第63話
抱えられて地上から跳ね上がり、瞬く間に上空へと飛び上がり、ついで厚い雲の中を自由落下のような速度で通り過ぎたかと思えば、気づけば、アルマは地上に降り立っていた。
「ほれ、着地」
「――はっ、あっ……。し、死ぬかと……思いました」
「豪胆なのか小心なのか分からんやつじゃのう」
「あんな空高くなんて、誰でも恐いですよ」
「安心せい、さっき護符を渡したじゃろう? お主に降りかかるダメージは肩代わりするからのう、高いところから落ちたくらいでは捻挫もせん」
「とはいえさすがに冒険過ぎ……。あ、グランディンは?」
「そこに降りたようじゃ。もっと近くに降りようと思っておったが、なんと別の竜が居合わせているのが見えたのでな。縄張り争いが起こるかもしれんし、少し離れて……ん?」ミィココは目を細めた。「――アルマ、あれを見てみよ。竜よりも珍しいものが、空を飛んでおったわ」
南の空にポツンと浮かぶ不思議な影は、とても目立っていた。箒に乗った二人組である。アルマは、その珍妙なシルエットを見て、目を白黒させていた。
「え――なんですかあれ? うーん……なんか箒に乗って空を飛んでる二人組が見えますね」
「そうじゃろう。あやつらは――」
「もしかして夢かな? 私、また昼寝してるみたいです。ミィココ先生、ほっぺたつねってくれますか」
「ほれ」
デコピンを喰らい、額を抑えるアルマ。
ミィココの爪は鉄ほどに硬かった。
「い、いたっ……! “つねって”、て言ったのに?!」
「あやつらはな、儂らと同じじゃよ。魔女と絵描き、名をルカヱルとセタという」
「えっ! つまり私たちの同士ってことですね!」
「ミィココぉー」と、箒を降下させて、ルカヱルとセタが地上に近付いて、高さ50センチほどの位置で滞空した。
アルマは、二人の顔を観察するように見つめてから、嬉しそうに会釈した。セタもアルマのことを見つめて、ぎこちなく会釈し返した。
(この人がミィココ様に御付きの絵描き?)
セタが見ていると、相手は快活な笑みを浮かべた。
「こんにちは! 私はアルマと言います! こんにちは!」
「こ、こんにちは」
「ごきげんよう、アルマ」
「よおルカヱル、セタ。儂らも竜の図鑑作りを始めたのじゃが、こんなところで奇遇じゃな。――しかしお主ら、砂漠のほうに行ったのではなかったか?」と、ミィココは二頭の竜を傍目に、気さくな挨拶をしてみせた。
「もう、それは終わったよ。色々あってね」
「ルカヱル様、その話はまた後にしましょう。いまは竜がいますし、地上に近すぎるとガトシロアの呼吸が――」
セタが魔女二人に慌てて提言する。
それを聞いたアルマが首を傾げる。
「ガトシロア? ああ、あの白い竜のことね。グランディンのことじゃなくて」と彼女は手を叩く。
「グランディン? ……ってなんですか? あ、もしかしてあの黒焦げの竜の名前……?」
「なるほど、お主らガトシロアの伝承を辿っておったところか。これは全く、偶然じゃな」
「ミィココたちは? あの黒い竜を追いかけて来たの?」
「そんなところじゃ――っと。さてさて、ガトシロアがいるのなら一旦逃げた方が良さそうじゃのう。アルマ、そこの箒に乗せてもらえ。そっちの方が空に逃げやすい。儂は一人で跳ぶから」
「分かりました。でも、3人乗れますか?」
「乗れるよー」
「では失礼して――。すみません、もうちょっとだけ、下まで降りてくれますか? ちょっと高くて」
「あ、ごめんごめん」
「これ、どこに掴まったら?」
「あの、ちょっと急いだほうが」
――THYYYYYYYYYYYYYY!!!!!!!!!
