第79話

「な、なんでこんなとこに、マジもんの魔女がいんだ……??」

「俺から説明します」

と、セタが手を挙げる。背後では、箒に乗ったルカヱルが足をふらふらと揺らしていた。

「竜の図鑑を作るために竜の事を調べていまして、この近くの海で、インクレスのことを調べられたらな、と」

「それで、こんな辺鄙な島まで? 大変なんだな」

 エルドが眼鏡に触れる。彼の癖らしい、とセタは思った。

「インクレスのことなら何度も聞いたことあるぞ」とダイが言う。「船に乗る人間だったら、学校でも習うくらいだぞ」

「学校?」

「技科学院工房のこと。インクレスのことを知りたいんだったな。そいつは、海に出てる時に偶に地震みたいな揺れを起こすんだ」

「本物を見たように言うな……」とエルドが肩を竦める。「こいつはこう言ってるが、実際のところ、俺たちはインクレスに遭遇したことはないぜ」

「でも、学校で習った?」とルカヱルは再度尋ねた。

「ああ……。ま、座学でな。俺は、まあ、成績がぶっちゃけ悪かったから……。詳しく聞きたければ、ダイに聞いてくれ」

「僕もそこまで詳しくないぞ」とダイは首を振る。「でもよかったら、先生にも聞いてみて欲しい。インクレスのことを教えてるのは学校の先生だから」

「そっか。最近インクレスに遭ったこともないんだね?」

「俺たちはな……いまは実習ってか、フィールドワークで、たまたま船を動かしに来てるだけなんだ。数日間、西洋群島に泊まってエンジンの性能をチェックする。これが終わったら、また学院に帰る」エルドがため息混じりに言う。「ただ、だったら、見たことあるかもな。学校に戻って先生に聞く前に、聞いてみるか?」

「先輩とは?」セタが尋ねる。

「いま、群島に住んでるんだよ。漁師と一緒に海に出るだけで、商船みたいに遠出するわけじゃないけどな。学院所属で、ここ数か月ここに暮らしてる……」

「卒業研究のために、データを集めに来てるんだ」とダイが補足した。「僕たちと違って、ここに来て長いからな! もしかしたら、見たことあるかもしれないぞ」

(数か月……ってことは、前にデルアリアがいなくなった後の痕跡を見つけた時期も重なってる)

 セタの考えと同じことを、ルカヱルも思っていた。

「じゃあ、君たちについてお邪魔しても良いかな? ぜひ“先輩”の話を聞きたい」

「あー、ここまで来たら、乗りかかった船だな」

「船だけにか!??」

「黙れ」

 ぴしゃり、とエルドが言い放ち、セタたちを見た。「ついて来るのは自由にしたらいい。先輩も、外から来た人と話せたら少しは気が晴れる」

「気が晴れるって……? その、なにか嫌なことが?」

「そりゃ嫌さ、卒業研究なんて。卒業か留年が決まるってのに、先生たちに激詰めされる未来が待ってる」

「僕たちは来年だぞ!」

「はああああ~……あぁ? ああ……マジか……」と、エルドが特大のため息をついた。

(この反応を見るに、リンってすごかったらしいな)と、セタは色々と察した。

 それから――エルドたちが宿舎と称して案内した建物は、年季が入っていた。二階建ての古い建物の隣には、ずっと立派なガレージのような構造の区画があり、人間が住む建物の部分よりも綺麗で厚い屋根が付いていて、相対的に人間の棲み処の方から哀愁が感じられる。

「せんぱーい! 起きてますか! 生きてますかぁ!?」

と、エルドが声を張る。

 やがて二階の窓が“からから”と開き、ぬっと顔が出て来た。一目見たときの印象は残念ながら、「隈が酷い」だった。先輩と呼ばれた人物は髪を振り、眠そうな目をエルドたちに向けた。

