第50話
それから、セタはゆっくりと歩き、洞窟の中を風が流れて来る方向へと進み始めた。脇には、おっかなびっくり歩く魔女がぴったりとくっ付いている。
「……ルカヱル様、すみません。服を引っ張りすぎると、俺も歩きにくいので……」
「あっあっ、ごめん!! ちょ、ちょっと、こういうとこ本当に恐いんだよねっ、何も見えなくってっ」
ルカヱルは謝ると、ほんの若干セタから離れた。「足元も見えないし、一寸先は霧みたいになっちゃってて――振り返っても自分の歩いてきた道も分からないし……ごめん」
「いえ、謝る必要はありませんけどね」
セタからまったく離れる様子がないルカヱルを見て、セタは少し笑ってしまった。本人からすれば、笑い事ではないのかもしれないが。
「頼りにならなくてごめんなさい。でも、ここだけは本当に、セタの道案内が無いと歩くのは無理そう……」
“ここだけは”と彼女は言っているが、思い返してみると、ルカヱルは元々方向音痴だったため、これまでの道案内もだいたいセタの役目だった。
「全然、問題ないですよ。それに普段はルカヱル様がいないとにっちもさっちも行かない仕事ばかりですしね」
「あ、ありがとう……」
セタは頷きつつ、歩くのに集中する。
初見の道でありながら、なおかつ、暗い洞窟の中でありながら、セタの歩みは安定していた。ランタンでいったん道を照らしてしまえば、セタは足場の良いルートを記憶して歩くことができる。いちいち下を見たり、上を見たり、と視線を忙しく動かす必要が無いのである。かつて磨かれた夜道を歩く技術が、妙に活かされていた。
「でも、もし出口に通じてそうなところがあったら、教えてください。鉱石に覆われていない場所であれば、ルカヱル様の方が早く見つけられると思います」
「そうだね……うん、任せて!」
水が滴る音が時々響く洞窟の中を二人は歩いて行く。地上に砂漠があるとは信じられないほど、湿気た洞窟だ。なぜか磯のような香りも感じる。ルカヱルはオドオドしながら、視線をあちこちに向けて小さな歩幅で付いて来る。夜道を歩く子供のような彼女の様子を不憫に思ったセタは、何か話しながら歩く方がよさそうだと思った。
人気もない場所なので、質問するには良い機会でもあった。
「――ルカヱル様。アトランティスのこと、少し聞いても良いですか?」
「えっ、アトランティス? どうしたの、急に」
「気になってたことがあったので。――アトランティスは、もともと世界のどのあたりにあったんですか?」
“その話”
“もしやすると、メフィーも知らんかもしれん”
あの白魔女様すら知らないことがあるらしい、という事実が、一般市民であるセタにとっては驚くべきことだった。だから気になっていたのだ。アトランティスの「位置」が。
「んー……。しいて言うなら、アヴァロンとジパングの間、かな?」
セタは少し驚いた。
「えっ、ジパングも近かったんですか?」
「割とね。セタも世界地図を見たことあると思うけど、ジパングとアヴァロンの間って、すごく大きな海が広がってるよね」
「ええ、確かに」
その海は現在、
ところで今の世界地図はレムリアを中心に描かれている都合、地図紙面上の右端と左端に“パシファトラス”という同一名称が記される格好となってしまっている。地図編纂課ではちょっとしたネタとして知られている。
「で、もともとアトランティスは、その海の上にあった……はず。どちらかといえばアヴァロン寄りの位置かな?」
「どんなところだったんですか?」
「………」ルカヱルは一呼吸分の沈黙の間に、記憶を呼び覚ましていた。「当時の状況を例えるなら、魔女の箱庭。アトランティスの世界は、あの中で完結してたの」
「魔女の箱庭……?」
「あっ、ここでいう魔女って言うのは、私のことじゃないよ。私の友達――ノアルウっていう魔女のこと」
