グランディン&ガトシロア

第58話

 ルカヱルたちがギンズの町に別れを告げ、砂漠を発ってから数日が経った。ラジの地に戻って来た二人は、碧翠審院へと赴いていた。

「――えっ、ミィココ様、もう発ったんですか?」

「ええ」と、ディエソは頷いた。「さすがの行動力といったところですね……」

「というか、絵描き見つかったの?」と、ルカヱルが尋ねる。

「そういえば、そんな話ありましたね。ミィココ様お一人ではないですよね?」

「ええ、もちろん。我々が何名かの候補に話を打診して――最終的に、ええと、まあ、一名に了承いただきまして……」

「なんか歯切れが悪いような?」

「いえ、とんでもございません。皆が納得して図鑑の絵描きは決定されました。なにより、その、ミィココ様の強い推薦という形もあり」

「……」

 ディエソの様子を見ていると、“色々あったらしい”と察せてしまう。面と向かって言えることではないが。

「その絵描きの名はアルマというもので、碧翠審院管轄の博物館で働く職員でして――まあ話を戻しましょうか。お二人が懸念されている砂漠の下の洞窟の件については、機会を見てミィココ様にもお話しておきます。この件は我々も、行政として動くことになりそうですがね」

 ディエソがそう告げて、報告は終わりとなった。砂漠の地下に現れた例の竜に関しては具体的な姿の報告ができないため、“不明個体”という形で情報を共有するにとどまった。

 碧翠審院を出て、ルカヱルは開口一番にセタに尋ねた。

「これからどうしよっか?」

「次の図鑑の話ですか? 確か、氷雪地帯に行くって話でしたよね。伝承の名前は――」

「竜探しは明日でしょ。じゃなくて、今日の過ごし方」

「えっ? ……て、つまり暇つぶしの話? ですか?」

「うん」

 そんなことを聞かれても、気の効いた過ごし方がすぐに思いつかないセタは数秒ほど沈黙した。

(……というか普段はルカヱル様があれこれ思い付きで言うのに、珍しいな? 気まぐれだ)

 そんなことを思いながら、ようやく回答した。

「お、お茶……?」

「君、魔女に似てきたね」

 ――ここまでが、碧翠審院の近くにある屋台で出ている小さなベンチで、二人が茶を啜ることになった流れである。セタは、メガラニカに来て初めて見つけた名前の飲み物を選んだ。ルカヱルもいろいろ指を宙に迷わせていたが、最終的にセタと同じものを頼んだようだ。

 ちなみに味は甘い。香りまで甘い。底無しに甘いが、茶葉のような香りもする。セタは初めて、こういう飲み物を飲んだ。ジパングの茶は、香りは良いが大抵色は緑で苦味が主なものばかりだ。魔女が出してくれる茶は、香りは色々あるが大体味は草に由来する苦味である。

(こんな甘い飲み物あるのか……)

 味が好みかという話とは別に、セタは感動していた。いかにも異国の飲み物と感じた。ルカヱルを窺うと、彼女もどこか目を輝かせているようだ。

「ルカヱル様、好きですか? そのお茶」

「うん、好き」と彼女は頷く。「ジパングでは飲んだことない味がするね。昔メガラニカにいた時も、こんなに甘い飲み物は無かったよ」

「ああ、そうなんですか? メガラニカに昔からある、地域固有の飲み物かと思いました」

「私がメガラニカを出た後にできたんだろうな。おいしい」

「あれ、でもそういえば……魔女って、極論何かを食べる必要はないんでしたよね?」

 魔女は霞すら食べずとも生きていける。生きるのに必要な物は、端的に言えば“経験値”である。何かに感動したり、動揺したり――と言った心の動きが、魔女の原動力であるマナを生み出すという。不思議な生き物であるが、魔女が暇潰しに忙しそうなのは、この生態によるものだ。

