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第52話

 ギンズの足取りは重かったが、実際にはルカヱルの歩調も大概ゆっくりだったため、夜道歩きに慣れたセタからすれば両手に大荷物が増えたような感覚だった。現状はルカヱルの幼児のような歩調が進行の律速になっているので、ギンズが足手まといというわけでもない。

「ギンズさん。少し聞きたいことがあるんですが」と、セタは言う。

「なんだ? なんでも聞いてくれ。あんたらは俺にとって命の恩人だからな」

「いや、そんな大袈裟な。それにまだ助かってはないですし」

「ついさっきまで実質死んでたから、恩人で良いんだよ。それでセタ君、聞きたいことってのは?」

「この洞窟のこと、知ってましたか?」

 へっ、とギンズは鼻で笑う。「いや、想像すらしてなかった。今でさえ不思議に思ってるぜ――地上に砂漠があるのに、下層に洞窟があるなんてな。普通、上の砂が全部落ちちまうだろ?」

「ええ」

「でもそうなってねえ。この洞窟も、上から落ちて来た砂でいっぱいになってるわけじゃねえ。ぽっかり空いたままで、しかも湿っぽいときた。妙な洞窟だろ?」

「確かに」とセタも頷いた。

 子供でも分かりそうなことだが、さらさらに乾いた砂をどれだけ押し固めても、かまくらのような空洞を持つ構造は作れない。

「多分、地下水かなんかで下層の砂は固まってるんだろうね」と、ルカエルは脇から言う。

 セタとギンズは、同時に彼女へと目を向けた。

「湿った状態の砂なら、押し固めると硬くなる。下層の湿った砂の層は、上層の砂の重みで押し固められて、岩盤の代わりになってる――とかね。まあ、それが脆いから崩れたんだろうけど。それとも、何か“外力”があったのかな?」

「外力?」

と、セタは語尾を上げて繰り返す。

「偶然壊れたのか、それとも“きっかけ”があったのか――。詳しいことは私にも分からないね」

「俺も難しいことは分かんないな。地下水ってのは納得だが」

と呟いて、ギンズは洞窟の天井を眺める。ぴちょん、と雨どいを走る水滴のような音が、時折響く。天井から水滴が落ちているのだ。

「俺の町は砂漠の外れにあってな。そこに、昔から深い井戸があるんだ。ガキの頃は乾いた所に水が湧くなんておかしな話だって思ってたが」

「こういう地下水を汲み上げてるんですね」

 地図編纂課として、地下水や井戸は知っていた。自分で井戸を掘ったことがあるわけではないが。

「年寄りの話だと昔はもっと水が湧いてたらしいんだが、雨が少ないせいか、ある日突然井戸もあるってな。……いや興味ねえか、こんな湿気た話」

 井戸が枯れたという話題が湿気た話とは、皮肉なものだ、とセタは思っていた。

 一方ルカヱルは、そんな湿気たテーマを聞いて、ふと顔を上げた。ギンズとセタの顔を交互に見て「そうだ」と呟いた。

「ルカヱル様、なんですか?」

「セタ、私たちが落っこちたところ、地図のどの辺りか覚えてる?」

「地図? でもルカヱルさんよ、砂漠を地図で読むってのは、ナックさんくらい地理をよく知ってる人じゃないと」

「覚えてます」とセタは言う。

 ギンズは驚く。「嘘だろ? 無理に決まってる、あんな碌に目印もない所。それにあんた、外国から来たんだろ?」

「メガラニカの地図と、太陽の位置、あと時刻は覚えてますから。だいたい分かります」

 セタは地上で干からびるほど光に炙られていたことを思い出しなが言う。あの光の方角なら嫌でも覚える。

 うん、と頷いたルカヱルは、次にギンズを見た。「ギンズ。君の住んでる村の位置は分かる?」

「俺の? まあ……そりゃ地図があれば」

「セタ、いま地図あるよね」

「あります」

 セタはしゃがみ、バックパックに丸めて挿してあったメガラニカの地図を取り出す。そして、ギンズを見上げた。

「ギンズさん、村の位置は?」

「こんな洞穴の中で、地図とはな……。どれどれ」ギンズはゆっくり片膝をつき、人差し指を地図の砂漠色の輪郭に迷わせながら、やがて一点で止めた。「――ここだ、南西の辺り。俺たちのキャラバンは、夏が過ぎたら砂漠を渡って港まで行ってんだ」

 そう言って、ギンズは地図の上で指を滑らせた。

「港……」

「別に魚を買うわけじゃないぜ? 魚が欲しいんだったら、皆もっと近くの海に行く。でもこっちの港街にはいろいろと、外国の珍しいものが集まるんだ。土産にもぴったりだ」

「セタ、最後に――。方角、分かる?」

 ルカヱルの問いを聞いて、セタは目を少し丸くした。

 彼女に聞かれるまで、自覚していなかったのだ。自分であれば地下洞窟の中であっても、自分が向いている方角を把握できる、ということを。

 落ちる寸前に見た、太陽を背に立つルカエル。

 その後の浮遊感。

 落下した後は砂の山を横に滑って、そのまま立ち上がった。ルカエルがランタンを取り出して、天井から落ちる砂が光を反射するを見て。それから風の流れを辿って――セタの頭の中では、歩いてきた道が逆再生される映像のように流れていた。

