第83話

 飛び込んだ裂け目の中を、セタたちはゆっくり落ちていた。異様な光に満ちており、あまりの眩しさにセタは目を細める。

「こんな空間が海の底にあったんだ……」

 光に満ちた周囲の水は、いまも絶え間なく震え、海底の砂がわずかに舞っている。ルカヱルは辺りの様子を見渡すと「ああ、やっぱりか」と呟いた。

「このマナと振動、似たような気配を前に感じたと思ったんだ。海で薄まってたから気付かなかったけど、ここまで来て、ようやく気付いたよ、何に似てたのか」

「……なんのことですか?」

 ほどなく、二人は深淵の底に降り立った。

 ルカヱルが海底の砂を片手ですくう。細かな砂は煙のように舞い、周囲のマナの光を散乱した。

「メガラニカで見たんだ。私が地下で見つけた竜――ミレゾナに似てるんだ。セタも、あの鉱石は見たでしょ?」

「あの竜に?」

 セタは周囲を見渡しながら、記憶を呼び起こす。彼の脳裏に、鉱牙の竜ミレゾナの正確な姿は記憶されていない。

 記憶されているのは、青白く光る鉱石、あとは潮の香り――


 ――qRaaaa……


 また何処からか鳴き声が響き、セタはハッと顔を上げた。この鳴き声は断続的に、あちこちから響いており、方向は定まらない。近くにいるのか、遠いのかも判然としない。

 そのとき明確によみがえった記憶は、視覚情報ではなく、だった。メガラニカの砂漠の地下で聞いた竜の鳴き声が、彼の脳裏で響いていた。

 “qRAAAAAAA!!!!!”

 そんな甲高い音だった。

「――同じ鳴き声!?」

「ふふっ、気付いた?」

「い、いま気付きました。もしかして、ミレゾナとインクレスは同一個体……?」

「いや、同一というわけではないと思う。マナの量が違いすぎるから」

「じゃあ仲間とか、ですか? 同種、とか……??」

 竜に“仲間”とか“同種”という概念があるかは全く知らないセタは、首を傾げた。ルカヱルも興味深そうに唸り、頷く。

「そうかもしれないね。マナの使い方も似通ったところがある。ミレゾナは体から離れた場所まで自分のマナを共鳴させることができた。自分の抜け落ちた牙を、振動させてたのです」

「その点で言えば、インクレスの能力も本質は振動というより、“共鳴”ってことですかね?」

「あ、鋭い所を衝くね。私もそう思います――ただ、こんな大量の水を介して、海面に届くまで共鳴させるのは、まさしく規格外」

 ルカヱルは視線を上げる。光に満ちた裂け目の底から上を見上げると、逆に、空に真黒な裂け目が浮かんでいるように見えた。

「いまの私たちは魔法で作った空気の壁に守られてる。おかげで無事で済んでるけど、もしこの振動をまともに受けたら、ただじゃ済まないだろうね」

 ルカヱルは袖の下から金貨を取り出し、ひょいと投げる。海中を漂った金貨は忽ちマナの共鳴と共振し、金属音を響かせて、上へ向かって弾かれていった。

「なんという……」魔法に守られ、周囲の影響をほとんど受けていないセタは、息を呑んだ。いまルカヱルの手を離せば、辿るのは金貨と同じ末路――否、金貨ほど硬くなければ、より酷いことになる。

 しかし、今のセタの中には、恐怖を上回るほどに興味が強まっていた。地上で見たことの無い神秘的な空間。そして、それを生み出した主が近くにいる。竜図鑑を作る目的も併せ持つセタにとって、その主の姿が何よりも気になっていた。

「インクレスはどこに? 声も聞こえるのに、姿が見えません。きっと、大きな竜なんですよね」

「大きな竜ね……」

「あ、まさか大きすぎて見えてないとか?」

「本当に見えない?」

「……え?」

 ルカヱルはセタの手を引いて一緒にしゃがむと、海底に溜まった砂を手のひらで払いのけた。振動に乗って、砂が舞い上がる。その下から、白い光が漏れ出す。透き通った、大きな結晶だった。セタたちが降り立った深淵の底の、砂の下に埋まっていたのである。その結晶のサイズは、もはや視界にある地面全体にわたって広がっているほどだ。ガラスの床の上に立っているように感じた。

 その結晶の下でがノイズのようにうごめき、明滅していた。

「はっきり言って……予想外だった。インクレスの正体が、なんてね」

 ルカヱルは、興奮を抑えながら言う。

 セタは目を細め、結晶に手をついて、じっと影を観察した。影は一定の流れの方向に動き続けているが、ときおり、セタの手の近くで乱れた動きをしてみせた。それと連動して、結晶がわずかに揺れる――

「――なんなんですか、これって? 小さな影が、石の中で動いて……」

「竜だよ。これが、インクレス」

 セタは言葉を失って、ただ目を丸くして下を見た。

「小さな、小さな、手のひらサイズの竜。その無数のが、私たちがインクレスと呼んでいる竜の正体みたいだね」

「はっ……!?」

 驚きのあまり、下とルカヱルの顔を交互に見るセタ。

「こ、これがインクレス!? こんな、こんな……川魚みたいな、小さな影が!?」

「ふふっ、私だって信じられない。最大規模の伝承を持つ竜の正体が、こんなにも小さな竜だなんて。けれど、だからとても恐いと思った」

「恐い……でも、こんなに小さいのなら、とても脅威には思えないですが」

 アトランティスという大陸を破壊するほどの力があるとは思えなかった。しかし、ルカヱルは首を振った。

「セタ、君がさっき言ったことが、きっと本質だよ。インクレスの能力は共鳴。どんなに遠く離れていても、お互いに作用し続ける」

「お互いに……」

「もし、この無数に見える小さな影すべてが、マナを介して互いに繋がっているとしたら? この影がある場所全てが、インクレスの魔力の及ぶ範囲だとしたら、どんな竜よりも、大きな存在になると思わない?」

 セタの背筋が凍ったように冷えた。

「で、でも実際にどれだけの数がいるのかは、ここから見える範囲じゃなんとも――」

「見かけじゃ分からないかもね。でもセタ、私には見えるの。この透明な鉱石の奥の奥まで、ずっと深淵まで、インクレスのマナが蠢いている。この竜は、世界の深奥にいるんだ。星の中心に」

「……!!」

 どれだけ見つめても、小さな影でしかない。“影”というより、実際に目に見えているような、黒くて細長い魚のような様相が、インクレスの外観なのかもしれなかった。もし絵に描こうものなら、ほんの1時間もかからないような単純な構造の生き物が。

(こんな、一つ一つはこんなにも小さな生き物が……インクレスの正体なのか……)

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