第53話
ところで、地上にて。
夕暮れ時だった。辛気臭い表情が張り付いたキャラバンの面々が街に入って来た時、住民は景気の良い取引ができなかったのだろうか、と勘繰ったりしていた。
そんな彼らの前に、対照的に明るい表情の幼い少女が一人、立ちふさがる。
「ナックさん、おかえりなさい! 皆もね!」
「あぁ……。セイスか」ナックはさらに表情が暗くなる。
「兄ちゃんも――あれ? 兄ちゃんは?」
彼女が面々を見渡すと、やがて表情が静かに変わっていった。
「兄ちゃん……?」
「……セイス、良く聞け。お前の兄ちゃんは……」
まだ事情が察知できていない様子の彼女の表情を見て、ナックは一瞬、口をつぐんだ。
「――流砂に呑まれた。イマジオンのだ」
「え……」
一瞬の静寂の間に、キャラバンのメンバーの中で、少女の表情を直視出来る者はいなかった。
太陽のように明るかった彼女の表情は、曇りつつあった。まだナックの言ったことを真に受けていないのか、首を横に震わせて、髪を揺らす。
「うそ、だって。兄ちゃん、お土産、持って帰るって……」
「済まない……! 俺のせいだ、助けられなかったんだ……!! 済まない!!」
少女の瞳に、いよいよ大粒の涙が浮かび始めた。快晴の夕日に照らされて橙色に染まった雫が、少しやけた頬を流れ、地面を点々と濡らす。
「うう……わあぁあぁ……っ」
「済まない、済まない……!」
ナックは膝をつき、幼い彼女の頭を柔らかく抱き寄せ、懺悔し続けた。明るかった少女は、雨の如く泣きじゃくった。
「ひっく……ぅ、わああああああああん」
――qraaaaaaaaaaaaaa……―――
彼女の途切れ途切れの泣き声の裏に、微かに高い音と、地鳴りが響く。同時に、枯れたはずの井戸から強い風が吹き出し、桶を吊るすためのロープを不気味に揺らし、大きな音を立てた。
住人も、キャラバンの面々も、ナックも、そして少女も、とっさに音のする方向へ目を向けた。
風にあおられたロープが、今もゆらゆら揺れている。まるで怪奇現象のようだった。
そして。
“……!! ……ぁーー……!! ……ズ……!!”
「なに……?」
「なんだ今の。声?」
“……誰か……かぁー……!”
ナックは次第に表情を複雑に歪め、少女を守るように抱えた。声を聴いた面々は、まるで幽霊にでも遭ったかのように顔が恐怖に染められていく――ただ、一人の少女を除いて。
「……兄ちゃん? 兄ちゃんの声がする」
「いや、馬鹿な。そんなはずは……」
ナックが息を呑んだ、その時。
「―――誰かぁああ!!!! ナックさん!!!! セイス!!!! 誰でも!! 良いから!!!! 誰かいねえかああああ!!!!?」
「――兄ちゃん!?」
聞き覚えのある怒号を聞いて、少女はナックの腕から飛び出し、枯れた井戸へと一目散に駆けだした。
「セイス、待て!」
少女は井戸に封をする蓋に手を掛ける。簡単な木の戸は紐で括られていて大きくは開かないが、少し隙間が空いている。
そこから、声がする。
「兄ちゃん!!」少女は紐を解き、井戸の向こうへ呼びかけた。
「――セイス!? さすが俺の妹だぁ!! おい誰か周りに居ねえか!? 井戸に呼んでくれぇ! 誰でも良いから!!」
「ぎっ、ギンズが化けて出たのか……!?」
急いで駆け寄ったナックが、今にも封印が開かれようとしている井戸の縁で声を震わせた。
「その声――ナックさん!! 無事だったか! 俺だ、ギンズだ!! ちょうど良かった、井戸の中に来て、助けてくれ!!」
「う、うう、井戸に引きずり込む
「意味分かんないこと言ってねえで早く何とかしてくれ!! 俺の恩人がヤバいんだ、早く! ロープでもなんでも良いから持って来てくれ、早く助けに行かねえと!!」
井戸を封じる戸が横にずれて、中を陽の光が照らす。井戸の底では、ギンズが必死の表情で懸命に声を張り上げ、手を振っていた。
*
一方そのころ、地下洞窟にて。
「ルカヱル様!!」
セタは洞窟の奥をランタンで照らす。さっきは向かい風だったが、今は追い風だ――まるで、洞窟の奥に引き込もうとする力に、背中を押されているようだった。
(ルカヱル様は何かに流されたように見えた。でも、水じゃない。水しぶきはあったけど、流れてたのは水そのものじゃない)
セタはランタンで道を照らしながら、ほぼ全速力に近い速さで洞窟を駆け抜ける。常人には到底不可能な身のこなしだったが、彼には可能だった。
一度見れば、風景も道も完全に覚えられる記憶能力。
夜道に生き、一度しか見つからなかった身のこなし。
セタが“幽霊画家”と呼ばれていたころに活かされていた、彼の素質である。
(ルカヱル様が影に呑まれたあと、一瞬だけ模様みたいなものが見えた。それにあの高い音……鳴き声? まさかあれ、竜だったのか――?)
