第56話
ギンズが家に帰ったあと、彼が治療されていた部屋を借りてセタは休みを取った。疲れ果てたセタは泥のように眠っていたが、次の朝、目を覚ますと、部屋の中に物があふれかえっていたのである。
「あ、起きた?」と物陰から声。
「ルカヱル様? なんでこんなに、物があふれかえってるんですか……?」
ラインアップを見渡してみれば、水筒や衣服、ナイフ、ランタン、他にカップが4つとポッド1つのティーセット、大きな机と椅子、ボウルが2つ、さらにはボードゲームが2種と絵札が1組、その他、雑貨が諸々という有様であった。
「あれ……なんか、見覚えがあるな。もしかして、ルカヱル様のドロップ缶に収納されてた物ですか?」
「正解」
あの魔法の缶は底なしの容量があり、家具程度の大きさのものであれば、飲み込むように収納するという不思議な代物である。いま並べられていた(散らかっていた)物品は、図鑑作成の旅に出る際にルカヱルがドロップ缶に仕舞っていたものばかりだったのだ。
「なんでドロップ缶の中を全部取り出したんですか?」
セタは乱雑に置かれていた物品を綺麗に配置し直しつつ、ルカヱルに尋ねる。
「砂を採るためだよ。昨日の晩、箒で砂漠を飛びながら、たくさん砂を掬って来たのです」
「バケツで水を掬うような感じですか……。でも」
セタはドロップ缶をじっと観察する――見た目はいつもと変わらず、容積はたかだか桶の半分程度しかないような缶だ。
「魔法の缶ってのは知ってますが、その中にどれだけの砂が入ってるんですか?」
「私もよくわかんないや。近場から採れるだけ採って来た」
「はあ……」
「ちょっと地形変わっちゃったけど、良いよね」
「そんなに沢山?」
とても信じられない話だったが、魔法の収納術があれば造作もないことらしく、ルカヱルは片手に持った缶を軽く振っていた。
「さて、行こうか。あの竜が、今日は遠くに行ってると良いけど」
*
井戸に向かうと、既にギンズとナックが待ち構えていた――さらによく見ると、小さな少女がギンズのズボンを掴んで彼の後ろに立っている。
「ん……? その子は? キャラバンの子?」とルカヱルが首を傾げた。
ギンズは苦笑いだ。「いや……妹だ。昨日の夜、ルカヱルさんのことを話してあげたんだが、今朝になってどうしても見てみたいってさ」
セタは少女を見る。“どうしても見てみたい”と言っていた割には、兄の陰から出てこない。人見知りだろうか、と勘繰る。
「セイス……お前が見てみたいって言ってたのに。隠れることないだろう? 今日は借りて来た猫みたいに大人しいな」
「だ、だって……」
「こんにちは、セイス」
ルカヱルが声を掛けると、少女は「こ、こんにちは」と応じて、少しだけ頭を下げた。
それからルカヱルはギンズを見て、首を傾げた。
「……あまり似てないね?」
「はは、よく言われる」ギンズは笑った。
「目元は似てると思います」とセタが脇から言う。
「それも良く言われる――セイス。ルカヱルさんはこれから洞窟の中でやることがあるんだ。家で待っていてくれ」
少女は渋々、うつむきがちに頷いた。顔を上げた時、「またね、セイス」と魔女が言ったので、少しだけ微笑むと、ようやく兄から離れていった。
「良い子だね。素直で」
「悪いな二人とも。とりあえず昨日の話どおり、砂で洞窟を埋めるんだったな。……砂を運ぶのに人手がいるか? 一応、何人かに声はかけたが」
「とりあえずいらないよ。この缶の中に集めてあるから」
「……」「……」
ギンズとナックは顔を見合わせて、肩を竦めた。すでに魔女という者がどういう生物なのか、だいたい察してきたらしい。頷いたギンズは、セタたちに向きなおって手を叩く。
「よし、それなら早速始めよう!」ギンズは井戸の蓋をとり、ロープを底に向けて垂らす。
セタが井戸の奥を覗くと、湿った暗闇が、ほんのわずかな光を反射していた。
「私は先に行くね。近くから竜がいなくなってるか、確認してくる」
と告げたルカヱルは、特に道具も使わずに井戸の縁を飛び越えて降りて(落ちて)いった。
「はあ、やれやれ。ギンズさん、ちょっと手を貸してもらえますか?」
「おう、もちろん!」