「そういえば、前にも同じ名前を聞きましたね。ルカヱル様の友達ですか」
ノアルウ、という名前を反芻しながらセタは頷く。
「あの大陸の中で、食べ物も、服も、娯楽も、生活も、人も――全部が満たされてたと思う。技術も発展しててね。いま全世界を見ても、あの時のアトランティスと同じくらい発展してる所はないかも」
「ええ、本当ですか……?」
飽き性ゆえに世界を放浪しているルカヱルが言うのだから、誇張表現ではないのかもしれない。
「ノアルウはね、そういう世界とか、国を創るのが好きだったみたい。彼女なりの暇潰しだったのかも」
「暇つぶしで国づくりを!? ……すさまじい方ですね」
「うん、凄い魔女だった。残念ながら、アトランティスの海底開発が始まったときに、私はあそこを離れたけどね。鉱石マナのせいで、眩暈がすごくってさ……今も眩暈が凄いけど」
どうやらそうらしい、とセタは納得する。ルカヱルは次第に落ち着いてきたようだが、それでも彼女の歩幅は短いままだったのだ。
「最後はセタも知っての通り。ノアルウが作り上げた国も、技術も、人も、全部が海に呑まれて沈んだの。きっともう瓦礫一つすら残ってない」
「……凄まじいものですね。竜も」
しかし、いずれ件の竜“ガイオス”あるいは“インクレス”も、セタは観察してみせる、と約束してしまったのである。今更ながら、自分が魔女と交わした約束の重さを自覚してきたのであった。
「ねえ、今度は私からも聞いて良い?」
「えっ……。え、俺にですか?」
「うん」と、魔女は短く応じる。
セタも、断るわけにはいかなかった。
「なんでしょうか」
「セタはどうして、画家にならなかったのですか?」
「……んん」
「? セタ……?」
「ああ、すみません。ええと……すみません、なんででしょうね」
「ええ?」
「思い返すと、うん、分からないです」
「えー? じゃあ別の質問、なんで地図編纂課に?」
どう答えるべきか、セタは少し考えた。
「しいて言えば……。トーエさんっていう人に見つかっちゃって……?」
「ふふっ、なに、その言い方? それじゃ、まるで泥棒とか悪者みたい」
「は、はは……」
「じゃあきっと、その人も君の絵を見たんでしょ。君の素質が地図を描くのに向いてる、って思ったんじゃない?」
「ええ、確かに経緯はそんなところですね」
「画家になる気は無いの?」
「え?」
「だってほら、図鑑の作成が終わったら、セタの描いた絵がみんなに見られるんだよね。そしたら……セタに絵を描いて欲しい人がたくさん出てくるかも」
「……」
「どうかな?」ルカヱルは、セタを窺う。
「ん……。正直、そんなこと考えたこと無かったです。そんな風になりますかね? 俺に絵を描いて欲しい人が出るなんて」
「きっといるよ――私だって、君が風景画を描いてくれるの待ってるし?」
「うっ……! はい、あの、今はまだ絵の具の手持ちが揃ってないですけど、そろったら必ず!」
「ふふっ、いや、そんな気負わなくても良いよ。私は暇つぶしでもして、ずっと待ってるから」
「でも図鑑作りが終わるまでには、きっとお渡しします」
「うん。で、でもね……、図鑑作りが終わった後でも、もしお願いしたら……また描いてくれる?」
「えっ?」
ルカヱルの方を見てみると、彼女はじっとセタの方を見つめていた。一瞬だけ間をおいて、セタは答える。
「それは……ええ。もちろん」
彼の答えは、どこか生返事のような代物だったが、それを聞いた魔女は思いのほか嬉しそうに、唇を少し浮かせ、歯を覗かせて微笑んでくれた。
――そんな彼女が不意に視線を前に向け、目を丸くしたのである。釣られてセタは動きを追うように同じく視線を動かし、そして、眼前に広がる光景を見たのである。
「な……なんだ、これ……?」
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