第64話

「さて……、アルマよ。グランディンの絵は描けそうか?」

「え? ああ、はい。まじまじと見ましたから」

とアルマは頷いた。「でもちょっとだけさせてください」

「メモか。まあ、普通そうじゃよな」ミィココはうんうん、と頷いた。

 ルカヱルも、うんうん、と頷いていた。

「?」

 アルマは首を傾げつつ、箒のうえでメモ帳を取り出した。「ええと、グランディンの方は……。あのガトシロアとかいう竜の方も、私が描くんですか?」

「あ、それは俺が描きますよ」とセタが言う。

「そっか、絵描き担当でしたね。でもメモとか取らないの? ペン貸そうか?」と言って、ペンをセタの背後から差し出すアルマ。

「いえ、見れば覚えられるので」

「?」

「一度見たら忘れないんです。だから、もう絵は描けます」

「??」

 アルマは言葉を探して、数秒間ほど沈黙していた。

(分かるぞ、その気持ち)

(分かるよ、その気持ち)

と、二人の魔女に共感されているとは露知らず。

「一目見るだけで図鑑を描けるということなの?」

「面白いやつじゃろ」

「はい、とっても! セタさん一人いれば絵描きは十分じゃないですかね」

「いや、それはいくら何でも」

「冗談冗談」とアルマは笑う。「私も物覚えには心得があるんでね、メモさえあれば絵一枚くらい描ける」

 アルマが箒に跨ったまま、さらさらと紙に筆を走らせる音だけが、しばらく響く。

「アルマさん、箒に乗ったの初めてですよね。よく手を離してメモできますね?」

「これくらいはねー」

(いや、この人にとって“どれくらい”なんだ、この状況)セタは下を見る。ここはとても高い。

「アルマは元冒険家じゃ。適応力は高い」

 ミィココが言うと、彼女はふふん、と自慢げに鼻を鳴らした。

「冒険家って、実在したんだ……」とセタ。

「適応していない事にはビビるし適応したらすぐ眠ってしまう奴じゃが適応力は高いんじゃ」

「あの、前置きが多すぎてしょぼく聞こえるので、それくらいで……」とアルマは言った。

 そして、ぱたん、とメモ帳を閉ざす音を立てる。「メモは終わりました。撤収で良いですか?」

 そんな締まりの悪い提案に対して皆が頷いたので、竜たちから4人は離れていった。ルカヱルが箒を加速させると、ミィココも負けじと空を翔ける速さを上げていく。

「ミィココ様の魔法、面白いですね。空をスキップしてるみたいです」

「面白いよね」

「箒で飛んでおるお主に言われたくないがな。儂にその魔法は使えんからのう」

「スキップで空跳ぶのも、どうかと思うけどね」ルカヱルは言った。――それに私だって元々箒を使えたわけじゃないよ。教えてもらった魔法だから。

「え?」

 ルカヱルのあとの発言は風にかき消されて、彼女のすぐ後ろにいたセタにしか聞こえていなかった。

 まもなく、ミィココの家が近づいてきた。「降りるぞ」とミィココは言うと一足先に着地した。自由落下のように落ち、しかし衝撃音は全く聞こえない不思議な挙動で。

 ルカヱルも旋回減速しながら、地上に近付いていく。

「はい、到着」と彼女が言うと、箒に乗る3人の足が同時に地面に着地した。

 セタは降りようとすると、背中にもたれ掛かる重みを感じた。耳を澄ませば、信じられないことに寝息が聞こえ――振り返ると、アルマが寝ていた。

「ええ……? この人、寝てるんですが……?」

「嘘ぉ?」

 身動きの取れないセタ。そして後ろの二人が降りないと降りることが出来ないルカヱルも、驚いていた。

「おい、起きろアルマよ」

 デコピンの音が響くと、「わぅ」という気の抜けた声と共にアルマが目を覚ました。「あっ。すみません寝ちゃって」

「さすがに豪胆すぎるじゃろ、お主」

「へへ……。風が心地よくてつい」

(滅茶苦茶ヘンな人だ)と、アルマの印象が決定付いたセタ。

「ふっ、面白、この子」ルカヱルの中でもアルマの印象が固まった。

 それから、家主のミィココに続いて、皆が部屋に入る。アルマは部屋を隅々まで見渡した。

「わお。相変わらず倉庫か資料室みたいなインテリアですね」

「インテリアと呼べんじゃろ、それは」

「もしかして二人って、前から知り合い?」とルカヱルが尋ねる。「元冒険家って言ってたけど、ミィココとどこかで遭遇したとか?」

「遭遇とはなんじゃ、人を熊か竜みたいに……。ま、その通りじゃがな」