「……もしかして、単純に、“滅多に食べないもの”が好きってことですか?」

「そうかも。そうだね」

「じゃあそれ、旅に出るたびに何かしら好きな食べ物に出会えるということですかね」

「うん。君だって、メガラニカに何かしら好きな食べ物があったんじゃない?」

「ええ。まあ、それなりに」

 思い返すと、“珍しい料理”ではなく、“ジパングの料理に近しい食べ物”が好みというケースが多いセタだった。この点は魔女とは違う、と思った。

「私は全部好きだったよ。最近はずっとジパングにいたから、メガラニカの料理は珍しく感じたのです」

「旅を一周するころには、今度はジパングの料理を好きになってそうですね」

「そうだと良いなーって思うよ。同じ味でも、また味に感動できるようになったら嬉しい」

 彼女は笑って言う。面白い感覚だとセタは思った。だが、同じ感覚を理解できた。異国を渡ったあと、故郷に戻った時に最初に食べる物は何にしようか考え始めると、中々面白いと思ったのである。もしもジパングから長い間離れて、その間に郷土料理の味を少しでも忘れたら、次に食べるその味は、以前とは違う感動があるのだろう。

 幸いなことに、見た物をずっと覚えられるセタも、味を完璧に思い出せるとは限らない。この楽しみは、忘却から生み出されるものらしい。味だけではなく、匂い、空気、温度、人の声――旅から戻ったら、知らないうちに忘れていた些細なことを一気に思い出すことになるのだろう。きっとジパングとメガラニカでは、風すらも違うものなのだ。

 昼下がりのメガラニカには、乾いた風が吹く。気を抜くと昼寝をしてしまいそうな、心地の良い風だった。



  *



 昼下がりのメガラニカには、乾いた風が吹いて気持ちが良く、昼寝にはちょうど良いものである。

「おい起きろよ、お主」

「……んむ」

「お主は大胆な奴じゃのう。これから竜を探すというのに、呑気に昼寝とは」

「くあっ、ふ……。おはようございます、ミィココ。良い天気ですねえ」

 少し癖のある長い前髪を振りながら、彼女は体を起こした。細い腕は不健康にも見えるが、はっきりと筋が浮かび、見た目に反した逞しさも感じさせる。片目は髪に隠れ、もう一方の片目は眠たそうに半開きで、傍に立って彼女を見下げるミィココを見つめた後は、静かに前方を見つめていた。

 また乾いた昼の風が吹き、草原を揺らして過ぎ去っていく。うっかりすると、彼女はまた眠ってしまいそうだった。

「……アルマよ。お主の持つ能力は図鑑の旅にぴったりじゃと思っておる。しかし、すぐに昼寝する癖をなんとかせよ。これでは、大陸を回って竜を見つけるのに十年かかりそうじゃ」

「ありがとうございます」

「誉め言葉の部分しか聞こえておらんのか、お主。礼を言うところではないぞ?」

「さて……。やるべきことはちゃんとやりましょうか。先生のためにもね」

 アルマは重い腰を上げ、長い腕を空に伸ばし、“んー”と唸ると、だらんと腕を下げた。「でも先生。なんで私を選んだんですか? こう見えても私、一日十時間は必ず寝るのに。旅には不向きですよ」

「よく“こう見えても”なんて言えたな、お主。そう見えておるぞ。それに――お主の名が候補に挙がっていた時点で、他の選択肢はない。のう、元よ」

「若いころはね。今は博物館の係員ですよ」

「まだ今も若いじゃろ」

「ミィココ先生は長命の魔女だから、あれから何年経ったかよく分かってないんですよ」

「5年じゃろ?」

「4ですよ」

「大差ないし、むしろ短いではないか。他の普通の絵描き候補と比べれば、外で動けそうなのはお主くらいじゃ。鈍ったとは言わせんぞ」

「へへ。まあ――確かにそんな鈍ってはないですね」

 アルマは帽子を目深にかぶると、うっすらと微笑んだ。

 4年前のこと。

 フィールドワークをしていたミィココと、“冒険家”アルマは偶然出会った。最終的に彼女が博物館に就職することになった経緯は世間にはあまり知られていないが、ミィココからの推薦があったと噂されている。他に確かなことは、博物館の展示の中にはアルマの蒐集品が数多くあり――その数は、ミィココの提供品に次いで多いということ。そしてメガラニカの各地方のバイオームや動物を描いた風景画の展示は、アルマ作という事実である。


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