第57話

 “魔女が一時間の間に地下洞窟を砂で埋めてしまった”という話は、冗談のような話だったが、あっという間に砂漠の町に広まった。

 井戸の周囲には、昨日洞窟に潜ったキャラバンのメンバーを始めとした老若男女が集い、噂を次々と拡散していった。伝承とはこうしてできるらしい。

 そして、その日の日没後のこと。

「このたびは本当に、本当にお二人には世話になった」

 約束されていたお礼の食事の席で、セタたちの対面に座るナックは頭を下げた。出席者は主にキャラバンのメンバーであり、ナックの隣ではギンズも笑っていた。

「おう! 俺一人だけじゃなくて、この町全体を救ってもらったような感じだ」そう言って、彼は杯を上げた。「放ってたら、もしかするとこの町も崩落して大変なことになってたかもしれない。妹はまだ小さいし、町が壊れて出ていかないといけないなんて、嫌だろうからな」

「……ええ。きっとそうですね」

 それを聞いて、セタは少し俯きがちに頷いた。彼も小さなころ、自分の棲み処が災害で崩壊したせいで、遠くへ離れざるを得ない状況になったことがある。ジパングにおける現住所は、2つ目の住所なのだ。

「けどね」と、ルカヱルは少し低いトーンで切り出す。「私は決して、根本的な解決策をとったわけじゃない。あの竜の生態、行動範囲、周期は謎のままだし。この町から完全に危険が排除されたとは言い切れない」

「ああ、その通りですな」

とナックが頷き、ギンズの肩を叩いた。「ただ、十分な時間稼ぎにはなった。我々がこの町で、安寧に最期を迎えられるとは限らない――だが、猶予のある状況で皆がこの問題を認識できたことが重要だ。俺たちは崩壊の危機に備えて、準備を進めねば」

「まったく、もうちっと喜べばいいのに……。分かったよ。やれやれ、でも準備って言っても大変だぞ。ルカヱルさんが洞窟を埋めてくれたは良いが、あの洞窟が、この町の下にどれくらい広がってるのか――結局、よく分かんないままだしな」

「あ、それについてですが」

 セタは紙を一枚、テーブルに差し出す。ルカヱル、ナック、ギンズが、順にその一枚の紙へ視線を向けた。

 紙は便箋サイズだったが、細かな絵図が正確な線で記されていた。黒い線で描かれた図形と、破線で描かれた図形が一部重なるように描かれていた。

「セタ君、これは?」とギンズは顔を上げる。

「若干大雑把ですけど、地図を描いたんです。この町の地上と、地下にある洞窟の」

「――マジか!? ど、どうやって!?」

「“どうやって”って言われるとちょっと困りますけど……。俺、元々は絵じゃなくて地図の仕事をやってて、少し描き方の心得があるんです。だから、地上から見た洞窟の位置が分かるように地図を作りました。“ハザードマップ”、って言ったら良いんでしょうかね? これを見れば、地下のどの位置に空洞があるか、だいたい分かると思います」

「ハザードマップ……? でもそんなもの、いつ作ったんだ?」

 ギンズは地図を手に取り、ナックと一緒に並んで眺める。

「今日、洞窟から出て、ここに来るまでに。時間はあったので」

「ははっ……! これはすげえ! なあナックさん、見てくれ。ここの四角が、きっと俺ん家だぞ」

「ああ……そうらしいな。見れば見るほど、正確だ。俺の家の位置も分かる」

 ナックは目を細めると、今度は破線を注視した。「この途切れ途切れの線が、地下の洞窟を表してるってことだな。ふむ……町の半分くらいの範囲は、あの洞窟の真上にあるのか」

「思ったより状況は酷くなさそうだが、それでもいずれ何とかしねえと。俺ん家なんて、ちょっと掠ってるぜ?」

「それを言うなら、このキャラバンの舎は空洞の真上だぞ」とナックはため息混じりに言う。

「ルカヱル様は今日、その空洞から井戸に掛けての洞窟を砂で埋めました。でも、洞窟の近くに竜が近寄ってくる可能性は高いと思います。なので……」

「言いたいことは分かってるぜ! 注意はしないとな。だがセタ君、ありがとな! アンタ、物覚えが良いって聞いたけど――この地図は凄いぞ。なんというか……」

「ふふっ、物覚えが良いなんて次元じゃない、よね?」と、ルカヱルが横から言う。

 ギンズはうんうん、と何度も頷いた。

「そう、そう言いたかった。いくら俺だって、見た物をすぐ忘れるわけじゃねえ。なんだったら家族の顔は毎日見てるしな――でも、ぞ」

「え……」

「セタ君はすげえよ! 上手く言えないが……“見た物をそのまま覚えられる”だけじゃなくて、どっちかって言うと“覚えた物をそのまま見れる”、って言う感じだよな? なんというか、記憶を観察し直す能力があると思うんだ」