「起きてる……死にそうだけど……」

と、辛うじて聞こえる声で返事。

「ティナ先輩は不眠症なんだ」ダイがセタにそっと呟く。

「それは大変ですね……」

「漁師と一緒に船で出るから、いつも夜明け前に家を出るんだ」

「それは、大変ですね」セタは一言一句区切るように言う。

「ちょっとお客さん来てまして! 入れても良いですよね!?」

 エルドが彼女に声を上げてさらに問いかける。

「お客さん……? んん……うん」

 ティナは眠そうな目をこすりながら、数回頷いた。

 頷いたというより、「うつらうつら」としただけなのかもしれないが――エルドは、彼女のジェスチャーを“了承”と解釈したらしく、

「よし、良いってさ」

と言った。

「良いの? 今ので」呆れ気味にルカヱルは確認する。

「どっちにしろ断る人じゃないので大丈夫だぞ、多分」

「ああ、多分な」

「そう? じゃあ遠慮なく」

 学生二人に続いて、セタたちは宿舎の中に入る。木造の床が軋み、良い香りが風にのって彼を迎えた。どこかの窓が開け放たれているらしく、まるで外のような開放感がある。

「隙間風が酷くって。悪いな」エルドが言う。

「隙間風だったんですか? 今の」

「さてと――。とりあえず、一番広い部屋に行った方が良いな。講義室があるから」

というエルドについていくと、机と椅子が列を成して並び、大きな黒板が掛けられた部屋に入った。

 学校などの教育機関に通ったことのないセタは、その空間の構造をまじまじと眺めた。

「先輩を呼んでくるぞ」

 ダイが部屋を出ていくのを見て、ルカヱルは肩を竦めた。「あの子、来れるの? 眠そうだったけど」

「まだ寝る前だから大丈夫。いつも夕方から寝ようと努力し始めるけど、いうてまだ昼だしな。本当はレポートを書く時間だと思うが、これくらいの時間は眠気覚ましに誰かと話をしないと、段々フラフラになるんだ」

 そして、二人分の足音が階段を降りる音が響き、やがて、ダイの後ろから実験ノートを抱えた“先輩”が姿を現した。先ほど見た時に抱いた印象通り、垂れ目の下に影を貼り付けたような隈が酷かった。服装に至ってはミィココに匹敵するほどにラフであり、律儀にも例に倣って、素足である。

(凄く――苦労が察せる)

 セタは顔をひきつらせた。

「こんにちは……お客さん……ティナです……。ちょうど、眠気覚まししたかったの……こんにちは」

 ティナがぼんやりとした挨拶を二回繰り返したところで、ルカヱルが挨拶をし返した。

「ごきげんよう。突然お邪魔してしまってごめんなさいね。私はルカヱル。魔女です。こっちはセタ、役人ね」

「魔女さんと、セタと、役人と、ルカヱルさんね……」

 滅茶苦茶な復唱をした後、「ん」とティナは顔を上げた。

「魔女さん……?」

「そう。私は魔女。少し話を聞きたいんだけど」

 ティナが目を見開いた。

「ま、魔女? って、ヲルタオ女史と同じ……?」

「ええ。あの子、女史なんて呼ばれて、みんなに知られてるのね」

「も、もちろん! ヲルタオ女史はですね、学院の設立初期から流体の物理的考察で偉大な功績を残していて、液体で観察できる“ヲルタオの層流”とか――気体の動きに関しても、蒸気機関で最も重要な蒸気の動き、流速に至るまで正確な物理描像を式に残していて……」

「あの子は光の動きを眼で終えるくらいに目が良いから。流体の動きは雲の動きくらいはっきり、緩慢に見えるだろうね」

「そうなんですね! ――って、す、すみません……。話があるんでしたね……」

 ティナの口調が、激流から凪のように穏やかに戻った。

「る、ルカヱル様は……確か、ジパングの魔女様ですよね……? こんな辺鄙な島に、どのような御用で……?」

「インクレスのことを知りたいんだそうです」

とエルドがごく端的に言う。

 すると、ティナが目を丸くした。

「インクレス……? 竜の……?」

「最近、見たことはない?」

 ルカヱルにも聞かれ、ティナは頷いた。

 頷いたのを見て、ルカヱルとセタが同時に目を丸くした。

「見たの?」

「はい……。その、何か月か前……」

 ティナは実験ノートをめくり、記述に指を這わせ、「そうそう……、2か月と少し前だ……」と呟いた。




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