第77話
「こ、こほん。私ばっかり話しちゃった。もし幽霊画家について何か分かったら、ルカヱルさまにも教えてあげるね」
「ええ。ぜひお願いしますね」
噂好きな二人がそんな約束を取り付けているのを、セタは冷や冷やとしながら黙って見ていた。
「二人はこれからどうするの? どんな竜を探すのか、決まってる?」
リンが尋ねると、話題を転換したいセタが口を開いた。
「インクレス、という竜です。ご存じないですか?」
「あ、知ってるよ!」とリンは即答した。
明確な回答だったので、質問したセタはむしろ驚かされた。
「海鳴りのインクレス、だよね」
(リンさんは波紋じゃなくて、海鳴り、って呼ぶ派か……)とセタは内心で分類していた。
「そうです。他にも波紋、海震と呼ばれているそうですが」
「そうそう。インクレスって、すごーく昔からアヴァロンでは知られてるよ。蒸気機関が出来るよりも、ずっと前から」
セタはルカヱルを窺う。
彼女も頷いていた。
「私がインクレスのことをこの地で聞いたのも、3,400年くらい前かな。蒸気機関よりも前、ってのは合ってる」
「そ、そんなに?」と、リンは驚く。「人伝手で“昔からあるんだ”って聞いてたけど、それほどなんて」
「多分、実際はもっと前からじゃないかな。当時から、既に当たり前のように語られてたから。もっと西の方の小さな島でもね」
「西の方? ――“西洋群島”ですか?」
頭の中で世界地図を広げて、セタは尋ねた。
アヴァロンは大小さまざまな集まりの群島である。最も陸地面積の大きなラーン以外にも、名のある地区が点在している。
そのなかで、西洋群島と呼ばれる地区がある。その意味は、「世界で一番西側にあり、それより西には海しかない」ということだ。
もちろん、実際には西に果てしなく進めば海を越え、極東ジパングにたどり着く。しかし、世界が丸いなど知らなかった人々は、世界の終わりが西の海の果てにある、と思っていたかもしれない。世界を一周する、という概念など頭に無かった。
「西洋群島かぁ。私、行ったことないんだよね」
「そうなの? ヲルタオと一緒なのに?」
「そのヲルタオが、実は行ったこと無いの。“見つからなかった”とか言ってたよ……。あはは。多分、見逃してるだけだけどね。ヲルタオ、たまに凄く抜けてるから」
「ま、確かに小さな島の集まりだけどね……見逃すのは相当アレだけど」
割と方向音痴のルカヱルに言われるくらいなら、ヲルタオの酷さも察せようものだった。もしかすると、普段扉の魔法を使って移動している弊害で、道の探し方を忘れているのだろうか――とセタは推測した。
「リンさん……じゃあ、アトランティスってのは聞いたことありますか?」
と、セタは続けて尋ねた。ノーと返答されるつもりだった。
「アトラン……? なんか、似たような響きの言葉は聞いた覚えはあるけど」
「え?」「えっ」
セタも、ルカヱルも声を上げた。
「どこで? 誰から?」すぐに魔女が尋ねる。
「う、んー、どこで聞いたっけ……。ごめんなさい、すぐには思い出せないけど、凄く似た単語を誰かに聞いた……いや、見たのかな? 探してみるよ。ちなみにアトランティスって、なんなの?」
「……昔、海に浮かんでいたはずの大陸だよ。とうに沈んだけど」
「えっ、なにそれ!」リンは目を剥いた。「すっごく気になってきちゃった……! ちょっと調べてみるね!」
「ぜひお願い。私も、凄く気になるの」
「うん!」
そんなやり取りのかたわら、セタは一人、リンが聞いた覚えがあるという“似た単語”の正体を想像していた。
(誰も知らないはずの大陸の名前を、なんでリンが……? いや、よく似た単語ってだけなら、全く無関係の言葉って可能性もあるけど……)
「さて――、じゃあセタ。まずはインクレスの情報を集めに私は西洋群島に行って見よう。私は場所分かるから、安心してね」