「その言い方、面白いね。良い得て妙だと思う」微笑んだのはルカヱルだ。

「これは誉め言葉だ! 君の図鑑の旅が、これからも順調に進むことを祈ってる」

 ギンズはそう言って、杯をあおいだ。

 一方、セタは「あっ」と声を上げる。

「ギンズさんに言われて思い出しましたが、今回の竜、観察し損ねてしまいました。結局、どんな竜だったんですか?」

 セタはルカヱルを見たが、彼女は肩を竦めるばかりだった。

「洞窟の中だから、よく見えなかった。でも、あの竜に該当する伝承は残ってないと思う」

「潮の香りがしてたので、海の竜の伝承を調べるべきかもしれませんね」

「海か。メガラニカは、なんだかんだ地上にいても海に関連する竜が多いね」

 思い返せば、シィユマやラアヴァも海に関連する竜だった。そして今回、地下洞窟を這いずっていたあの竜もそうらしい。メガラニカの竜の伝承はミィココから既に一通り聞いていたが、海に関する竜の伝承は確かにあったが、特徴が合致するか、ルカヱルには覚えが無かった。

(海の竜……波紋の竜インクレスもそうだけど、さすがに関係ないよね)

 ルカヱルは“あの竜”の特徴を思い出していた。絵を描くことはできないが、あとで図鑑に載せられるように一つ一つの特徴を挙げながら。

 決して目が眩むほどに莫大なマナの持ち主、というわけではない。ルカヱルはあの竜の輪郭をぎりぎり捉えることができたのだ。マナの密度について言っても、光る牙やウロコはかなり硬質で鋭かったが、口蓋は箒の加速によって損傷したり、ルカヱルのコイン弾きで体勢が揺らぐ程度の体幹だった。

 しかし魔女としての本能が、あの竜の危険性が、マナの量や密度ではないと告げていた。

 光る牙は竜自身のマナと共鳴していた――自分の体から離れたものにマナを作用させるのは、魔女が使う魔法にレベルが近い。例えばルカヱルも、マナを“引っ掛ける”ことで、金属やマナの濃度が濃いものを遠隔で動かすことができる。それと似ているのだ。

 危険なのはマナの量でも密度でもなく、だ。

 体から離れた場所まで影響を与えるほどマナの扱いに長けているということが、潜在的に危険なのだ。

「あの竜のことは――あとでミィココにも聞いてみる。図鑑に載せるのは、また調査のあとにするか、ミィココのほうに任せようかな」

「二人はこれからどうするんだ?」

とナックは尋ねる。

 セタとルカヱルは顔を見合わせた。

「一応、あと一体の竜を観察して……。それから、次の地方へ移動しようと思ってます」と答えたのはセタだ。「ミィココ様はメガラニカの竜にもっと詳しいので。あの人に付いていける絵描きが見つかれば、この大陸の竜図鑑はいずれ完成すると思いますよ」

「そうか。君たちと同じように、あの方も竜図鑑のために動くのだな。君たち二人の旅の安全を祈っている。いつか機会があったら、ぜひまた訪れてくれ! いつでも歓迎する!」






 ――碧翠審院にて。

 真夜中に一人、デスクで大きなため息を吐きながら、ディエソは椅子の背もたれに寄りかかった。

「はあ~……ようやく始まったか」

 諸々の手続きを終え、ついに一つの山場を越えた。それが、「ミィココと組む絵描き探し」である。

 ごく短期の間に見つけられたのは、何名もの候補をあらかじめ決め、数人には打診済みだったからである。とはいえ、多くの者は主に二つの理由を挙げてプロジェクトに難色を示した。

 その理由とは、身体能力と危険性である。ミィココが付いているとはいえ、このタフな冒険に付いていける体力の絵描きは少ない。その中から、さらに竜と相対する胆力を備えている絵描きとなると、ごくごく少なく――最終的に、首を横に振らなかった絵描きは、一人だった。

 とはいえ艱難辛苦を乗り越え、気まぐれなミィココがまた猫のようにどこかへ放浪し始めるまえに何とか見繕うことができたのである。しかも、その候補者は碧翠審院にとって比較的身近な人物であった。そのような関係者が最終的にプロジェクトを担うことになったのは、着地点としてはとても収まりが良いものと言える。

 言えるはずなのだが――

「あの二人では、どうにも収まりがよいプロジェクトになりそうにないな……土台無理な期待だったかもしれないが」

 とりわけ酔狂な者が魔女の図鑑の旅にお供したらしく、ディエソは二人の(と諸々の)無事を祈って、再びため息をついた。

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