ロープを伝い、長い梯子に足を掛けてゆっくりと下へ降りていく。数分かけて降りていくと、洞窟の方から声がする。
「セター……、早く来てー……」
「え? ルカヱルさま? 何かありましたか?」
セタが呼びかけても聞こえなかったらしく、彼女の返事は聞こえなかった。セタは梯子の最後の数段をスキップして、井戸の奥へと飛び降りる。
その音を聞いたギンズが、続けて降り始めた。
「セタ君ー! ルカヱルさんー! 俺がたどり着く前に初めてくれても良いぞー!」と、彼は声を上げた。
「分かりましたー! ルカヱル様、聞こえますか!」
「……聞こえるよー……! 早く来てー……!」
例の洞窟の裂け目の奥から、ルカヱルの声がする。セタはなんだか、焦って来た。急いで裂け目を抜けて、洞窟へと入っていく。
ルカヱルは、洞窟に入ってすぐ近くで佇んでいた。セタの足音を聞いて振り返る。
「あっ、セタ!」
「ルカヱル様、どうしたんですか? 何かトラブルが……もしかして、竜がまだ近くに?」
「ううん。竜はいないみたい」
「じゃあ何が?」
とセタが尋ねると、ルカヱルは彼の袖を掴み、声を潜めた。
「……いっしょに来て。ちょっと覗いてみたんだけど、やっぱり一人だとマナで目が眩んじゃって」
大真面目な顔で言う魔女を前に、セタはつい笑ってしまった。
「ふふっ、ああ、そういう……。分かりました」
「わ、笑わないで欲しいのですが?」
「すみません。行きましょう」
どこに砂を撒いていけば良いのか、ルカヱル一人では判断が難しいようだった。意気揚々と先陣きって井戸に飛び込んだ時の勢いはどこへやら、また夜道を歩く子供のような小さな歩幅で、ルカヱルはセタの後をついていく。
「少し奥に進むと大きい空洞があったと思います。そこから撒いて、洞窟を埋めていきましょう」
「詳しいね?」
「昨日俺もここ通ったんで……。そう言えば」
セタは視覚ではなく嗅覚を働かせた。「昨日、潮のような匂いがしたんですが。今日はしませんね」
「潮? 確かにそうだった……あの竜が運んできたものだろうね」
「あの竜は海から来たんでしょうか? そうだとしたら、海水がこの洞窟の中にも流れ込んできませんかね」
セタは恐々と後ろを振り返った。
「海底洞窟だとしても、入り組んだ地形の起伏のせいで海水が流れ込まずに済んでるんじゃないかな」
「そんなことあるんですか? 不思議ですね」
「あの竜が海と洞窟を行き来してるとしたら、良いニュースだよ。海に出てる間は洞窟にはいない。習性なんだろうね」
二人は大きな空洞へとたどり着いた。ここを砂で埋め尽くし、竜が金輪際寄ってこないようにする。
「さて――じゃ、始めようか」
ルカヱルはセタの前に出て、ドロップ缶を振る。何か嫌な予感がしたセタは、つい二歩ほど後退した。砂漠の地形を変えるほど掬ってきた砂が、この場を満たすのだ。
「ルカヱル様……俺たちが砂に呑まれないように気を付けていただけると」
「もちろん」
と答えたルカヱルがドロップ缶に封を開くと、瞬く間に砂があふれ出し、波のように広がって空洞を満たしてく。
「わっ、取り過ぎてたかも?」
「気を付けてって言ったのに! 行きますよ!」
セタがルカヱルを引きずって、後退し始める。彼らの後ろでは今も砂がどんどん流れていた。そして空洞の半分を満たすとあふれかえり、今度はセタの足場も浸し始める。
「これ、ちょっと面白いね!」
「言ってる場合か! いま箒で飛べないのに!」
「飛べないけど、砂を払うことは出来るよ!」
ルカヱルはドロップ缶を左手に持ち直し、右手の袖の中から箒を取り出した。そして左右に振ると、砂が奥の空洞へと送り込まれていく。
「空洞を完全に埋めちゃった方が、封じるって意味では良いよね」
砂を出しては箒で払って洞窟に詰め込んで――そうしてセタが裂け目のあった近くまで戻るころには、洞窟の経路が完全に砂で満たされていた。ルカヱルはドロップ缶に封をして、砂の流れを止めた。
「ようやく降りて来れたぞ……って、なんだこれは!? すげえな!」
そして裂け目から這い出てきたギンズが砂の壁を松明で照らして、嬉しそうな声を上げた。
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