と、ルカヱルが自信満々に言う。でも一応地図は確認しておこう、とセタは思った。
*
そして夜が明けて、早朝のこと。
慣れたもので、セタとルカヱルは既に準備を終えて、閑散とした朝の路地から、少し暗い西の空を見上げていた。
「さーてと……。それじゃあ出発しよっか」
「ええ」
セタは頷いて、スケッチブックが入ったバックパックを背負い直す。すでにルカヱルが箒を取り出して、セタが後ろに乗るのを待っていた。
飛行を始め、高度を十分に上げたタイミングで、セタは切り出した。
「ルカヱル様、アトランティスがあったという海にはまだ行かないんですか?」
「そうしたいところだけど、そうは言っても捜索範囲は広いからね。手がかりがあれば、できるだけ絞り込みたい」
とルカヱルは答えて、さらに続けた。
「デルアリアの調査をした際も、海底にはインクレスの痕跡があった。すでに移動した後だったけど、裏を返せば今は
「そうですね、ええ」
それから飛行を続けると、やがて広大な海が見えて来た。西洋群島には、空から判別できるランドマークのようなものはない。小規模の人の営みがあるだけで、背の高い建物はない。
ただ、その群島より西には海しかない――ある意味それこそが西洋群島のランドマークである。
「この辺です」
と、ルカヱルは高度を下げ始める。セタのガイドが無くても、無事に目的地付近にたどり着いた。しかし、降り立った場所には人気はなく、自然のままの小さな孤島だった。西洋群島、というだけあり、人の棲みつかない小さな島々が点々と存在しているのが実際である。
「ここには人が住んでいないかもしれません。もう少し大きな島の周りで、家屋が無いか見た方が良いのでは?」
と、セタが言う。
「うん、もちろん」とルカヱルは頷いたが、しばらく歩いて行くつもりか、浜辺の傍を歩き始めた。
セタは、彼女に黙ってついていく。
「ルカヱル様……何か、聞き込みの前にお話がありますか?」
と、ふと彼女の内心を推し量ったセタが尋ねた。ルカヱルは苦笑いを浮かべて振り返る。
「当たり。よく分かったね」
「最近、貴方の考えがなんとなく分かるようになりました」
「文言の内容を、ちゃんと確かめたいって思ってるの」
「……文言? を確かめる、とは?」
「伝承の文言。もちろんインクレスのね。覚えてる?」
「ええ。海面に細かな波紋があったら、インクレスが近くにいるっていう内容ですよね? もしその時は海をはなれろ、どんな異変も牙を剥くのは一瞬のことだ、って……」
「そ。私が昔聞いた伝承と、今の文言はほとんど変化してない。共通してるのは、波紋が出たら逃げろってこと――ただ改めて文言を思い出すと、少し違和感があるのです」
「違和感ですか?」
「誰も、どこも、波紋のインクレスの被害は受けてない――じゃあ、なんで海を離れろって、最初の伝承者は言ったんだと思う?」
「……え」
セタは短く声を零し、そして答えられなかった。
「だいたいの竜の伝承は被害に基づいてる。大小の違いはあるけどね。インクレスは古くから知られる竜だから、被害が相応にあってもおかしくない。逃げろっていうほどなら、危険な被害があるはずでしょ?」
「確かに……」
ところが実際には船は海を渡るし、波紋によって破壊されて沈んだという話は聞いたことが無かった。
被害の話でいうなら、“夜灯”のルミノスクロの方が、よほど直接的である。
「どうしてインクレスの伝承の文言は、“逃げろ”っていうメッセージがあるんだろう?」
セタはこの伝承を発端を想像する。
伝承の原点を、神話の原典を――
「――最初の伝承者はインクレスが危険な竜って、もともと知っていた、とか……?」
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