 頭の中で映像が終わると、今の地上において、太陽がどこにあるのかも分かっていた。

 そしてセタは、地図の向きを少し傾けたのである。

「地図は、この向きだと思います」

「おいおい、マジかよ? 俺には、もう合ってるかどうかも分かんねえ……凄いな、アンタ」

「まあ、ちょっと物覚えが良いだけで……。それより、多分ですけど風の流れて来る方向に、ちょうどギンズさんの町があると思います」

「はぁ?」

「ふふっ、良かった。私のと結論は同じだね」しゃがんで地図を見つめていたルカヱルは立ち上がり、洞窟の道の先へ視線を向けた。「君の町の枯れた井戸ってやつ、運が良ければ洞窟の先に繋がってるかもね」

「な、なんだって?」

「過去に起きた洞窟の崩落で、水が流出したんじゃない? もし繋がってれば洞窟を抜けたも同然――出口は君の町の井戸。行こう、大雨が降って、水が流れ込まないうちにね」

「なら、あと十年は心配いらなそうだな……!」ギンズはそう言うと、松明をついて、力強く立ち上がった。

「セタ、あとちょっと案内よろしくね」

「もちろん。俺だって、早い所地上に戻りたいですから」

「よし行こう二人とも! 戻れる気がしてきた!!」ギンズはすっかり元気を取り戻したらしく、杖を進行方向へ向けて威勢の良い声を上げた。

 セタは地図を折りたたむ。すでに方角は覚えた。あとは、そこに通じるように洞窟が繋がっていることを祈るだけだ。

 手が掛かりつつあるゴールに向けて、3人は歩き出す。風が強まるほどに言葉数は少なくなり、代わりに歩幅が広くなっていった。

 

 *


 ――それから、しばらく時間が経ち。

 一陣の風が洞窟を笛のように鳴らして、高い音を立てた。そしてセタの前髪を揺らして、汗を冷やして、吹き抜けていく。

「あ……?」

 セタは目を細めた。ランタンの光に照らされた洞窟の道の脇が、抉れて崩落したような地形になっており、その奥には人が這いずってようやく通れそうな裂け目があった。そこから強い風が吹き込んだようだ。

 3人は顔を見合わせて、つい頬を綻ばせた。

「おい、セタ君――あそこ、もしかして!」

「もしかしたら、外に通じてるかもしれません! 地図上だと、ちょうどギンズさんの町の辺りのはず……!」

「よし、行ってくる! 井戸だったら、俺が街の皆を呼んで助けてもらう! それでみんな助かるぞ!」

 ギンズを筆頭に、3人は裂け目へと近寄る。ギンズは少し身を屈めて奥をランタンの光で確認してから、慎重に身をよじりつつ、裂け目の中へと入っていく。セタとルカヱルは、負傷した彼が無事に通り抜けるまで、固唾をのんで見守っていた。

「……通れた! それに光だ、天上に竪穴が見える! マジかよ、ここは本当に井戸の底だ!!」

 彼の歓声を聞いて、セタはほっと息を吐いた。

「セタ。安全そうだし、先に行って。私は後から行くよ。井戸の穴を箒で通れそうだったら、飛んで出よう」

 ルカヱルが言うと、セタは頷いた。

 横歩きしながら、少しずつ裂け目の中へと身を滑らせていく。半分ほど進んだところで、奥からギンズが覗き込み、手を振っているのが見えた。

「通れそうか? セタ君」

「ええ、何とか……ルカヱル様も続いてください」

 セタは裂け目の中で辛うじて振り返り、声を掛けた。視線の向こうにルカエルが見える。彼女はマナに眩む視界の中、セタが差し出した手に向けて、手を伸ばした。


――――qRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!


「――!?」

 甲高い轟音が響く。

 直後、ルカエルは何かの影に呑まれ、一瞬で視界から消えてしまったのである。裂け目の向こうから水しぶきと共に強い風が逆流し、セタは目を細める。

「――ルカヱル様……!?」

「おいセタ君!? 今のはなんだ!?」

「ルカヱル様ぁ!!」

 セタは裂け目を戻り、再び洞窟の中へと入っていってしまう。

 取り残されたギンズは、天井に開いた竪穴と、恩人たちが消えた裂け目の向こうを、交互に見た。

「おいおいおいおい、どうなってんだ……! ここまで来たのに、くそ、どうしたら……!」

 ギンズは狼狽える。彼の残りの体力では、セタには追いつかない。

 代わりにギンズは、竪穴の真下へと走った。

「誰かーーー!! 誰かぁ、聞こえねえかぁ!? ギンズだーー!! おい、誰か来てくれーーー!!!」

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