第69話
「――セタ、見えて来たよ」
「おお……」
と、セタはつい嘆息した。
陽が沈んだ眼前に広がるのは、人口の光に満ちた背の高い建物の集まりだった。ジパングやメガラニカでは、決して拝むことのないような街並みが近づき、セタは目を皿にして、世界を見つめていた。
「ここがラーン……さすがアヴァロンいちの工業都市と言われるだけありますね。見たことないくらい、栄えてます」
「うん。既にちょっと、目が眩んでるよ。たくさんの石炭が溜め込まれてるみたい。マナがそこかしこに漂ってる」
「俺の目もちょっと眩んでます、夜なのに眩しい街ですね……。さて、ルカヱル様。最初は大役所に行きますか? いや、もう遅いし宿を探す方が良いかもしれませんが――」
「いや、先にヲルタオの所に行く」
「えっ」
「彼女の棲み処は知ってるのです。最近、本人から教えてもらったことがあってね。ただ速攻で行かないと、彼女はどこかに行っちゃうかも」
「ええ?」
ルカヱルがとても慌てているようだったので、セタは少し戸惑った。箒は夜の暗い空を真っすぐに飛び、そして急降下で路地裏に降り立った。
二人はレンガの路地に降り立つ。大通りの方からは、人々の声が絶えず響いている。ルカヱルは箒を袖の下に隠しつつ、盗人のような素知らぬ足取りで、大通りに出た。
セタも息を潜めて彼女についていき、夜の街を歩く。
「あそこ」
「おお、思いの外、近いですね」
ルカヱルが指さす先には小さな扉があった。なにか看板が掛けられている――数歩歩み寄った段階で、そこに書かれた文字が読め、セタは目を丸くした。
「“閉店中”? ……って書いてますけど」
「だね」
そんなこと気にしていないのか、ルカヱルは扉に近付くと、ノックしようと手を挙げた。
セタは少し気が引けた。「閉店中」と表示が掲げられている店に向かって留守を問うなど。幸い、周囲の往来は二人のことなど眼中にないような歩調で、次々と過ぎ去っていく。
「ヲルタオ、いる?」
あっさりと、扉の向こうにそう問いかけたので、なぜだかセタは吃驚した。なぜそんなに驚いたのかは、よく分からない。
(なんだろう……ここにヲルタオなんて人がいるはずないって思い込んでるみたいだ)
不思議な感覚だった。店に近付くまでは、ルカヱルが向かう先に“ヲルタオ”という魔女がいるのだろう、と特に疑いもなく思っていたはずなのに。
「……ヲルタオ?」
扉の向こうから声は聞こえない。
代わりに、慌ただしい音が聞こえた。小走りで駆け寄ってくる足音のような――からん、とベルが音を立てて、扉が開いた。
そこには少女がいた。小柄ながら健康的な小麦色の肌に、茶色の瞳。結われた髪の尾が揺れ、どこか彼女の表情も動揺しているようだった。
「はっ、あっ……?」
少女は息を呑んだり、吐いたりしていた。
「……?」
ルカヱルは彼女を見て、首を傾げる。
「……ヲルタオ様? でしょうか。夜分にすみません――」
沈黙する二名をよそに、セタが尋ねた。
「ち、違う! 違うよ、私は……ヲルタオじゃない」
「え?」
「貴方、誰?」とルカヱルが追究する。
少女は一息呑んでから、
「私は……リン。ヲルタオの友達」
と答えた。
(友達――? アヴァロンの
セタの感覚では、魔女のことを「友達」と称するのは、ことさら不遜な行為のように思えた。それくらい、ジパングにおいては神格化され、誰よりも目上の者として丁重に扱われているのが“魔女”というものである。メガラニカにおいても、概ね同じような傾向だった。
一方ルカヱルは、リンを見て、くすりと笑って見せた。リンはどこか呆気にとられたように目を丸くする。
「ここ、ヲルタオの魔法で普通の人の目から見えにくくなってるんでしょう? でもね、魔女の目から見たら、逆によく分かるようになってるの――知ってた?」
「あ、貴方たちは?」リンは戸惑い気味に尋ねる。