 ミィココは“変身”を解き、素足に戻ると、一つしかない椅子に腰かけた。「5年前に、放浪中のこいつに出くわしたのじゃ。酔狂な奴じゃろ」

「4年前です。あと放浪じゃなくて冒険です」

「こんな話はさておき――アルマ、お主は絵の準備をしておれ。その辺の紙と筆は自由に使え」

「ありがとうございます。そうだ、もうセタさんも絵が描けるって言ってましたよね」

「え? ええ」

「じゃあせっかくだからここで一緒に描かない?! 君の絵が気になるなーあ!」

 目を輝かせて、紙を二枚取り出すアルマ。「ね、どう?」

「良いんじゃない? セタ、ここで描いていきなよ。私も図鑑に書くこと、ミィココと考えとくから」

 すぐさまルカヱルにも後押しされ、セタはついミィココの方を見ると、彼女は「好きにしろ」と告げた。


 *


「――さて。お主から見てガトシロアはどんなやつじゃった?」

 絵描き二人が作業を始めてから数分後、作業の様子を眺めていたミィココが尋ねる。

「ものすごく大人しい竜だね」

「それは見れば分かる。儂が知りたいのはグランディン――ミースと共生している理由じゃ」

「見て分かることも大事だよ。滅多に動かない生き物はなんだ。きっと生態にリンクしてる」

「滅多に動かない生き物のう」ミィココは、ちらりとアルマを見る。ナマケモノか猫のような生態の冒険家である。

「私、ガトシロアを前にも見たことがあったんだ。その時のあの竜は、呼吸が浅くて、ほとんど動かなくて、死んだ氷像みたいだった。でも今日は違った――呼吸が深かった」

「コンディションが違うと?」

「どうしてだと思う? 何が変わったと思う?」

 ミィココは、腕を組んで思案した。ミースを冷やして癒した後、ガトシロアは竜を前にすぐ眠りに就いた。深い呼吸と浅い呼吸、眠りと死――

(竜の行動に意味があるとすれば、まず思いつくのは食餌……呼吸、眠り……呼吸の意味……)

「――変わったのは、ガトシロアが食べておる餌か」

「多分それが正解」とルカヱルが言う。「私の目には見えたよ、ガトシロアが深呼吸して、漏洩したミースのマナを吸い込んだのが」

「以前までガトシロアは氷原の乏しいマナを啜っておったのが、今やミースから漏れるマナが新しい餌になったわけか」

「その通り。もともと、氷原にマナはほぼ無い。魔女にも歪みなく風景が見えるくらい――あるいは、ガトシロアみたいに“省エネ”じゃないと棲めないくらい」

「そこに偶然、大火傷を負ったミースがマナを漏洩させて落ちた。ガトシロアは……、竜のマナの味を知ったのか」

 はっ、とミィココは笑った。「呼吸が深くなったのは、単純に奴の体力の問題か。より食欲が満たされ、眠りにもつきやすくなった」

「傷の治りが遅いミースの生態が、偶然嚙み合ったんだね」

「以前のミースの生態も、面白いものじゃった。いわば“月光合成”――月の微弱な光を特殊な皮膚で浴び、マナを生む。じゃが150年前に肝心の皮膚が全て焼かれ、マナも上手く作れなくなって、傷を治せなかったのか」

「それが昼に動くようになった理由でもあるかもね。より強い光を浴びて、マナを生もうとした。ガトシロアとミースの生態が連動して、互いに少しずつ変わったんだね」

「数奇じゃな。まあ……あの氷原の集落は、巨大に雹に見舞われて、気の毒じゃがな」

「あ、その集落って、残ってたの?」ルカヱルは帽子を取り出し、被った。「こんな感じに、とんがった屋根の家がたくさんある所だよね!」

「うむ。まあそうじゃが――わざわざ帽子を被って言うことか?」

「ミースもミースで、結構気の毒だよね。こんなに長い間、火傷が癒えないなんて」

「回復力には個体差があるんじゃろ。シィユマのように、海の中でも自力で新しい傷を塞ぎ、マナの漏洩を止められる竜もおる……わしら魔女も、傷はすぐに癒せるしな」

「うん……」

 海と、傷という、奇妙な言葉の羅列で、ルカヱルは不意に砂漠の事を思い出した。

 正確には、砂漠の地下で見た竜――海の潮の香りを纏い、傷も数秒で再生させ、ルカヱルと激しい応酬を繰り広げた「鉱牙の竜アンノウン」のことである。

「そうだ、ミィココ、砂漠のことも話したいの――この鉱石、見たことある?」

 そう言って、ルカヱルは試験管を一つ取り出し、机の上に置いた。今も不思議な光を放つ鉱石が、そこに封じられていた。

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