタ、掴まって!! 全速力で飛ばす!!」

「はい!!」

 爆発音を響かせて、ルカヱルの箒が加速する。

 直後、結晶は完全に砕け散って裂け目が開き、無数の黒い影が、濁流のようにあふれ出した。

「うっ……、わあああ!!!?」

 叫ぶセタの間近に、黒い影が迫っていた。一つ一つの影は黒いのに、ほの暗い光を纏っていて、集合体の輪郭は深海の海にくっきりと浮かび上がった。深淵の裂け目から長く伸びた首のようなシルエットは、まさしく巨竜のように映った。

「……!!」

 ルカヱルは全力で箒を飛ばす。空気を纏って水を避け、重力加速度を利用した「下り」のときと違い、「上り」では浮力を利用して加速しようとしていた。

 しかし、箒のすぐ後ろを追従するインクレスの影がマナを共鳴させ、水と空気の流れを掻き混ぜ、浮力のベクトルを乱し、ルカヱルの魔法の威力を減衰させていた。

(思ったより加速が乗らない、共鳴のせいで水の流れが乱れてるから――? このままじゃ、追いつかれる……!)

 ルカヱルは袖の奥から金貨を取り出し、マナで反発させて真下に射出した。

 金貨はインクレスの影の頭を捉え――しかし、一瞬で弾かれた。竜の影の周囲で振動する水そのものが、物理的な結界のように働いていたのである。

「くっ、物理的に攻めてもだめ!? だったら――!」

 ルカヱルは左の手のひらをインクレスの影に向け、マナを込める。その直後から、体の芯が痺れるような感覚が、魔女の体の中を駆け巡り始めた。

(私のマナとも共鳴してる……!)

 ルカヱルはマナを持つもの同士を反発させる魔法を放った。金属音が鳴り響くと、魔女の体のマナと竜のマナとが反発し、ルカヱルの箒は加速し、インクレスの影が乱れて散る。

 莫大なインクレスのマナを反発させたルカヱルには、反動で左腕に亀裂が入った。

「……あっ……! ――ぁぁあああああ!!」

 負傷に耐え、ルカヱルは最後の一押しで加速する。インクレスの影から距離が離れた瞬間に、浮力による加速も上乗せし、さらに加速を重ねる。

(速く海上へ――! この腕じゃ、回復するまで同じことは二度できない!)

 海に光が差し込み始める。深海から、光の世界へと近づいていた。

(あああ、早く、早くっ!!)

 割れた左腕からマナが漏洩するせいで、海面に近付くほどに箒の加速が衰えていく。セタの手と一緒に箒を掴んでいる右手は、今は使えない。

「ルカヱル様!!」

「――大丈夫! 大丈夫……!!」


 ……qrraaaa……!!


 海中から音が響く。減速する箒の後を、音が次第に近づいて来る。

(来る! 追いつかれる……!!)

 このまま、もしインクレスの影に飲み込まれたら。

 そんな、無残な未来が頭をよぎり、ルカヱルが振り返った瞬間――眩いが滑り込むように近づき、彼女と竜の影の合間に割り込んだのである。

 そして、どこからともなく大きな2つの門を、竜の来る方へ向けて開いたのである。

(え……ヲルタオ!?)

 一方の門へ向かって吸い込まれるように突進したインクレスの影は、その門を通過することなく、代わりにもう一方の門から出て、海底へ向かって飛び出していった。

 扉の魔法を同時に2回使い、インクレスの進行方向を180度変えたのである。

 その隙に、ルカヱルたちは遂に海面へと飛びだす。

「――ぶはっ!!」

 魔法で水の中でも呼吸できていたはずなのに、セタは息が詰まるような時間を終え、どっと息を吐きだした。

「ルカヱル様、大丈夫ですか!? 左手が……!!」

「……大丈夫。それより、さっき、海の中に――」

「私なら大丈夫ですよ」

 どこからともなくそんな声が聞こえ、驚いて振り返ると、箒の穂先の上にヲルタオが立っていた。

 セタは目を丸くし、ルカヱルは安堵の息を吐いた。

「良かった……というか、ありがとう。ヲルタオ」

「いえいえ。ちょうど、写真機に使う材料を探しに海を潜っていたところだったので――というか」

 ヲルタオは目を細め、海を見つめる――そこには、びっしりと波紋が浮かび上がっていた。魚群のような黒い影が次第に海の中へと消え、見えなくなったあとも、波紋だけがずっと尾を引いていた。

「あれはなんです?」

「……あとで説明する。ちょっと、今は休ませて……」

 実に同感だ、とセタも思った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る