グランディンが掠れた咆哮を轟かせたのと同時に、アルマは箒の飛び乗って、それを合図にルカヱルは箒を上昇させた。ミィココも追うように跳び上がる。
「う、うわ、高っ。というか、速っ」アルマが声を漏らす。
「よっと……。さて、ここまで来れば問題ないかのう」ミィココは空で踏みとどまり、その場で立って地上を見下げた。
ルカヱルは彼女の傍まで箒を寄せた。翼をもつ竜を俯瞰するという不思議な構図だった。
「ミィココ、ちょっと聞いても良い?」
「なんじゃ? 儂も聞きたいことはあるが」
「あの竜、グランディンっていう名前でホントに合ってる?」
「――今はな」
「今は?」と首を傾げたのはアルマだった。「今は、ってことは、前は違ったんですか?」
「儂も、こんな状況になっておるとは思っておらんかった。じゃが、グランディンの姿を間近で見て、確信した。奴のマナは、前に見たことがある」
「うん。私も」とルカヱルは頷いた。「じっと見てたら、ようやく思い出したよ。ここにいたんだね」
「あの、一体どういうことですか? グランディンの話ですよね?」セタが尋ねる。
「そうじゃ。今はグランディンという名で呼ばれておるが、前は違った。少なくとも150年前までは」
「150年前? ……その時はなんていう名前だったんですか?」
「ミース。“月光”のミース――あの黒く焦げた竜は、昔はそう呼ばれていた」
「み、ミース?」セタは驚く。「でもその竜って……確か、どこかに逃げていったんじゃ?」
その名をルカヱルとミィココの両名から聞いたのだ。ミィココの話に寄れば、その竜はメガラニカの外へ逃げたはずだった――ラアヴァの炎で焼かれて。
「あ、だから焦げてるんだ……。150年前にラアヴァの炎で焼かれて、どこかに逃げたミースが、グランディンの正体ってことですか?」
「そうじゃ」
とミィココは頷いた。「儂は、あいつはメガラニカの外に移動したと思っておった。実際にはこの通り、氷原地帯に残ったようじゃがな」
「うっすら見覚えのあるマナだと思ったんだよ。私も、ミースが空を飛んでるのを見たことがあってね。まあ何百年も前だけど」
とルカヱルも続く。
「……あまり話に付いていけてなくてすみません。グランディンは昔、ミースって呼ばれてたって話ですか?」
アルマが脇から尋ね、ミィココが頷いた。
「左様。しかし妙じゃ。ミースに雹を降らせる力は無かった。晴れた夜間だけに飛行する姿が観察できる温厚で夜行性の竜じゃ。それが火に焼かれた後で、なぜこのような――」
眼下では、ガトシロアがゆっくりとミースに近付いていく様子が見えた。ミースの体表面が、少しずつ凍っていく。
「うわっ……ガトシロア、縄張りに入って来たミースに攻撃し始めましたね」
セタには、そう見えた。
「いや、あれは……」
ルカヱルは首を振る。ついさっきの“深呼吸”と比較すると、息吹のマナの威力は抑えられているように見えたのだ。
「手加減してる。ガトシロアは、ミースを殺す気はないみたい」
ルカヱルは目を細めて、ミースの方のマナをつぶさに観察した。
冷却されたマナは収束し、ミースの焦げた傷口の上で凍りついて、かさぶたのように固まっていった。
「信じられない――あの竜、敵対してない。逆にガトシロアは、ミースのマナの漏洩を止めてる。火傷の痕を冷やしてるんだ……」
やがて、ガトシロアは息吹を止めて、少し俯いた。ミースの体表面は凍り付いて、黒く焦げた体に霜が降りていた。氷像のように大人しくしたまま、じっと佇んでいた。ガトシロアも、ミースから付かず離れずの距離を保ったまま、その場で四肢を折り、再び眠りに就いた。
「ふむ、面白い。竜同士が対峙、こうも大人しいとは。これも一種の共生関係なのかのう」
「しかし、グランディンの“通雹”の伝承は? あの竜の周りでは、どうして雹が降るのでしょうね」
とアルマが首を傾げた。
「生態というより、偶然、かもしれんな」ミィココは息をつく。「ミース自身は、飛竜らしく空を飛ぼうとしただけかもしれん。しかしこの極寒の雪原では、やつの体表面を覆うガトシロアのマナは温まらず、冷えたままじゃ。極低温のままミースが飛ぶと――上空の水が忽ち凝結し、あるいは凝固する」
「ああ、それが、雲と雹になると……」
アルマは空を見上げた。ミースが地上に降りた後の空は晴れ渡っていた。「へへ、面白いですね。竜」
「しかし、ミースが火傷を負ったのは150年前なのに、まだ癒えてないなんてね。傷の治りは個体差もあると思うけど、多分、傷が深すぎてマナの漏洩が止まらなかったんだと思う。火に焼かれた後、氷原に落ちた――きっと、ちょうどガトシロアの前に」
冷却されたマナが凍り、そして傷口を塞げると知ったミースは、ガトシロアの傍に留まるようになった。
長い時間をかけて、深い傷を少しずつ治しながら、時折空を飛んで。いうなれば、“リハビリ”なのかもしれない。
「じゃあグランディン……じゃなくてミースは、天気か気温によって、飛行時間が変わるのかも。暖かい日は傷口が開いてしまうから、すぐに引き返していくとか」アルマが言う。
「なるほどな。あり得る――さて、この状況、図鑑にどう書いたものか」
ミィココは、大人しくも不思議な竜2体を眺めながら唸った。「竜といえども寄り添って、数奇な過ごし方をしているものもおるのじゃのう……。これも、生態と言って良いのじゃろうか?」
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