「私はルカヱル。ジパングの魔女だよ。それと、彼はセタ。私の助手……いや、友達です」
セタは「え、友達ですか?」と言った表情でルカヱルを見た。声には出さなかった。
「ルカヱルさん……? もしかして、ヲルタオの知り合いなの?」リンはつぶやく。
「そう――だけど。ヲルタオ、もしかしていないの?」
ルカヱルは店の中を覗き込んだ。ランプに照らされた店内には、客一人座っていない。
「……ヲルタオ、戻って来てないんです。私が頼みごとをして、店を出てから」
ルカヱルとセタは驚き、つい二人で顔を見合わせた。
「いつから?」
「日が暮れる前だから、もう3時間くらい? でも、10分くらいで戻るって、言ってたんです。なのに……」
それから、リンは顔を上げた。
「お願い! ヲルタオ、何かあったのかも――どうにかして、探し出せない……!?」
「ふーむ」
ルカヱルは唸ると、リンの脇を通って店の中に入った。セタもそれに続いて、シックな店内へと足を踏み入れる――すると壁一面に、額縁に飾られた「作品」が並んでいた。
風景画、猫、人、コーヒーカップ。
何もかもが、精密に描かれ、一見すると極めて精巧だった。
しかし目を凝らすと、どこか粗くも見える。
(なんだろう、この絵? 上手いのに、なんだか妙に線が荒いような……。どうやって描いた絵なんだ?)
セタは状況も一時忘れて足を止め、額縁を見つめていた。
一方、ルカヱルは店の中ほどの、中途半端な位置で足を止めた。床を見つめ、壁を見つめ、天井を見つめ――と、ぐるりと視線を回すと振り返った。
「あの子、どうやって此処を出ていった?」
「あ、あの……魔法の扉で」
「魔法の扉?」セタは状況を思い出し、振り返った。少女と魔女が対峙していた。
「どこに?」ルカヱルは淡々と尋ねる。
「その、ちょっと変わった鉱石を採ってきてもらおうとしたの。強い光を浴びると、黒く変色する鉱石……。海底にいると思う、海底にあるって言ってたから」
それを聞くと、ルカヱルは腕を組み、悩ましそうに唸り始めた。“……追うか……でもあの子……、入れ違いでしれっと戻ってきそうだし……どうしよう……”
そんな独り言が漏れ聞こえて。
かたやリンは一歩、ルカヱルへと近寄る。
「お願いします……! 私じゃ、ヲルタオを追えない……」
「ふふっ、うん。正直、私でも追いつけるか分からないけど、まあ――」
魔女は背を向けると、息を深く吸い、人差し指を虚空に向けて伸ばした。
その振る舞いを、セタとリンは固唾をのんで見つめていた。
(あの指……何か、マナのあるものを“引っ掛ける”つもりなのか?)
しかし、指の先には何もない――次の瞬間、甲高い金属音と共に、扉が姿を現すまでは。
「えっ!? な、なんだ、扉……?」
「ヲルタオの扉だ! どうして呼び出せるの?」
セタとリンが口々に戸惑いを声に上げると、ルカヱルは肩を揺らして笑った。
「前に本人から仕組みを教えてもらっただけだよ。それじゃあセタ、少しの間、その子と留守番してて。最低でも……うん、1時間以内に戻るから!」
魔女が扉を開くと、そこには暗い水の世界が広がっていた。ランプの光に照らされ、一寸先だけが照らされた闇の世界は揺らいでいる。
あまりに異様な光景を前に、セタは息を呑む。
そして瞬く間に、ルカヱルは水の向こうへと消え、扉も姿を消した。
「き、消えた……。魔法、なのか、これ……」
箒や鎧の魔法を見てきたが、いま目撃した扉の魔法は、段違いに不可解な現象だった。
衝撃のあまり、しばらく言葉を失っていたセタは、ふとリンの存在を思い出して振り返った。
「………」
「………」
(何を話したら……)
(何を話したら……)
この沈黙は、だいたい1分弱続いた。
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