ルミノスクロ
第70話
「――その、ルカヱル様は魔女だから、なんとかしてくれると思います。あまり心配しないで、少し待ちましょう」
セタは沈黙を破り、とりあえずそう言って見せた。
実際の所、ヲルタオやルカヱルの状況は全く予想できないので、気休めでしかない。しかし彼の言葉を聞いたリンは、短く息をついて、強張った肩を緩やかに落とした。
「うん……ごめんなさい! ちょっと慌ててた。来たばかりなのに、貴方たちにこんなこと」
「それは大丈夫だと。ルカヱル様も、暇潰しになるのなら人助けでも魔女助けでも、なんでも乗り気な方なので。いつもそうです」
「いつも? 貴方――本当に、あの魔女様と友達なんだ」と、リンは小さく呟いた。
(いや、俺は友達というほどの者では……)とは言い出せないセタ。否定するのも肯定するのも、気が引けることだった。
リンは続けて言う。
「“暇つぶしになるなら何でも良いから頼み事があったら言って”って、ヲルタオもいつも言ってる。魔女は、そういうものだって――」
はっとして、リンは顔を上げた。そして、
「あっ、コーヒーはいかが?」
と、出し抜けな提案がなされて、セタは目を丸くした。
「こ、コーヒー? ここで? いま?」
セタは二つの理由で驚いていた。一つは、この今のシチュエーションで飲み物を提供されると思っていなかったから。もう一つは、ジパングでは嗜好品として知られるコーヒーを勧められたから。
「ごめんなさい。お客さんに何も出して無かった、と思って。それとも苦いのは苦手?」
「別に苦手ではない――じゃなくて、いや、こんな時にお気遣いなく」
「でもね、ここはカフェなんだ。ぜひ飲んでみて。ヲルタオも、飲んでほしいって思ってると思う。お代ならいらないから」
リンは席を立ち、カウンターの向こうへと向かう。彼女がポッドを火に掛ける様子を少し見てから、セタは改めて、壁に飾られた「作品」に目を向ける。
すべての「絵」が、同じサイズの紙に描かれている。色はなく、白黒である。線は少し粗いにも関わらず、陰影の具合だけは極めて正確な仕上がりだった。
物の輪郭というより、まるで“物に当たった光そのもの”を、切り取っているような。
例えばセタが図鑑の絵を描くときは基本的に陰影をほとんど付けずに最小限の線で描くので、それとは対極に影の有無だけでこれほどリアルな絵が出来ることに感動していた。
「――これは君が描いた絵?」
「えっ? ああ、それのこと」とリンはセタの指さす先の額縁に目を向ける。「うん。でも絵って言っても、描いたんじゃないんだ。機械で写したんだ」
セタは驚いて、言葉もなく目を丸くした。
「機械で? ど、どんな?」
「ほら、そこに置いてあるやつ」
と、リンが目を向けたほうにセタは振り向く。
カウンターの端に、木の板と金属フレームを材料にした箱が置かれていた。両手サイズで、見た目には重厚感がある。
あまり機械が得意ではない――というより、ほとんど扱ったことが無いセタは、触ることなく、展示品を見るような視線を向けていた。
「それ実は私が作ったんだ! ……まあ、ヲルタオに沢山手伝ってもらったし、しかも今は壊れてて修理中なんだけど」
苦笑いを混ぜながらリンが言う。「ヲルタオにね、その機械で使う塗料の材料を採ってきてもらいたかったの。私一人じゃ――というか普通の人間じゃ、とても取れそうにない所にあるから」
「塗料を機械で? これは印刷機みたいなものってこと?」
「うーん……ちょっと違う、似て非なるものって感じ。その塗料は強い光を浴びると黒く変色する。塗料に漬けた紙を、その箱みたいな機械に入れて、光をレンズから取り込んで紙に当てれば――」
「……この絵みたいになる?」
「そういうこと」と、リンは頷いた。「その機械の本質は箱の中を極限まで暗くしておくこと――いまは写真機って、仮称してるんだ」
正直、セタは仕組みの半分も理解できていなかった。印刷機で使うような、ステンシルとインクの組み合わせとは違うらしい――それくらいの解釈が限界だった。
ただ、一つ分かったことがあった。
「それは凄い……! じゃあこれがあれば、誰でもリアルな絵が描けるってこと?」
セタは興奮気味に尋ねた。それこそ竜の図鑑プロジェクトでは皆が観察と描写の両立に苦労している。竜の姿を記憶した上で精密な絵として描き起こせる素質を持つ者が必要だった。