セタは小高い崖の様になっている地形を一瞬ランタンで照らしたかと思うと、勢いよく飛び降りた。安定した地形を選んで着地し、ランタンを抱えて転がって落下の勢いを殺し、すぐに立ち上がる。忍者紛いのパルクールだった。そして顔を上げた時、深く息を吸ったことで、鼻腔を衝く特異臭に気付いた。
(これ、なんだ……潮? 海みたいな匂いがする)
思い返してみれば、最初に洞窟の中へ落ちて来たときも、同じようなにおいを感じていた。
(でもそれよりずっと強い――? そうか。あの竜が運んできた匂いってことか……!)
匂いを追うように洞窟をさらに走る。
そして、セタは大きな空洞に出た。辺りを見渡すと、またあの光る鉱石が点々と見つけられた。
「また“光る鉱石”が……なにか関係あるのか? いや、それより今は追いかけないと……!」
高さ的に空洞の底は離れており、一度足を滑らせれば、戻るのは難しそうだった。セタは息を吸い、大きな声で呼びかける。
「ルカヱル様ぁーー!! いませんか、ルカヱル様ぁーー!!」
しかし返事はない。
セタはランタンを掲げて、枝分かれした空洞の中を隈なく照らした。
(もし竜が、あの勢いのまま洞窟を這いずっていったなら、何か破壊痕があってもおかしくない……!! どこかに無いか……?!)
そして、暗闇の中から光の反射が異なる部分を見つけた。コケや水滴が断面に付着していない、崩れたばかりの瓦礫を見つけたのである。上を照らせば、鍾乳洞も折れている。
セタはその方向へと飛び降りた。竜は入り組んだ洞窟を、ルカヱルを捕捉した状態で突き進んでいったらしい。
(でも、俺に追いつけるか……!?)
速度的な側面も勿論のこと、もう一つの難点は地形である。
多少身軽であっても、洞窟という環境すべてに対応できるとは限らない。
それでも、セタは自分の決めた方向へ、懸命に走り続けた。
*
「……ぐっ!!」
ルカヱルは岩壁で身を削られるように、竜に引きずられていた。
もちろん、魔女である彼女が岩に擦られた程度で本当に削られるわけではない――だが、岩を砕くほどの勢いで衝突を繰り返し、負傷しつつあった。
(なに、この竜!? 凄い力……!! それに潮の香りがする?)
ルカヱルは、ミィココと照らし合わせて整理したメガラニカの竜の伝承を思い返す。
しかし、洞窟や地下、水と言ったキーワードに全て合致する竜は無かった。
(イマジオン……!? いや、イマジオンなんていう竜は実質存在しない! じゃあ――こいつはなに!?)
QRAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!
独特の甲高い咆哮が骨身に直接共振し、ルカヱルは顔を顰めた。彼女は今、噛みつかれている状態だった。魔女の肉体が極めて頑丈である故に噛み砕かれていないが、腕や胴に、竜の鋭い歯が食い込んでいる。
「このっ……!! 離して!!」
"QRAAAAAAAAA!!!!!!!!!!"――再び全身を咆哮が伝わり、痺れるような不快感が走る。ルカヱルの口から黒いマナがミスト状になって零れ、吐血したような飛沫となる。
「~~ッ!!!!」
(こ、この振動! 体が内側から混ぜられてるみたい――?! 速く抜け出さないと……ヤバい!!)
竜の口の中で、ルカヱルは袖の下から箒を取り出す。
そして箒の先を竜の口蓋の内側に向けた状態で、最大加速させた。瞬間、箒の柄は槍のように内口蓋へと突き立てられ、竜の頭部が内側から裂けた。ルカヱルは加速した箒に掴まったまま、拘束から忽ち脱出したのである。
「――わぅっ!!」
と、素っ頓狂な声を上げて、ルカヱルは岩壁に衝突する。からん、と箒の柄が軽い音を立てて石の地面を叩いた。すぐに態勢を立て直し、手をかざして転がり落ちた箒を手元に呼び戻す。
そしてようやくルカヱルは、自身に噛みついた竜と真正面から対峙した。
が。
「ふふっ。だめだぁ、何も見えない……!!」
ただでさえ鉱石のマナで歪みまくった暗い視界。
さらにマナの塊ともいえる竜が混入し、ルカエルの視界は、闇の中で見つめる抽象画のように、曖昧になっていた。
そんな彼女を前に、竜が容赦のない剣幕で咆哮を轟かせると、洞窟全体が震えあがったように振動した。
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