ジパングにおいて、それはセタであり、メガラニカではアルマだった。しかし、写真機を持てば誰もがその役を担える――正直、セタはどこか複雑な心中もあったが、それは素直に凄いことだった。
しかし、リンは首を振った。
「理想的にはね。けど結構使うのが難しいから、誰でも出来るかは、ちょっと分からないかも」
「そうなんだ……」
「それに強い光が必要って言ったでしょ? 夜の月とか星とか、暗い物陰にあるものとか、海の中の物とか――写せないものも沢山あるんだ。だから、まだ改良しないと」
リンは彼女自身に言い聞かせるような口調で言った。セタよりも幼い少女の中にある技師のような一面を見て、彼は心底感心していた。
「はい、どうぞ」
カウンターにソーサーとカップを置いて、リンはいう。満たされた黒い液体から、白い湯気が薫りと共に立ち上っていた。
「ど、どうも」
恐る恐る、黒く熱い液体に口を付ける。最初に感じたのは温度で、次に強い苦味だった。そして味と温度が消えても残った物が、薫りだった。
「これがコーヒー……。お茶と全然違うな」
「口に合わなかった? それだったら……」
「いや、結構好きだよ」
素直にそう言って、セタはまた一口飲んでみる。苦味に慣れてしまえば、薫りを飲んでいるような感覚だった。味の癖を考えると、嗜好品というのも納得で、水のように沢山飲むような感覚の物ではない。
「え? そ、そう?」どこか驚いた様子のリン。彼女は、牛乳の入った銀のカップを差し出す直前で、こっそりカウンターの陰に戻した。
「……ところでセタさんに聞きたいことがあるんだけど」
「え? はい」
セタはソーサーに杯を置く。きん、という高い音が食器から響いたあと、リンは尋ねた。
「もしかしてセタさんも、竜の図鑑の人じゃない?」
「え? そうだけど、でもなんで、そんな事を君が――」
セタはそこで、ようやく少女の正体に勘づいた。今になって思えば、勘が悪すぎる、と感じながら。
「えっ、き、君が……?!」
「あはっ、私も竜の図鑑の人だよ。もちろん、描く方のね」
リンは悪戯っぽく微笑んだ。年相応な表情を浮かべて。「まあー、“描く”と言っても私の場合は写真機で写すだけで、そんなに絵心は無いんだ」
――とはいえ、それを機械で解決すること自体、セタには思いもよらない発想だった。
(もしかしてこの子、天才じゃ……?)
内心、セタはそんなことを思っていた。
このラーンの地におけるリンへの評価は確かに“天才”であった事など、まるで知る由も無かったが。
*
そのころ、誰も知らぬ海底にて。
「く、暗すぎ……」
ルカヱルはつい、そう零した。足元も見えない。上を見上げても、そこは真っ暗闇だ。
水深6000メートルより下の深淵を彼女は歩いていた。もちろん、魔女だからこそ歩ける環境である。普通の人間がこの場に立てば、窒息より早く圧死する。
「もう、こんな深いところでヲルタオは何をしてるのよ。神出鬼没も大概にしてよね……」
とはいえ、調査する予定だったアヴァロン近海の海底と考えれば、渡りに船だった。
(でも、もしかしたら、ついでにインクレスのことも何か見つかるかも……。いや、ヲルタオを先に見つけないと)
ルカヱルは、空気が無いはずの海底で一呼吸して、それから、声を張り上げた。
「すぅ――ヲルタオーーーーっ!!」
“Ohhhooooooooo----------……・・・”
その声は波紋となって、どこまで響いていった。ルカヱルが後天的に習得した空気を操る魔法は、水の中では本来扱えない。しかし魔法によって、水を空気の様に扱うことが出来る。
ルカヱルの声は遠雷のように響き渡り、名も知れぬ深海魚たちが大慌てで逃げ出して、それから――
“UUuuu----……”
という、低い音が木霊のように帰って来た。
「………」
ルカヱルは目を凝らす。
遠くで、ちか、ちか、と金色の光が瞬いていたのである。
(あの金の光は……ヲルタオ?)
光は徐々に近づいて来る――距離が縮まるほどに、暗い水に流されていた
そのマナは、魔女の物では無かった。
uuuUUNYIAAAAAAAAAAAA!!
たちまち奇怪な鳴き声が響き渡ると、光を灯した竜が、ルカヱルに向かって牙を剥いた。
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